暗雲から始まる日
まだ太陽は海の近くすれすれで輝いている、早朝の事。 そんな朝早くにもかかわらず、ここはすでに人で賑わっていた。 買い物袋を手にした人。 興味深そうに店先を覗き込む若い女性。 リヤカーのなかの品物を客に勧めるおばちゃん。 「いいねぇ、朝市!!」 人のごった返す市場の入り口で、は目をきらきらさせながら言った。 「楽しそうだね、ちゃん」 「ッて言うかはしゃぎすぎ……」 クスリと微笑ましそうな不二の隣で、生欠伸をかみ殺す越前。 時、朝の六時。 普段から寝坊癖のある越前にはかなりきついものがあるだろう。 「ねむ……」 「だったらまだ寝てればいいじゃないか」 「やっすよ、絶対」 越前が不二を睨みつける。 「って言うか、なんで不二先輩が先輩にくっついてきてるんすか」 「荷物持ちは必要でしょ?」 にっこり笑う不二を、越前は胡散臭そうな目で睨みあげる。 「その為に朝の六時から玄関でスタンバッてたんすか」 「そういう君もよくちゃんが朝市に出かけること知ってたね」 「パンフ見ながら目ぇ輝かせてましたからね」 越前は、お返しとばかりに鼻を鳴らす。 「よく見てるね」 「先輩こそ……」 互いに腹の探り合い、がんの飛ばしあい。 時ならぬ不穏な空気が辺りに立ち込める。 「ちょいと、アンタたち」 だがその雰囲気をあっさりぶち破ったのはリヤカーを引いたおばちゃんで、 「アンタたちの連れの子、もう行っちゃったよ」 『えっ?』 驚いて入り口を見てみればの姿はなく、かわりに旅行者らしい若い女性が二人をこそこそ見ながら何か話していた。 一方その頃はと言うと。 「うわぁ、鯖だ!生きた鯖だ!!」 買い物に夢中ですっかり二人のことを忘れていた。 「やっぱりいいなぁ、朝市。新鮮だし安い!」 うっかり踊りだしそうな、浮かれ気分のに、注意力と言うものはない。 「うわッ!?」 「ッと!?」 余所見をしながら歩いていたせいか、は見事に人にぶつかり、しりもちをついた。 「いったぁー……」 「悪ぃ、大丈夫か?」 「あ、はい。だいじょぉ……」 は差し出される手をありがたくとろうとして……止めた。 「何だ、どっか痛いのか?」 ぶつかった相手がすこし慌て始める。 「あ、いや。違います」 は頭を振りながら自力で立ち上がった。 (なんだろう……この感じ) ぶつかった相手は誰かに、似ている気がした。 それも、普段よく知っている人だ。 (これが俗に言うデジャヴって奴か?) 「悪いな、よそ見してたから」 「いや、私もしてたんで……ほんとすいません」 こけた拍子に地面に転がってしまった野菜をお互いに拾っているその最中も、何度となく既視感に襲われた。 短くさっぱり刈られた茶の髪に、動きやすそうなジャージ。 目つきはちょっとつり上がり気味で、額に傷がある。 は自分の知りうる限りの人間と少年を重ねあわせたが、いずれにも当てはまらなかった。 「本当に、ありがとうございます」 ぺこりともう一度頭を下げると、少年もすこし戸惑いがちに、 「いや、俺のほうも人探しながら歩いてたから……」 「人を?」 「ああ。実はオレ、この辺で合宿やってんだけどジョギングの最中連れとはぐれて……」 「連れ……」 言葉が頭の中で引っかかる。 (連れ……あ、あれ?そういや私も……) 「先輩!!」 人ごみの向こうから怒鳴るように呼ぶ声がした。 頭の中からすっぽり抜け落ちていた少年が、人ごみを掻き分け走りよってくる。 「リョーマ君!?」 「あっ!?」 振り返るの声と少年の声が重なった。 「お前、青学の一年の……!?」 「アンタは……」 走りよってきた越前が少年に指をさされ立ち止まる。 