再会は嵐のごとく
前編

「くしゅん、しゅん!」
昔の人はいいました。
一つのくしゃみは幸せ到来。
二つのくしゃみは……
「うっわ、寒気してきた……」
災難到来。











「やれやれ……不吉な」
は座り込んだまま呟いた。
腕にはしっかりと洗濯済みのシャツを抱き締め、腰を下ろしているのは地面でなくがっちりとした木の枝。
、現在樹上の住人。
「洗濯モン干してたらいきなり突風だもんなー。おかげで施設から結構離れちゃった」
あたりを見渡してみるが、見えるのはすべて木、木、木、木、青空。
「さっさと帰んなきゃ」
一人呟いて、はふらつきながらも枝の上に立った。
地面まで結構高さがある上に葉が邪魔してよく見えないが、登れたのだから降りれるだろう。
はしっかりシャツを抱き込むと、
「あらよっと」
枝のバネを利用して飛び降りた。




が。




「あっ」
「ウっ」





下に、人がいた。
つ、つぶす――――ッ!?
は目を瞑ってこれから起こるであろう悲劇に覚悟を決めた。
だが――――いくら待っても予想されていた悲鳴も、痛みも、潰した感触もない。
しかも、なんだか地面が温かい上に動いている。
は恐る恐る目を開いて……驚愕した。
こんな印象的な人忘れる訳ない。
「かか、樺地さん!?」
前にインプットされた苗字がすらりと出た。
どうも飛び降りた時、とっさに赤ん坊よろしく抱きかかえられたようだ。
「お久しぶりでございまする。お怪我はありませぬでせうか?」
「ウス」
目を丸くしたまま口が自然とおかしな挨拶をする。
はしばし相手の姿格好をまじまじと見詰めた後、急に顔から血の気を引かせた。
「ひょっとして氷帝も合宿なのでせうか……?」
「ウス」
たしかにジャージを着ているということは家族旅行ではあるまい。
さらに合宿というのはだいたい一人で行われるものではなくて……
は嫌な予感に、体中から血の気が引いた。
「かば、樺地さん……?」
「ウス」
「放していただけませんか?」
「……」
なぜここで黙るかな!?
はとっさに降りようとしたが、がっちり腰をホールドされていて動けない。
さらに抱きかかえられたまま樺地は動き出したりなんかして……。
「ちょ、こら!どこ行くんですか!?放してよ、誘拐!拉致!?強制連行!?くーちゃん、ヘルプー!!
が助けを呼ぶ声は、暴れるあまり手放してしまったシャツと一緒に、空しく青空へと吸い取られていった……。














