迷走学園
――――、当年とって十三歳。 彼女は今まで歩んできた人生のなかで、もっとも最大級の危機に直面しようとしていた。 部外者を威圧し、排除するような雰囲気が敷地内から漂う。 すでに殆どの生徒が帰っているのか、茜色に照らされた校門前には誰一人としていなかった。 は門柱に描かれた文字を確認した。 “氷帝学園” 「……よしっ!」 御影か大理石かは知らないがずいぶん立派そうな石柱に、これまた流暢な字で書かれた名を確認したは自分自身に気合を入れると、巨大な学園への潜入を開始した。 その背中は、一介の女子学生などではなく、まるで最前線へ赴く兵士のように悲痛で勇猛なものであった―――― 「……」 敷地内にはいって数分後。 はじめの危機に遭遇。 それは迷子。 青学も相当広いと思っていたが、ここはそれ以上だった。 何せ今の今まで案内板すら見つからない。 だからせめて残っている生徒に会えればと思っていた。 だがしかし。 ありがたくない事に危機はダブルでやってきた。 確かに誰かに会いたかったのは事実。 だがが会いたかったのは“まともに案内してくれそうな常識人(常識人は最優先希望)”であって、けして、けして…… 「行き倒れの人じゃないんだよ……」 道端に身を横たえる少年を前に、は途方にくれた。 “何やってんだ、この人” “学校の名前入りのジャージ着てるって事はここの生徒だよな” “あんまり広すぎて遭難したか?” “現役(予想)の生徒ですら迷う場所?” “よもやこの学校、異次元にでも繋がってるのかッ!?” そんな訳ないと自分にツッコミつつ、とりあえず生存確認。 鼻の前に手をやると風を感じる。腕を取れば脈もある。 では何だ? なぜこんな所で寝っころがってる? (……) 「やっぱり行き倒れか……」 「あ、いたいた、ジロー先輩!?」 が結論を出した瞬間、重なるように声がした。 見れば灰色の髪をした背の高い少年と、その後から帽子を被った少年がやってくる。 二人とも大きなバッグを持って、行き倒れ少年と同じジャージ姿だ。 灰髪少年が走りよってくるが、数メートル手前でぴたりと止まる。 どうものほうを見てびっくりしているらしい。 「あの……どちらさまですか?」 「えと……」 「長太郎、どうしたんだ」 困惑気に見つめ合っていたら、後からゆっくりやってきた帽子の少年がを見て訝しげな顔をした。 「何だ……コイツ……」 「別に怪しいものじゃないです」 「怪しい奴が自分から『怪しいです』なんざ言うか?」 「言いません」 お説ごもっともと思いつつ、は苦笑した顔を向けると頭をかきながら、 「えーっと、実はこの学校に用事があってきたんですけど、迷子になって……」 「激ダサ」 帽子少年が一言で切って捨てる。 こうはっきり切り捨てられれば、いっそ気持ちがいいものだ。 は外国映画の俳優のように肩をすくめた。 「でしょうね。で、迷ってる間にこの行き倒れを発見してしまいました」 「あ、それ、うちの先輩なんです」 灰色髪の少年が行き倒れ少年の前に膝を着き、ぺちぺちと頬を叩く。 「ジロー先輩、ジロー先輩!」 「うぅ……」 何度か嫌そうに目蓋が痙攣して、うっすらぼやけた瞳が覗いた。 「んぁ?」 「おはようございます。お目覚めはいかがですか?」 目があってしまったはとりあえず挨拶をしてみたが、相手の反応はない。 しばらくすると、また瞳は閉じられ、安らかな寝息が聞こえてきた。 「やっぱ無理か……」 「しゃーねぇ、樺地呼んでくるか」 「ですね。……あの」 「ハイ?」 再び寝入った少年をものめずらしく眺めていると、灰髪少年が、 「いったいどこに行きたいんですか?」 と親切にも訊いてくれた。 「へっ?あ、確か男子テニス部、です」 驚いて声が裏返ったまま言葉を返すと、相手も驚いたような顔で、 「え、それじゃあ俺たちと同じですか」 「はっ?」 「俺らはテニス部なんだよ」 「えっ!?」 帽子少年が引き継いだ言葉にぽかんと口が開く。 自分は今、そうとう間抜けな顔をしているのだろう。 帽子少年の口元が歪んだ。 「よろしかったら案内しましょうか?」 灰髪少年のにこやかな笑顔に、は喜色を満面に表し、 「ありがとうございます!!」 勢いよく頭を下げた。 「つきましたよ」 過ぎるくらい目的地にはあっさりと到着した。 ものの五分か十分。 今まで迷っていた時間が何だったのだろうかと視線が遠くなる。 しかしよくもまあこんなに広い場所を今まで見つけられなかったものだ。 青学のコートも十分でかいと思っていたが、世の中上には上がいる。 はしばらく馬鹿のように呆けて突っ立ったままだったが、そのうち後ろの案内人たちの存在に気がついて、慌てて振り向いた。 「あの、ご案内ありがとうございました。