賑やかな帰路
side―鳳 長太郎
「っ!いた!」 コートのフェンスにもたれかかる一人の少女。 一見すればどこの寺で修行中の小坊主かと見間違えるような格好をしているけど、間違いない。 それは、俺がさっきから探し続けていた人だった。 俺は走り出しそうな足を、辛うじて緩める。 いきなり行ったら……きっと逃げられるだろう。 だからゆっくり、ゆっくりと近づいていく。 そして、 「さん」 なるべく穏やかに笑いながら声をかけると、ゆっくりと伏せられていた彼女の顔が露になった。 一瞬視線が絡んで、そして。 「うわあぁぁッ!?」 大絶叫と共に顔を青くし、さんは素晴らしい瞬発力で逃げ出した。 そしてコートの外側、ちょうど角になっているところから顔だけ出して、 「おおお、オ、おおお、オオッ、鳳さん!?」 「……コンニチハ、さん」 そこまで避けられると……ショックです、かなり。 「何、何の御用でせうか!?よもやまた誘拐なんぞ企んでおいでじゃないでしょうね!?」 「ち、違いますよ!!」 俺は慌てて首を振った。 「じゃあ何ですか!?もし今度不届き起こすもんなら即刻警察に駆け込みますよ!!」 昨日の一件で(当然だけど)さんの氷帝に対する評価はかなり悪いらしい。 あからさまな警戒にさめざめ泣きたくなる。 「ほんとに、何もしませんから……」 「……」 何とか信じてもらいたくて、まっすぐさんを見て言い切ると、やっと安心してくれたのか、こっちにやってきた。 それでもまだ警戒しているように辺りをうかがいながら、 「いきなり逃げてごめんなさい。……跡部さんはいませんよね?」 「いません!」 跡部部長がやった事を思えば当然の反応だろう。 脅えるさんに、俺は必死で頭を振った。 「あの……それで何の御用ですか。今くーちゃ……部長以下テニス部全員はいませんよ」 「あ、いえ、テニス部に用があったわけじゃないんです」 きょとん、とさんが目を大きくして、首をかしげる。 俺は目を瞑りながら昨日から用意していたセリフを何度か頭の中で反芻し、意を決した。 「実は……あのっ!」 「、ちゃ〜ん!!」 俺の横を絶叫と共に一陣の風が通り過ぎる。 「わあぁぁッ!?」 さんの悲鳴に顔を上げると、なんと……ジロー先輩がさんを押し倒していた!? 「じ、ジロー先輩!?」 慌ててジャージを引っ張り、離そうとするが意外な強さでしがみついている為、引き剥がせない。 「うっわぁ〜、起きて初っ端からちゃんに会えるなんてマジうれC〜!!」 「何だ、このテンションの高さは!?よもや今までの姿は世を忍ぶ仮の姿ですか!?或いはあなたは生き別れの三つ子!?」 混乱しているのか、さんが意味不明なことを叫んでいる。 「わぁ〜い…わぁ〜…い……」 「……芥川さん?」 「先輩?」 徐々に細くなる言葉。 そして完全に途切れた後、次に聞こえてきたのは、 「グー……」 「寝な――――ッ!!」 さんは絶叫と共にジロー先輩の頭を容赦なく引っぱたいた。 「あんたは吉本新○劇の竜ジィかぁッ!?」 「ちゃん、ナイスツッコミやっ!」 「ありがとうございます。ってぇ、忍足さん!?」 「ええぇッ!?」 驚いて振り返ると、俺がやってきた道の向こうからやってくるのは、確かに忍足さんの姿。 「芥川さん共々何でここに……」 「いやぁ、こっちで○喜劇しっとる奴に会えるやなんて思わんかったわぁ」 「前に関西にいた時期、毎週土曜お昼には必ず見てたんで……って、そうじゃないです!!」 微笑む忍足先輩に、照れ臭そうに笑い返したさんは一拍おいて我に返ったようだ。 「二人ともなんでここに!?って、その前にこの人上にずり上がって来てる!!」 「えっ!?」 と、止めなきゃッ! しりもちをついて何とか上体を起こした格好のさんの腰に抱きついていたジロー先輩の体が、徐々に徐々に上がってきている! 「ちょ、重い。重いってぇ!」 