間に挟まった状態のは何がなんだかわからない。 「知り合い?」 「あ、ああ。俺は……」 「オレがぼろ負けさせた相手」 「誰がだ!?」 少年がほえる。 なにやら二人の間には確執があるようだ。 は落ち着かなく二人の顔を交互に見ながら、 「えーッと……できれば私に分かりやすいように説明してはくれないかな?」 越前を睨みつけていた少年は、の言葉に、しぶしぶ口を開いた。 「俺は聖ルドルフ学院二年の不二裕太だ……」 「フジ?」 「不二先輩の弟っすよ、コイツ」 「ええぇ〜ッ!?」 は思わず仰天の声を上げた。 「え、ふ、不二先輩の弟さん……?」 何度も瞬きしてまじまじと顔を見る。 一瞬、不二と弟の顔が重なり、は指を鳴らした。 「おぉっ!似てる!確かに似てる!!」 「……どのへんが」 「不二先輩が怒った時の目つきと!!」 『……』 突っかかっていたものが取れて上機嫌のの回答に、質問した裕太も、見ていた越前もぽかんとした。 「あの人いっつも笑ってるからわかんなかったぁー。そうか、先輩の弟さんかぁー。……いつも先輩にはお世話になってます」 「あ、いや。こちらこそ……」 深々と頭を下げるに、釣られる裕太。 「……どーでもいいけど二人とも、店の前で邪魔じゃない?」 「あっ……」 頭を上げると、古びたパラソルの下で野菜を広げて苦笑するおばちゃんと眼があった。 「あ、あはははー。あ、そうだリョーマ君。先輩は一緒じゃないの?」 照れ隠しに話題を変えると、越前の機嫌がさらに悪くなった。 「どうした?」 「先輩、ちょっと来て」 後輩のやけに真剣な言葉に、は表情を曇らせた。 「何かあったの?」 「ちょっとね……」 腕を引く越前の言葉がさらに濁る。 はしばし思案した後、裕太を振り返り、 「不二さん……って言いにくいから裕太君でいいですか?」 「あ、ああ」 「じゃ裕太君、お兄さんの所いきましょう」 「な、何でオレが!?」 驚き、一歩引く裕太。 しかし、はそれを気に止めることなく、真剣な顔で続ける。 「お兄さんが大変みたいです。旅先で会うのも何かの縁。会った方がいいですよ」 「……」 促してみるものの、裕太は動かない。 は思わず眉を寄せた。 「……お兄さんのこと、まだ嫌いですか?」 「なッ、ンな事……。それになんだよ、まだ嫌いってッ!?」 躊躇いがちな口調は、すぐに荒がる。 は、射抜くような視線を真正面から受け、 「知ってます?不二先輩、よく裕太君のこと話してるんですよ」 「えっ……」 が微笑むと、裕太は目を丸くした。 「写真は見せてもらったことないけどね。自慢の弟だそうです。自分のせいで傷つけたこともあったけど、今は何とか仲直りした、大好きな弟だって」 「そんな、恥ずかしいこといってたのかよ……」 赤くなった顔を背け、舌打つ裕太。 その表情には不思議な顔をして、 「恥ずかしい事ないと思う。裕太君も先輩のこと好きでしょう?」 「そっ、それは……兄弟だから……嫌いじゃないけど……」 「私も好き」 なんでもない事のようにさりげなく、けれどはっきり断言すると、裕太となぜか越前も瞠目した。 「優しい人だし、尊敬できるし、好き。怒ると、ちょっとどころかかなり怖いけど」 最後はちょっといたずらっぽく言って 「だからね、恥ずかしいなんて思わなくていいと思う。そりゃ、口に出せって言うわけじゃないけど、心の中で思う分には、恥ずかしいなんて思わないでいいと思う」 最後ににっこり笑って、は結論付けた。 「アンタ……」 裕太がぽかんと呟く。 「変な奴だな」 「どーかん」 「え、え、ど、どこが?」 うろたえる。 