夏夜に祭りの花が咲く
| 誰が決めたわけでもないが全国的に夏である。 夏といえばセミ。 夏といえばスイカ。 夏といえば入道雲。 夏といえば――――。 「うにゃ〜、凄い人〜」 どこからか聞こえる笛の音に、色とりどりのちょうちんの光。 漂ってくるのはソースやガスの混合された匂い。 普段見かけない浴衣姿が多く見受けられ、どこか別世界に迷い込んだ気になる。 神社までの道のりには、多くの屋台と人がひしめき合っていた。 入り口で呆けたように呟いた菊丸の後ろから、軽く息の上がった大石やテニス部の面々が追いついてきた。 「エージ……走るなっ!」 「だってだって、すっごぉい人だよーっ!!」 きらきら輝く目はまさしく子供。 それを見た大石は、苦笑しつつもまた走り出しかけた菊丸の襟首をしっかり握った。 「まったく……よくそんな格好で走れるもんだな」 「菊丸先輩、マジで子供みたいっスねー」 「本当。一人だけ小学生がいるみたいだ。あ、二人かな?」 「何でこっち見ながら言うんすか、不二先輩」 くすくす笑う不二を、越前は睨みあげた。 今日は神社の夏祭り。 全員の家からほぼ中間あたりに存在する神社で、祀っているのが変わった神様だというので有名だ。 もちろん、そんなこと知らないテニス部の面々のお目当ては、屋台とその後にある花火だけれども。 「でもちょっと残念だよねー」 からころと下駄を鳴らしながら菊丸が呟く。 「せっかくちゃんも誘ったのにー」 「仕方がないだろう。さん、用事だって言うんだから……」 「でも、やっぱりちょっと残念だね」 仕立てのよい鳶色の浴衣に身を包んだ不二が続ける。 蛇足だが本日全員浴衣姿である。 これだけ個性はあるものの見目麗しい浴衣の少年が固まって歩けばやはりそれなりに人目を引く。 何度か、ちょうちんの光ではないあからさまな人工の光が走った。 「しかも部長もいないんすよねー」 「まぁ、手塚が誘いに乗ってくるとは思ってなかったけど」 それぞれ、わいわい駄弁りながら、屋台を冷やかしてみたりしている。 その間、大石ははしゃぐ菊丸の手綱を握るのに必死だった。 「あっ、リンゴ飴ー!」 「エージ!人ごみで走るなっ!!」 「うにゃ?」 大石に襟足を引っ張られた状態で、菊丸は急に屋台とは別の方角を見つめた。 「どうしたの、英二」 「あれ……」 菊丸が指差した方角。 そこには―――― 「部長?」 濃紺の渋い柄の浴衣に身を包んでいるのは、確かに我らが手塚部長だった。 連れもおらず、屋台に目もくれずただすこし急ぎ足でどこかへ向っているようである。 同じ方角を見た桃城が首をかしげる。 「彼女ンとこ……っすかネェ?」 「手塚に彼女か……。それは面白いデータが取れそうだな」 「尾行てみます?」 興味深げににやりと笑った越前に、本来ならテニス部の良心的砦である河村と大石の二人も他の面々と同じように頷く。 ――――そんなわけで、賑やかな祭りの中、なぜかこそこそと移動する中学生の一団が見受けられる事となった。 手塚は進みなれた様子で人ごみの中を行く。 着慣れているのか、浴衣姿に一分のおかしさもない。 大店の旦那然とした堂々たる姿に、道行く女性も男性もいったん足を止めてしまう。 だんだんと笛の音が大きくなってくる。 やがてやってきたのは神社だった。 広い境内には、先ほどまでより老齢した人々が多く見受けられた。 玉砂利を踏み鳴らし、手塚は本殿に近づいてゆく。 と、そこにいたのは、 「あ、くーちゃん!」 「あ――――っ!?」 大絶叫の大合唱にも手塚も吃驚した。 と、動きにくそうな浴衣なんぞ着てもいないかのように、猛ダッシュで菊丸がやってきた。 「何やってんの、ちゃん!?」 「じ、実家の手伝いを……」 勢いに気圧されたらしいが、やや体を引き気味に答える。 「そうか、ここがの実家だったのか」 さらさらとこんな時でも手放さないノートにペンを走らせる乾。 「ひょっとして、僕の誘いを断ったのってこれの所為?」 不二がにこりと、責めるでもない口調で問えば、は頭をかきながら、 「はぁ。