「おい、ジロー。起きぃっ!!」 「ジロー先輩、起きてください!!」 「んぅ〜……」 多少小柄でその上寝ぼけているとはいえ、結構な力でしがみついていたジロー先輩を、忍足さんと俺は二人がかりでやっと剥がす。 「ジロー先輩、何やってんすか!?」 羽交い絞めにした先輩の耳元に思いっきり怒鳴ってみるが、ニ三度呻いただけでダメージはない。 「ちゃん、怪我ないか?」 その間にちゃっかり忍足さんがさんに手を差し出す。 さんは照れたように戸惑いながらその手を――――取ろうとしたところで動きを止めた。 視線は俺のほうを一点集中。 (な、何だろう……) なんて考えてたら、 「宍戸さん?」 『えっ!?』 俺と忍足さんは思わず振り返った。 すると、そこにあったのは今まさに帰ろうとしている宍戸先輩の背中が。 声が聞こえたのか、ぎこちない動きで振り返る。 「よ、よぉ……」 「どーも……」 自力で立ち上がったさんが、服についた土埃を払いながらぽかんとしている。 それは俺も忍足さんも同じで。 「いったいどうしたんですか、宍戸先輩」 「お、俺は、べ、別に……っつーか、長太郎!お前こそ家族に緊急の用事とかで電話に行ったんじゃねぇのか!?何でこんな所にいやがる!?」 「そ、それはッ!?」 何もこんな所でバラさなくても!! 「なんや、鳳。部活サボったらあかんがなー」 「お前もだよ、忍足!腹いたくなってホテルで休んでんじゃねぇのか!?」 「あー、あれ。もう治った」 けろりと忍足先輩が言い放つ。 な、なんて人だ……。 「そういう宍戸こそ、こんな所で何やッてんねん。確かまだ練習ちゃうんか?」 「そ、それは……」 宍戸先輩が怯んだように後ずさった。その時。 「ンあ――――!?」 周りを閑静な森に囲まれたコートに響く、多少高めの叫び声。 「お前ら何やってんだよ!?」 「岳人!?」 「向日!?」 「向日さん!?」 別の方向―俺たちのやってきた道じゃなくて森の中―から姿を現したのは向日さんだった。 さんの前に踊り出た向日さんは、俺達を一通り睨みつけると、 「侑士!お前、腹どうした!?」 「もう治ったわ」 「鳳ぃ!お前家族にでんわはぁ!?」 「あ、も、もう終わりました!!」 「宍戸ぉ!怪我どーした、昨日の怪我が痛むって言ってたじゃん!!」 「なっ、治ったんだよっ!」 「ジロー!お前、また行方不明になりやがって……ッ!」 「……ぐー」 次々指をさしながら喚く向日さん。 さんはというとどうも展開についていけないのか、ぽかーんとした顔を惜しげもなく晒していた。 「お前こそ何しにきてん。練習は?」 忍足先輩の反撃に、今まで強気だった向日さんの態度が弱る。 「お、俺は……」 「ここは俺らの止まっとるホテルと真逆やで?迷ったんやったら道教えたるから早よ帰りー」 「迷った訳じゃねぇよ!」 子供にするみたいな扱いに向日さんがほえる。 「お、俺はなぁ、ただ……」 「ただ?」 「た、ただ……」 「あのぉ〜……」 向日さんがもごもごと口篭っていると、躊躇いがちな声がはさまれた。 それは放ったらかし状態になっていたさんで、 「私、邪魔なら帰りましょうか?」 「帰んなくていい!!」 「うわッ!?」 一斉にハモった全員の勢いに気圧されたらしいさんが、がしゃんとフェンスに背を着いた。 「で、でも私邪魔じゃないですか?」 「じゃないです!どっちかって言うとあなたがメインなんです!!」 「はぁ?」 否定の言葉にさんがまた訳の分からないといった顔をする。 このままずっと先輩たちと話し合ってても埒が明かない。 だったら先にここに来た目的を果たさないとッ!! 「あ、あの、実は、俺!」 「ごめんね」 「えっ?」 言おうと思っていた言葉を横から掻っ攫われた。 掻っ攫ったのはいつの間にやら(まぁ、あれだけ騒いでいれば当然か)目を覚ましたジロー先輩。 「オレ、昨日ちゃんに酷い事したろー?」 