「でも……いい奴だよな」 裕太の口元に笑みが浮かぶ。 その表情の変化に、越前は不快気な顔をする。 「先輩。早くいこう。手遅れになる」 「え、あ、引っ張らないでよ」 ずんずんと人ごみをかき分け歩き出す越前。 振り返ると、慌てて裕太も歩き出していた。 だが目的の場所について早々、二人は大後悔する羽目となる。 「まったく色んな所に出ますね、あなたも」 「人をゴキブリみたいに言わないでくれるかな。だいたい君もよく湧いてくれるよね」 「僕はボウフラじゃありませんよ」 「そう?あんまり似通ってるんで見分けがつかないや」 「んふ……口の減らない方ですね」 「君もね」 局地的に吹き荒れる南極使用のブリザード。 それは不二とあと一人、裕太と同じジャージに身を包んだ意地悪そうな美少年が原因であった。 「なに、ですかね。あレは」 「俺の連れ、で……観月さんだ……」 「お連れ様……が、見つかってヨロシかったですね」 「ああ……」 吹きすさぶ極寒の空気に、思わず片言となる二人。 裕太たちの間に挟まった越前は、ブリザードの中心に指を向けると、 「あの二人、止めてよ」 (死んでこいと……!?) 越前の無責任な提案に、二人の思いはシンクロした。 「いい、いったいいつからこれは続いてるんだい?」 慌てて説明を乞えば、舌の根も凍りつきそうな空気にもかかわらず、越前はすべらかに、 「十分くらい前から?先輩がいなくなってすぐにあの人がきてさ」 「可哀想に……」 は市場の人間に同情した。 市場の入り口は見事に誰もいない。 危険を感じ取った一般人も商売人もそれぞれに命が惜しいと思ったが避難したらしい。 これでは商売上がったりだ。 いつまでも放置していれば殺生岩のごとく毒気に当てられる被害者が増えるばかり。 ならば解決策は? 「――――」 は自分の中の空気を全て入れ替えるように、大きく深呼吸をした。 そして。 「不二先輩!!」 足を踏み出すと、買い物袋を前に突き出した。 「先輩!朝市でたくさん買い物してきました!!地元の農家のおばちゃんイチオシのトマトやレタスやなすびをゲットです!ちなみに私と同い年のお孫さんがいるという推定年齢七十代のおばちゃんから大根の漬物もらっちゃいました!朝食のご膳に出したいと思います!あとこの地方の特産品である麦味噌も入手です!!これで味噌汁作るデス!そしてもうちょっと先には海産物をおいているところがありました!海苔や乾物もあるそうです!そこで生きた鯖を見ました!ついでに生きてるヤリイカがいたのでカッテこようと思いますのですっ!!本来なら新鮮なヤリイカは刺身にしていっぱい引っ掛けるつまみに最高なのですが、我々は未成年ゆえに酒はアウトで!!そしてアサリやらシジミやら区別つきませんが貝が売ってたんで味噌汁の具にしようと存じます!!だから不肖ながらお買い物にお付き合いよろしくお願いいたしたい所存です!!」 言い切った後、その場にいる全員は唖然とを見つめた。 ただ一人、だけがすこし顔を赤くし、睨むように固まっている。 (アー!?私は何時代のどこ藩生まれだぁぁッ!?そのうち"ござる"とか言っちゃいそうッ!?) 静かな雰囲気の中、心臓だけがバクバクと早鐘をたてていた。 「……っ」 そのうち不二がふきだして、凍った時間が動き出す。 「そんな一生懸命言わなくったって、買い物にはちゃんと付き合うよ」 その笑顔は普段見慣れたもので、は肩から力が抜けていくのを感じた。 「……しんぞー、壊れそ……」 落ち着きだした心臓を服の上から押さえる。 後ろから、裕太の驚いたような声が聞こえた。 