この時期は忙しいから、手伝いに借り出されてるんです」 「手伝いって……なんだ?」 「薫ちゃん、見て分からないかね」 「見てわかんねぇから訊いてんだろうが」 むっとしたように言い返す海堂。 「そりゃそーだ。いきなりこの格好で私は何をやってるんでしょう?って訊いたって妖怪退治にしか見えないよね」 うんうんと一人で納得してから、は、 「ではお答えしましょう。お手伝いとは道案内と巫女さんの代わりにお神酒を売る事です」 なるほど、とそこかしこで声がした。 の今の格好は上は真っ白で、下は赤い袴。 テレビや本の中で見るような典型的な巫女さんの格好だった。 「道案内って何だぁ?」 桃城が聞けば、は少し得意げに、 「記憶力を買われて迷った人への道案内。通称人間カーナビ。ここから出口までの屋台もばっちり網羅。なんだったら全部言ってみようか?えーと、入り口からむかって右に的当て屋、金魚すくい、スーパーボールすくい、イカ焼き……」 「屋台ガイドはいいから、何で手塚部長がここにいんの?」 このままいったら本当に出ている屋台をつらつら説明されそうで、リョーマは慌てて遮った。 「……ヌケガケ?」 不二を取り巻く不穏な空気に、手塚は顔を背け、 「俺はここの裏でやってる神楽を聴きにきただけだ。毎年の恒例だからな」 「ふぅん……」 「ねーねー、ちゃん」 ニコニコ笑顔になった菊丸はの両手をきゅっと握ると、 「手伝いっていつ終わるの?終わったら、俺と一緒にお祭り回ろうよ〜」 「もうじきバイトの人が来るから……それからでいいですか?」 「うんうん!全然オッケー!!」 「え、い、じ?」 の言葉に、ぱぁっと喜色に輝いた菊丸の顔面は、次の瞬間背後から忍び寄るおどろおどろしい空気に一気に青ざめる。 固まった菊丸の体を情け容赦なくべりっと剥がすと、先ほどまとっていた雰囲気など微塵も感じさせないほど穏やかな笑顔で、 「ちゃん、終わるまで僕は適当にぶらついてるから、七時半ごろになったら入り口に集合、でいいかな?」 「はい。七時半ですね。みんなも一緒ですよね?」 「……うん、そうだよ」 一拍の間に気づかぬは、にっこり笑うと、 「了解(ラヂャ)です!」 「おい、!」 「どうしたの、手塚?お神楽見に行かないの?」 勝ち誇ったような不二の笑顔を前に、一瞬怯んだ手塚だったが、持ち前のポーカーフェイスで持ち直すと、 「俺も行く。お前たちが羽目を外さないように監視役だ」 すたすたと一同の中に混じった。 「やれやれ……」 「それじゃあ先輩。私はまだ仕事がありますから」 楽しんできてくださいとが頭を下げると、不二もにこりと笑って、 「うん。お仕事頑張ってね」 「早く終われよー」 「待ってるにゃ!」 桃城と菊丸がひらひらと手を振る。 その後ろを、海堂が無言でくっついてゆく。 「仕事頑張ってね」 「。今から七時に間に合うように終わろうとすれば服を着替える時間を差し引いても……」 「い、乾ぃ〜。あの、頑張ってね!」 「先輩、俺一杯買おうか?」 『越前!!』 わいわい騒ぎながら遠ざかっていく台風を、は姿が見えなくなるまで見送った。 見えなくなってから天を仰いで大きく深呼吸。 「――――よし!」 きっちり気合を入れなおし、やってくる初老の男性に向って微笑みかけた。 売り出して五分もたった頃か。 「あっ!?」 その場に似つかわしくない大きな少女の声がして、とっさにそちらを向く。 やってくる姿には目を見開いた。 (……夢か) そう思ったのも無理はない。 なぜならこちらに走りよってくる姿は、ここにはけしてありえない姿だったからだ。 だがそれにしちゃやけにリアルだ。 頬の産毛を撫でる僅かな風も、立ち上るような甘い酒の匂いも感じる。 おかしいのは、聴覚と視覚だけ……? 「!!」 「杏……ちゃん?」 幻の声が現実へ引き戻す。 「やっぱりだ〜っ!!」 ぶんぶんと両手を掴んで跳ねる浴衣姿の少女は、紛れもなく数少ない友人だった。 「びっくりしたぁ〜。