夜の情景
廊下に設置された少々古いタイプの電話。 留守番機能がない上に短縮が三つしかついてないらしい。 まぁ、留守番機能なんてついてたってかかってくる電話自体皆無なんだから使う人間はいないだろうけど。 私はそんな事を考えながら受話器をとった。 記憶したボタンをプッシュする。 コール音は礼儀作法の本に出てくる通り三回。 『はい、です』 出たのはすこし低い感じの老人の声だった。 「お祖父さん、です」 『か。元気にしていたか』 「はい。二日も連絡をよこさず、すみません」 『いや、元気ならいい。お父さんに代わろうか』 「お願いします」 答えると、聞こえてくる電子音が奏でる『エリーゼのために』 しかし今日はだいぶと機嫌の悪い声だ。 大方くーちゃんとこのお祖父さんに将棋だか碁だかで負けたんだろう。 容易に想像がつく。 しかし正直お祖父さんがでるとは思わなかった。 私の機械おんちはお祖父さん譲りだからだ。 九十の爺さん婆さんでもパソコンを扱える今、チャンネルを変えるのにわざわざリモコンでなく本体のボタンを使うなんて、この人くらいのものだろう。 変な遺伝もあったもんだよ、まったく。 ぼんやり祖父の姿に思いをはせながら、保留がワンフレーズ終わる頃、 『もしもし』 威厳のある、頭に直接響くような声が代わった。 「お父さん、です。こんばんは」 案外よどみなく言葉は出た。 実はまだ私は面と向って父に"お父さん"と呼ぶことになれていない。 六年も離れていたせいか、何だか気恥ずかしさが先にたつ。 まるで先生か誰か年上の人に変なことを言っている気になるからだ。 けれど電話越しならすんなりと"お父さん"と呼べる。 おかしなものだ。 『体調は崩していないか。そちらは夜冷えるだろう』 「体は平気。夜は……山の中にいるせいか、ちょっとね」 『出かけるときに渡しておいた、アレは使っているか?』 「使えるわけないでしょう、毛糸の腹巻なんて」 電話越しじゃ伝わらないと思いつつ苦笑する。 出かけるとき真面目な顔で袋を渡され、部屋についてあけてみれば唖然とした。 一緒に荷物を解いていた竜崎先生が『いいお父さんじゃないか』と笑った。 お父さんなりの親の愛の示し方なのだろうと解釈したが、はっきり言ってあの腹巻はカバンの奥底で活躍することもなく放ったらかしのままだ。 いったいどこにしまってあったんだろう、キティーちゃんの腹巻なんて。 「お父さんの方こそ、食事とか大丈夫?店屋物ばかり取っていないよね」 『これでも料理は得意な方だ』 「そうだったね」 その点に関しては実はあまり心配していなかった。 確かにお父さんは料理がうまい。 逆に心配なのは母さんの方で……。 あれほど家事運に見放された人も珍しい。 今頃あの人は生きているんだろうか? 『お前はどうだ。ちゃんと食事はとっているか』 「大丈夫。ちゃんと作ってるよ」 『皆さんに迷惑はかけていないだろうな』 「大丈夫……だと思う、多分」 『頼りのない返事だ』 電話越しに滅多にしない苦笑の気配。 お父さんは見た目厳格だが、案外気はいい人だ。 何となく、くーちゃんに似てる気がする。 「そういや、静流さんはどうしてます?」 出かけるとき、さんざんごねていた幼い叔父の姿が頭をよぎる。 『静流君なら今風呂に……あ、ちょっと待ちなさい』 話す所を手で押さえているのか、電話の音が篭った。 そして。 ドタン! バタン! ドタドタドタッ! 文字にすればそんな感じの音がして、 『!!』 受話器から叫ぶような少年の声が飛び出した。 「静流さん……こんばんは」 『何で今まで連絡よこさなかったの!!』 荒い声の隙間からお父さんのなにやら嗜める声がする。 それより静流さんはかなりご立腹の様子だ。 ここは素直に謝っておこう。 「ごめんなさい。色々忙しくて……」 『アイツラには何にもされないね、無事だね!?』 「いや……何をするって言うんです、くーちゃんたちが」 『寝込みを襲うとか、輪姦とか、夜這いとか!』 ……わが叔父はいったいくーちゃんたちをなんだと思っているのだろう。 って言うか、合宿であって林間学校じゃないぞ、私がきてるのは。 いや、それより夜這いなんてどこで覚えてきた? 一度彼とはじっくり膝詰め談判する必要がありそうだ。 「とにかく何にもされてませんし、五体満足きっちり無事ですから安心してください」 『ほんとに、ほんとだね』 「信頼ないな。ウソなんていいませんよ」 『……わかった。信用するよ』 ようやく静流さんは納得してくれたようだ。 ……拉致られたことは言わないでおこう。 『ところで、なんかだいぶ疲れた声してるね』 「あー、そうですか?」 それは無理もないだろう。 なんせ今日一日だいぶハードだった。 "ホストの帝王"なんて肩書きがついてそうな跡部って人に拉致されるは、その後氷帝レギュラーの方々の話し相手されられるは、帰ったら帰ったでリョーマ君を筆頭に今までどこ行ってたか尋問されるは……。 私にとって氷帝と言う所はかなり鬼門になるらしい。 出来るものなら――――せめて跡部って人だけでもいい。 この先、私の人生に関わりを持って欲しくないなぁ……。 『って結構お人よしなところあるから、雑用とかいっぱい押し付けられてるんじゃないの?』 「別に、そんな事ないですよ」 それに押し付けられてるって言うより、自分から進んでやってるって感じだから。 ほら、手伝いにきたのにろくに働きもしなかったら、私何しにきたのか分からないし。 第一、私がここでやってることなんて、家でやっている家事の延長みたいなものだ。 大変な事なんてある訳ない。 「明日の夜頃には帰ります。お土産、何がいいですか?」 『が無事ならそれが最高のお土産だよ』 むぅ、とことん信用がないな。私。 「それじゃあ、切りますね」 『え、もう?』 「これ以上話す事ないし……。そうだ、さっきのドタバタって音、何なんです?」 訊いたら、ちょっと沈黙があって、 『実は……から電話あるってお祖父さんに聞いて、慌てて風呂から飛び出して……』 ――――おいおい、まさか。 「全裸じゃないでしょうね」 『まさか!バスタオルはちゃんと巻いてるよ!……頭シャンプーだらけだけど』 「もぉ!ちゃんと拭いてくださいね!」 そうきっちり釘を刺しておいて、 「それじゃあ、おやすみなさい」 『うん、オヤスミ。あっ……』 「静流さん?」 『……』 「お父さん……」 どうやら静流さんからお父さんにバトンタッチされたらしい。 『……おやすみ』 「……」 ひょっとして、それを言うためだけに代わったんだろうか。 何だか目の前にお父さんが本当にいるみたいな気になって、ちょっと照れくさい。 「……おやすみなさい。お土産、買って帰りますから」 『分かった』 電話が切れると、とたん静けさが満ちる。 廊下は案外暗い。 寂しさが心の隙間に忍び寄る。 「……さっさと寝よう」 まだ九時を回ったばかりだけれど、眠気が全身を支配していた。 今日は、どんな夢を見るんだろう? |
あとがき
初一人称です。 自分で書いてて案外すらすらと書けました。 しっかしテニプリキャラが出てないから殆どオリジナル話ですね(汗) |