あ――――!?
ダブルスの練習中だというのに、向日は奇声を上げた。
ギョッとした忍足が、思わず体を強張らせる。
しかし、相棒の様子など気にもかけない様子で、向日はコートに続く小道を指差すと、
「樺地が女連れてるー!?」
「何やてぇ?」
反応して騒々しくなる周囲。
視線の先を見れば、樺地がぐったりしている少女を抱えてやってくる所だった。
「なんやねん、あれ」
「なんだよ、これ。だれだれ!?」
好奇心にかられて、向日と忍足は並んで少女の顔を覗き込んだ。
少女もまた、虚ろな目で忍足たちに目を向ける
それは確かに見たことのある顔で、
『ア――――ッ!?』
忍足たちと少女は互いに指差し確認みたいに指を突きつけた。
「跡部と修羅場やってた奴!?」
「おかっぱ少年とくーちゃんの大阪弁バージョン!?」
『誰がッ!?』
二人の声が見事にはもる。
「おかっぱ言うなッ!!」
「くーちゃんて誰やねん?」
「あっ!?」
忍足の声を遮り、またしても近寄るものがいた。
「何してるんっすか!?」
「お前……あン時の!?」
近づいてきたのは同じくダブルスの練習中であった鳳と宍戸だった。
少女は、疲れたように口元に僅かにだけ笑みを刻むと、
「お久しぶりです、鳳さんに宍戸さん。お元気そうで何よりです」
「名前、覚えててくれたんですね」
「記憶力には自信がありまして」
少女が力なく笑う。
樺地の肩に担がれた不自然極まりない状態では無理もあるまい。
「確かお前は……」
です」
名を告げた少女は、肩に担がれた状態で宍戸に向かいぺこりと礼をした。
「そうそう、だ。……で、何やってんだよ」
「それは……」
「おい、樺地」
が口を開きかけた時、また別の声がした。
この順番で行けば、しかもこのえらそうな声音は……
「出たな、諸悪の根源」
少女が舌打をする。初めて、人間らしい仕草を見た気がした。
ベンチから悠然と向ってくるのは、我らがテニス部の最上部に君臨する跡部だった。
「樺地、下ろせ」
「ウス」
樺地が、跡部の命令にあっさり少女を地面に下ろす。
少女は能面のように表情のない顔で跡部を見つめると、
「本人の意思を無視した強制的なお誘いのことをなんと言うかご存知ですか?」
「"誘拐"、だろ?」
「――――どうも自覚のある莫迦のようだ」
少女は口元を歪めて、冷たく嘲りの色を浮かべた。
「久しぶりだな、
「私は叶うなら一生会いたくはなかった」
「冷てぇじゃねぇか」
跡部が少女の肩に手を掛ける。しかし、少女はそれを無下に払った。
「誘拐魔相手に暖かく接する必要がどこにおありで?――――というか、とうとう障害未遂から誘拐までやらかしやがったな、このご貴族様め」
「誘拐なんて人聞きの悪い。ただ、樺地にお前の姿を見たらなんとしても”招待”しろって言ってあるだけだ」
相手を見下すような跡部の言い草に、少女は耐え切れなくなったらしく一気に頭からつま先まで朱を走らせた。
「だからそれを誘拐って言うんだっ!馬鹿馬鹿しい。帰るぞ、私は!」
「お前、帰り道分かるのか?」
「えっ……?」
踵を返し、歩き出しかけた少女の足が止まる。
聞いてはいけないものを聞いたかのように、振り向いた顔は強張っていた。
「お前、青学までの道覚えてるのか」
「そんなもの……!」
睨んでから、少女はあたりを見回し……
「あれ?」
情けない顔で青ざめた。
「下手に帰ろうとすると周囲はこの森だ。遭難することうけあいだぜ?」
「う〜……」
少女が悔しそうに唸る。
その様子を見て跡部が笑う。
それはもう――――楽しそうに。
「……なんや、あれ」
「あんな楽しそうな跡部初めて見た……」
「なんか、言い争いが心底楽しいみたいですね……」
「長太郎、お前もか。俺も信じらんねぇ……」
呆然とするダブルス二組。
確かにあんな跡部、後にも先にも見たことない。
その場にいた全員の唖然呆然絶句の視線を一身に受けながら、少女は気丈に跡部を睨み付けた。
「ッそう!じゃあどーしろと!?よもやこのまんまテイクアウトなんてする気じゃないでしょうねぇ!?」
「それもいいな」
「オイッ!!」
「冗談だ」
食って掛かる少女を軽くあしらい、跡部はまた楽しげに笑みを濃くした。
「練習が終わるまでまってろ」
「今すぐ送れ」
「だめだ。これから練習なんでな。いい子で待ってな」
「頭撫でるな!!」
撫でる頭を払いのけ、少女がほえる。
それを見て、跡部はまた実に楽しそうであった。