、こっちに越してたのね」 「そりゃこっちのセリフですよ。てっきり九州にいるものとばかり思ってましたから」 「……ねぇ」 「なんでしょう」 「その敬語と距離は何?」 と杏が座っているのは神酒を売っていた場所から離れた休憩所。 杏の言ったとおり、は杏と少々距離を置いた場所に腰を下ろしていた。 「距離は別にいいわ。引っ付きすぎても暑いだろうし。でもその敬語は?久々にあった友達に敬語はないでしょう?」 「いや、でも!」 は慌てたように、 「わ、私の事……覚えててくれたのかぁって……ちょっと、信じられなくて……」 どこか自信なさげに顔を俯けるに、杏はちょっと呆れたような顔をした後、おもむろに近づき、 「いたっ!?」 「あんまり変なこと言ってると怒るわよ」 おでこを指ではじいた。 「だいたい忘れる訳ないじゃない。親友でしょ?」 いたずらっぽくウィンク付きで微笑まれ、 「……うん」 もまた微笑した。 「それに忘れようとしたって忘れられないわよねぇー、あの出会い」 杏がくすりと笑う。 は出会いの場面を思い出して、頬を引きつらせた。 「学校の裏手で不良に絡まれてる所を、忍者よろしく窓から飛び降りたらしいが不良を踏みつけて気絶させて、二人とも唖然としている所に私が"誰"って訊いたら我に返ったらしいが持っていた大型のマスクで口じゃなくて目を隠しながら"大丈夫でしたか、おぜうさん!私は名乗るほどのものではありません。というケチな学生兼正義の味方でございます。それではしーゆーねくすと!"なんて慌てながら逃げる途中でコケて、追いかけようとしたらその場に財布落としてて後日あたしが届けにいったんだもんね」 「そー言う事はきれいさっぱり記憶の底から抹消しちゃって……」 つらつらと一分の狂いもなく引き出される過去の赤っ恥に、は小さくなるしかなかった。 その様子を見て杏は微笑ましそうに顔を緩ませる。 けれど。 そのうち心配げに顔を曇らせ、 「ねぇ……」 「えっ……」 俯いたままだったは、袖を引かれ顔を向ける。 「今、大丈夫?」 「今?えと、七時半から約束があるけど……」 「そうじゃなくってっ」 苛立ったように杏はすこし語尾を荒げた。 「今、"大丈夫"?」 「……」 真剣な表情に。 (ああ) 不安げな瞳に。 (そうか) 言葉の意味をようやっと解する。 はふわりと表情を緩ませると、安堵させるように優しい声音で、 「大丈夫。今ね、友達できたんだよ。なぜか全員男の子だけど」 その言葉と笑みに、ホッとしたように杏は袖を離した。 「よかった……」 「心配してくれてありがとう。杏ちゃんの方は友達……できてるよね。今日は友達と来たの?」 「うん。私のほうも全員男の子ばっか。お兄ちゃんも一緒に来てるのよ」 「――――何っ!?」 は飛び上がった。 「た、橘さんがきてるの!?」 「うん。たぶん入り口の方で待ってるわ。会いに行く?」 は何度も頭を縦に振った。 「い、いく!会いに行く!!ちょっとまってて。二十分……いや、十五分で着替えてくるから!!」 それだけ叫んでは休憩所を飛び出した。 ――――それから本当に十五分後という異例の速さで、浴衣姿のは杏の前に登場した。 「ほら、あそこ」 石畳で始まる入り口に、固まる少年の一群。 その中に見知った顔を見て、 (い、いたっ!) 我知らず体が強張る。 「ほら、いこう」 「お、おう!」 「……?」 「ぁい?」 「手と足が一緒に出てる上、関節が曲がってない」 一昔前のロボットみたいな動作に、杏ははぁっとため息をついた。 「おにいちゃーん!」 「杏ちゃん!」 呼ばれた当人より真っ先に気づいたのは、お化けアニメの主人公みたいな髪型の少年だった。 近づいてくるときに気がついたか、に視線だけ向けながら、 「だれ、その子?」 「こ、こんばんわ」 後一メートルほどなのに足が動かない。 まるでその場に根が生えたようだ。 近づく橘が、こちらを見て少し目を見張る。 「……か?」 「――――っ!は、はい!お久しぶりです!!」 