「酷いって……あぁ」 思い当たったのかさんがすこし視線を泳がせる。 「悪い事したなって思って……ごめんなー」 「お、俺もです!」 便乗するように俺も名乗りを上げた。 「本当に、昨日は怖い思いをさせてすいませんでした!」 そのまま地につけんばかりに頭を下げる。 昨日俺は――正確に言えばこの場にいない跡部部長や樺地を含めて俺たち正レギュラーの面々はさんを泣かしてしまった。 俺たちのそばにいる間、さんは怒りもしたし、多少だが笑いもした。 だがその全てはまるで銀の刃物のように鋭利な雰囲気を纏わりつかせたものだった。 なのに。 青学へ電話を入れた瞬間、それはメッキのように剥がれ落ちた。 ついさっきまでの硬い表情とは一変、安堵したように微笑み、言葉をつむぐ。 さらに迎えに来た友人らしき人物に駆け寄る姿は――――完全に安心しきった子供の顔だった。 それまでは何を言われても冷たい表情のさんを、悪ふざけのつもりでからかっていた俺だったけど、あの子供の笑顔と、帰る時何度も振り返って、青学の部長へ向けたらしい心配げな瞳が――――いつまでも眼に焼きついて離れなかった。 だから練習を抜けてまでここにやってきた。 一刻も早く――――謝りたくて。 「……俺も、悪かったな」 ぽつん、と宍戸先輩が言った。 「あ、あのさ、あのさ!俺も、その、謝りにきたっつーか何つーか……」 「向日さん……」 「なんや、みんなしてせっかちやなぁ。おかげで俺の言いたい事全部取られてしもたわ」 肩をすくめながら忍足さんも続く。 何だ……全員同じ目的だったんだ……。 「本当に、ごめんなさい!」 もう一度頭を下げて審判の時を待つ。 蔑まれたりするのも覚悟の上だ。 だが痛すぎる沈黙の後、待っていたのは嘲笑でも罵りでもなくて。 「アー、大丈夫です。私、もうとっくに怒ってませんよ?」 ひたすら不思議そうな声だった。 「だ、だって、俺たち拉致監禁寸前な事を……!」 「でも、私跡部さんを抜かして他の皆さんを別に悪く思ってなんかないですよ?そりゃ、あそこにいた間はいつジャガイモの袋に詰められて香港経由で外国に売り飛ばされるか心配でならなかったけど、今は五体満足だし……」 あまりにあっけらかんとしたさんの様子に、宍戸先輩が、 「……、お前変な所で寛大だな」 こめかみを引くつかせて、俺もそれに無言ながら同意した。 さんは、なんでもない顔で頷くと、 「褒め言葉として受け取っておきましょう。でも正直鳳さんが現れたときは驚きましたよ。なんせまたあの人の命令かなんかで私の事拉致りに来たのかと……」 「そんなことしません!!」 俺は力いっぱい否定した。 と、言うか、さんのなかでの跡部部長の位置づけって、『誘拐魔』なんですね……。 可哀想に……、と同情する気になれないのはどうしてだろう? 「まぁ、あの人が関わってないんならいいですよ」 そう言って、さんは笑った。 それは銀のナイフのように冷たい笑みではなくて、涙に濡れた安堵の笑みでもなくて。 まるで夏の日差しのような笑顔。 それが、初めて俺たちに向けられた好意の笑顔だった……。 それから俺たちは跡部部長に色々言われる前に帰る事にした。 また、と手を振りながらさんが見送ってくれた。 「また、か……」 「なんや、岳人。顔赤いでぇ」 「ばかッ!ンなわけねぇだろ!?」 からかう忍足さんにつっかかる向日さんの顔は、言われたとおり赤い。 「また会えたらいーよなー」 にしし、とジロー先輩が笑う。 「また、会えますかね」 「ま、おんなじ東京にいんだから……会えるだろ」 「……そうですね」 宍戸先輩の言葉に、俺は深く頷いた。 |
あとがき
消化不良〜。 話がいつもより強引な気がしてなりません。 氷帝って良くも悪くも個性的だから、書きやすいときと書きにくいときがあるんですよね。 今回は確実に後者です……。 |