「すげぇ、あの兄貴を止めた……」 「だから先輩探しに行ったんだよ。あんなことできんの、先輩だけだしね」 越前が鼻を鳴らして、賞賛らしいものをくれる。 は少しだけ振り向くと、越前立ちに向ってピースサインと共に誇らしい気持ちで笑いかけた。 とかく危機は去った。 ――――そう思ったのは一瞬だった。 「誰です、あなたは。邪魔をしないでもらいたいですね」 (ぎゃあぁ〜!?魔王(サタン)サマが終わったと思ったら堕天使(ルシファー)サマを忘れてたぁぁっ!!) 目を眇める観月に固まる。 さしずめ気分は西アフリカ産ボールパイソンに睨まれたジパング産アオガエルか。 (怒ってる……確実に怒ってる……) 「だいたいあなたは何者なんですか?」 「お初にお目にかかります!当方、昨日から青学テニス部のお世話をさせていただいております、と申すしがない華道部員にございます!以後お見知りおきしなくたって大丈夫です!」 (嗚呼……私はまた訳のわからん言語を……) 混乱する自身にセルフツッコミを入れて、は固まったままだった。 金縛りにでもあったかのように観月から眼をそらせずにいると、いきなり目の前に何かが立ちはだかった。 「不二先輩……」 「観月、あんまりうちのちゃんをいじめないでくれるかな?」 「おや、人聞きの悪い。いつ僕が彼女をいじめましたか?」 「今」 再びブリザードが吹き荒れた。 (せ、せっかく止めたのに……) しかも今度のの立ち位置は一メートルも離れてない。 まさに嵐、直撃。 この地獄のような時間がいつまでも続くかと思われていた、が。 「だいたい今は君の相手をしてる暇ないんだよね」 「ちょ、どこへ行く気です!不二周助!!」 「悪いけど」 驚いて制止を叫ぶ観月に、不二はの腰に手を添えて、 「君よりこっちが最優先」 「なッ!?」 「せせせ、先輩!?」 耳元にかかる吐息に我知らず顔の赤らむ。 「何やってんすか、不二先輩!」 いつの間にやら越前が不二の手を無下に払い、の腰を引く。 「兄貴……」 「あ、裕太」 思わず声をかけてしまったらしい裕太の姿を見て、不二は嬉しそうに顔をほころばせた。 「久しぶり、元気みたいだね」 「あ、ああ……」 何となく複雑な顔の裕太。 「ルドルフもこの辺で合宿かい?」 「ああ、青学もみたいだな」 「一度遊びにおいでよ。あ、それともこっちから行こうか?」 「よ、よせよ。来なくていいってば」 頬を染めながら眉をひそめる裕太に不二は、 「残念」 と、笑った。 「どう、僕らこれから買い物なんだけど、よかったら一緒に行かない?」 「え、オ、俺は……」 「いいですね、行きましょうか」 実に微笑ましいほのぼのした兄弟の会話に割り込む声。 「……観月、君は誘ってないよ」 「んふ……マネージャーとして部員の行動を管理するのは当然でしょう?」 「ほんとしつこいね、君」 どこまでも絡むつもりらしい観月に、うんざりした様子の不二。 「あの人ついてくる気なのか……」 「どーすんの?」 見上げる越前に、は視線を絡ませると、 「……好きにしてくれ」 諦めきった顔で肩を落としてため息をつく。 ――――それから数分後、店先で買い物をする三人の後ろで、不二たちは相変わらず舌戦を繰り広げていた。 「……この半時間で一日の気力全て削り取られた気がするのは気のせいか?」 「奇遇だな。俺もだよ……」 計らずして意気投合した裕太とは、互いに情けない顔を見合わせ、重々しい溜息を吐いた。 |
あとがき
聖ルドルフ登場。 っといっても裕太と観月のみですが。 途中の長台詞は読みにくいかもしれません。 あと落ちがいまいち弱いですが、ご容赦ください。 |