相手の口から自分の名前が出たことにいたく感動して、はぱぁっと顔をほころばせた。 「お兄ちゃん聞いて、ね、こっちに越してきてたんだって」 「ほぉ……」 「うちの神社が、こっこ、ここで……。えと、た、橘さん、髪、切られたんですね」 がちがちに緊張しているせいか、呂律が回らない。 しかし、相手はそれでも聞き取ってくれたらしく、短くなった頭をつるりと撫でると、 「ああ。変か?」 「とんでもないです!!」 は千切れそうなくらいぶんぶんと首を横に振った。 それから顔を俯けて、 「あ、えと。あの。すす、す、凄く……似合うと思います……デス」 「そうか……」 「っ」 ふと、いたわる様な慈しむような優しい声音に、は俯けていた顔を上げると、 「は、はい」 笑みを返す。 顔がとろけそうなくらい緩んだ笑みは、もう自分でも修正できそうになかった……。 それから一緒に来ていたテニス部員を紹介されたりで五分ほど喋り、橘たちは祭り見物へ行ってしまった。 後姿を見送って、ほうっと、薄紅色でもついていそうなため息を吐く。 「……」 躊躇いがちな声に、は振り返った。 驚いた顔は、たちまちのうちに笑みに変わる。 「くーちゃん!みんなは?」 「屋台でも覗きに行ってるんだろう。まだ約束の時間まですこし時間があるからな」 「そっか……」 納得したように頷く。 その頬は、まだ赤いような気がして、手塚は苦いものでも飲み込んだ気になった。 そしてさっきから―正確に言えば三分ほど前から―聞きたくて仕方がなかったことを口にする。 「、お前は不動峰の橘と知り合いなのか?」 「うん。見てたの?」 「たまたまだ」 実はどうしても雰囲気に割り込めなくて、自分でも何をしているんだと考えながら三分間もその場を見つめていた。 なんてこと、言える訳ない。 「橘さんはね、妹の杏ちゃん共々私が九州にいるときお世話になったんだよ。こんな所で会えるなんて思いもしなかったぁ〜」 そういって、また嬉しそうに笑む。 「……ずいぶん嬉しそうだな」 「えっ!?」 指摘すれば、何か隠すように両頬に手を当てる。 「あ、そ、そう……見えた?」 伺う上目遣いの視線に、すこし意地悪な気持ちを混ぜて、 「見えた」 「うわぁ〜……」 俯けた拍子に見えたうなじが真っ赤に染まっている。 「あの、ね。ほら、橘さんって凄くカッコいいでしょ?落ち着いてるし、判断力もある大人だし。だから、かなぁ。ずっと……私、九州にいるときからずっと……」 頬を紅色に染めて、頼り無さそうな、でも嬉しそうな声音に、心中黒いものが湧き上がる。 「私、ずっと……橘さんが……」 「……」 「理想のお兄ちゃんなんだよ!!」 背後に荒波でも背負っていそうな一大告白に、手塚は珍しく瞠目した。 「……兄?」 「そうっ!兄!!私が夢見るお兄ちゃん像にまさしくぴったり過ぎるほど当てはまる人!!だからもう、緊張して緊張して!あぁ〜、また会えるなんて思っても見なかったよぅ!」 目の中に満天の星がすっぽり収まっているかのように目を輝かせるに、今までの自分の心中が馬鹿らしくなってきた。 「兄……か」 誤解は解けて、どこかホッとしている自分がいる。 それがまた、たとえようもなく滑稽に思えた。 相手だと、なぜか余裕がなくなる気がする。 「くーちゃん?」 黙り込んでいると、不思議そうな視線でが見上げる。 「何でもない」 誰も見ていないことを確認してから、目の前の黒髪を撫でる。 普段見慣れない浴衣姿の幼馴染は、気持ち良さそうに目を細めた。 集合時間まであと五分。 それまでは――――このままで。 おまけ。 「でもね、くーちゃんも本当は理想像なんだよ」 「なんのだ」 「そりゃもちろん、理想のおとーさん!」 ――――約束の時間ぴったりの集合場所でテニス部員達が見たものは、なぜか硬直した手塚と、その手塚をおろおろと心配するの姿だった。 |
あとがき
| 不動峰より何だか手塚より何だかよく分からない話。 できるもんならレギュラー陣ももうちょっと絡めたかったです。 せっかくのお祭りなんだからさ…… |