さて今のご機嫌は?、と訊かれれば。
「……激悪」
ベンチに座っては呟いた。
もしも監督だの顧問だのがいれば直談判もできようが、今回に限って運が悪いかな、席を外している。
樺地も跡部の命令を受けどこかへ消えた。
さらに逃げようとしても、両隣にはまるで番犬よろしくメガネとおかっぱがいた。
「なんや、えっらい機嫌悪いなぁ」
「拉致られてご機嫌な人間がいるのならお目にかからせてもらいたいものですね」
「なーなー、アンタ跡部とどういう知り合い?ひょっとして彼女?」
湖に沈めますよ……?
機嫌の悪いところに拍車をかけるようなおかっぱ少年の発言にはこめかみをひくつかせた。
「だいたいあんっな男の彼女だなんて失礼千万極まりない!なに考えてんだよ、おたくは!!」
「えっらい剣幕やなぁ……」
「あの人性格悪すぎです」
「あー、たしかに悪いよなー。あいつ」
けらけら笑いながら頷くおかっぱ少年に、はちょっとギョッとした。
普通こういうとき、フォローを入れるものではあるまいか。
「部の中でも浸透してるんですね、あの人の性格の悪さ」
変な所に感心してしまう。
「まぁな。でも、テニスの腕は一級品やで」
めがね少年が指差す先には、妙に目つきの悪そうなこれまたおかっぱの少年と打ち合う跡部の姿があった。
息も上がらせず打ち合う二人。
間で流れているであろう玉の姿が見えない。
「すごいやろ。あいつの腕は全国級や。おまけにうちの部は二百人もおって、その中で部長やッてんねん」
二百人!?部長!?
は度肝を抜かれた。
青学テニス部も学校側が力を入れていてたいがい部員が多いが、三桁までは行かない。
その頂点にあのいけ好かない少年が君臨している。
信じがたい事実だがあのラリーを見てしまえば――――信じざるを得ない。
「凄い……」
「ちなみに俺らも正レギュラー!」
「ウソッ!?おかっぱさんも!?」
「オカッパゆーな!俺には向日岳人って言う立派な名前があるんだよ!!」
「そんで、俺は岳人とダブルスでコンビ組んどる忍足侑士や。アンタは……ちゃんやったな」
「ええ。この間はお見苦しい所をお見せいたし、真に申し訳御座いませんでした」
立ち上がったは二人に向ってぺこりとお辞儀をした。
「あ、いや。別にそんな……」
向日がつられて礼をする。
「岳人、お前も一緒に何やってんねん」
「うっ……」
向日がお辞儀の状態で固まった。
「しかし、あんたもよくよくおもろいやっちゃなぁ……ちゃん」
「どーも」
くすくす笑う忍足に、はそっけなくそっぽを向いた。
「しっかし、練習っていつ終わるんですかね」
はコートをくるりと見渡す。
誰も彼も、真剣な表情で練習を続けている。
その姿に、たった数十分前に分かれた友人たちを思い出し、うっかり心細くなってしまった。
数十分前には、自分がこうして敵地のど真ん中で似合わない虜のお姫様をやる羽目になるだなんて、夢にも思わなかった。
出来るものなら、そのときの自分の首根っこを引っつかんで、合宿所へ強制退去させたい。
は愚にもつかない妄想を抱いた自分が、いまさらながらにおかしかった。
「……帰りたい」
はがっくり肩を落とした。
「まぁ、そんなに気落ちせんと仲よぉやろうや、ちゃん」
「お二人はこんな所で油売ってないで練習してこなくていいんですか?」
「あいにくうちの大将がアンタをみはっとれって言うとったからな」
「信頼ないな、私」
はふっとため息をつく。
「でも、俺らが目ェ放したら逃げる気だろ」
「無論です」
きっぱり言えば、忍足がおかしそうに笑った。
「ほんっま、正直やな。こういう時はウソでも"逃げません"言うとった方がええで」
「やです。っつーか、マジでたった今すぐ帰りたいんですけど」
「そんなにここいるのイヤか?」
「やです。練習終わってもまともに返してくれるかどうか疑わしい」
はつんとそっぽを向く。何が楽しいのか、忍足はさっきからニヤニヤとこちらを見ながら笑っている。
「アンタ、そこまで跡部のこと嫌い?」
「嫌いですね」
向日の問いに真っ正直に答える
「あの俺様一直線な性格。生理的に受け付けません」
「アンタもわからんやっちゃなぁ。その俺様な性格に目ぇ瞑れば、結構ええ男やろ」
「それは認めます」
は頷いた。
「あの人、カッコいいですよね」
ボールを追う真剣なまなざしだとか、確かな実力だとか、羨ましいと憧れすら抱く。
ルールなんてろくに分からないけれど、テニスをしている跡部を、心底カッコいいと思った。
「……妙な嬢ちゃんやな」
忍足がポツリと呟いた。
「アンタ、跡部のこと嫌いやねんやろ?」
「そうです」
「ほな、なんで褒めんねん。普通はそんな事いわんやろ」
「でも私はカッコいいと思ったから口に出したんです」
あっさり正直に言うと、二人とも目を丸くしていた。
「確かに私、あの人は嫌いです。でも、カッコいいとも思ってます。二百人もいる中のトップだなんて、相当の実力を持ってるんでしょう?相手が嫌いだから、相手の実力を認めないなんてそんなのオカシイです」
当たり前のことを、当たり前に言っただけだ。
なのにどうしてこの人たちはまるで化け物でも見るみたいに唖然とした目をしているのだろう。
「私、おかしい事言いましたか?」
あんまり呆然としている時間が長いので、心配になって声をかけると、忍足は首を振りながら、
「ちょっと、目からウロコやったわ」
「はい?」
「そー言う考えもあんだなぁ……」
向日もほぅーっとため息をつく。
「いや、勉強になったわ」
「はぁ、ども」
感心させられ、なんだかよく分からないけど頭を下げる。
「でもよくそんだけポンポンポンポン嫌いだって言えるよなー」
「だって本当に嫌いだから」
「どういう出会い方したらそないなんねん」
「あー、俺もそれ気になる。きっかけってなんな訳?」
興味深げに二人は問う。
「とかく出会いは最悪でした……」
はため息をついて、口を開いた。
「ちょうど二ヶ月くらい前、知人があの人のナンパに会っているところへ遭遇してしまい、そのあまりの強引さに腹正しさを覚えた私は近くの自動販売機で購入した1.5リットルの存分にシェイクしたコーラをあの人にぶっ掛けて知人を奪還し、そのま逃亡してしまいました
「おいおい……」
息もつかせぬ告白に、呆れたような声が両サイドから聞こえる。
「今思えばずいぶん無茶やりましたよ、くそぅ……」
とにかくその時は手が勝手に動いたというか、とにかく気がついたらコーラまみれの少年から知人の手をとり逃げ出していたのだ。
後からやっちゃったと後悔もしたが別にこちらの名を名乗っていない上どうせ二度と会うまいとたかもくくっていた。
それが……いったい何の因果でいま自分はここにいるというのだろう。
「二回目は二回目でその際落とした生徒手帳をだしに呼び出され、悪趣味な嫌がらせに付き合わされるは……」
は深くため息をついた。
「日ごろの行い悪いかなー、私ー」
遠い目をして日常を思い返す。
……思い当たる事が多すぎてろくに感傷に浸れない。
「いいッつってんだろ!!」
声が聞こえてきたのはが己の思いつく限りの悪行を思い返しているところで。
「何してんだ、あれ」
地面に座った宍戸が、救急箱を持った女の子を怒鳴りつけている所だった。
「別にケガなんかしてねぇよ!」
「で、でも……」
「るせぇな、とっとといけよ!」
女の子はおろおろと遠目からでも分かるくらいうろたえている。
そして視線は向けるものの誰も助けようとしない。
は軽い舌打ちをすると、
「おい、どこ行くねん!?」
制止の声を振り切り、もう一つある救急箱を手に現場へ走った。

あとがき

あまりに長すぎるので途中で切り。
強引な展開なのはご愛嬌。

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