えと……」 「ここの中等部二年の鳳長太郎です」 と灰髪少年が言って、 「三年、宍戸亮だ」 帽子少年が短く続けた。 「遅れてすいません。私は青春学園中等部二年で、と言います」 は深々頭を下げると、鳳と名乗った少年がにこりと笑って、 「ここには何のようですか?」 「えと、それは……」 「おい」 「っ!」 どう説明をつけようか、悩むの背後から聞いた事のある声がした。 嫌な予感に顔が渋る。 そう、それはつい先日の休み聞いたばかりの声。 ゆっくり振り返ったの視線に映ったのは『あの時』と同じ、でかいお供を従えた尊大な態度の少年だった。 「遅かったな」 「あなたでしたか。そう思うんだったら地図くらい送ってほしかったですね。おかげで自分の三半規管に自信を失くす所でしたよ」 あくまで見下すような態度の少年に、は何の感情も篭らない平坦な声で応じる。 テニスコートにいる何人かが、二人のやり取りに好奇の視線を向けた。 「ま、無事についたんならいい。おい、鳳、宍戸、案内ご苦労」 「お前の客か」 「まぁな」 顎でを指す宍戸に、少年はにやりと笑って視線をに移した。 はその視線をにらみ返す。 少年は、気分を害したように鼻を鳴らした。 「おい、忍足達が来たら勝手に練習始めとけ。樺地、お前はジロー探しにいってこい。どうせその辺で寝てやがんだろう」 「ウス……」 少年の命令に、のっそりと巨大なお供が従い、ゆっくりのそばを通り過ぎる。 「跡部部長はどこいくんですか?」 「野暮なことは訊くな。ついでについてくんなよ。……行くぞ」 促され、言われるままになるのも癪だったが、今のに選択の余地はなかった。 連れてこられたのはどうもテニス部のクラブハウスのようだった。 なかは規格外に設備がいい。 広いし、ロッカーもなかなか大きいし、冷蔵庫どころか作りのよさそうなソファーまであるのに驚いた。 「適当に座れ」 そう言って、少年は一番上等そうな椅子に腰掛けた。 だがは進められたにもかかわらず、椅子に座る気すらなかった。 そして片手を前に突き出すと、 「さっさと返してください」 「そう、焦んな。何か食うか」 「おなか減ってません」 「茶でも飲むか」 「のど渇いてません」 「酒もあるぜ」 「ずいぶん余裕だな、未成年。今回の件も含めて警察に飛び込まれたいか」 「おもしれぇな……」 睨むに、少年はクツクツと喉を鳴らして笑った。 癇に障る笑いに、はムッとしてさらに手を突き出す。 「さっさと生徒手帳返してください!」 「そんなに大事か、これ」 少年が手の中で弄んでいるのは、の生徒手帳。 伸ばせば手が届くが、それはイコール少年に近づくと言う事だ。 はギリギリと歯を噛み鳴らした。 「大事ですよ!再発行にお金かかるんですよ!!だいたい拾ったんなら警察なりに届ければいいでしょう!なんで学校に脅迫電話なんて入れるんです!?」 「俺は脅迫電話なんざ入れた覚えねぇぞ」 ソファーにふんぞり返る少年の尊大な態度にの頭に血が上がる。 はとうとう声を荒げた。 「あれのどこが脅迫電話じゃないんだ!!『お前の生徒手帳は俺が預かってる。返してほしけりゃ氷帝学園の男テニコートまでこい』で、がちゃんだよ!?名前も言わず!こんなの脅迫以外の何物でもない!!」 「そうか――――そりゃ悪かったな」 少年はソファーから立ち上がると、の前まで大股で近づいてきた。 そのままの顎を掴み、自分のほうを向かせる。 「俺様の名前は跡部景吾。どうだ、これで文句ねぇだろ」 問題点がずれている。 は、顎を掴む少年の手を勢いよくはらった。 「大アリだ!私は別にあなたの名前なんて知りたくない!記憶したくない!抹消したい!!」 「元気のいい奴だな」 「数少ない美徳の一つでねッ」 そう言って、目前の端整で意地悪そうな顔を穴が開くほど睨みつける。 「……ふん」 すると、跡部の形のいい唇が歪んだ笑みの形にかわった。 「気に入った」 「はっ?」 もう一度、顎を指で持ち上げられ、目線を合わされる。 「お前、俺の女になれ」 「はぁッ!?」 一つ目は聞き取れなかったが、かなり嬉しくない事に二つ目はばっちり聞き取れた。 「女だぁっ?」 「そうだ。お前みたいに面白そうな奴他にいねぇ。どうだ、何の苦労もさせないぜ」 「断る」 きっぱり言い切ると、跡部の眉間に皺がよった。 「何でだ」 「嫌いだからだ」 はきっぱり言ってやった。 ここまではっきりものを言ったのは今日が初めて。 ある意味貴重な体験だ。 「たとえあなたが、大金持ちだろうが、かっこよかろうが、強かろうが、大統領の息子だろうが、神様だろうが、悪魔だろうが、私はあなたが嫌いだ。この事実は、一生涯変わることは無い」 言い切った後、ぽかんと跡部は目を見開いていたが、その内肩を震わせ、やがて声を上げて笑い出した。 「な、何!?」 相手の豹変にはよもや気でも違ったかと慌てる。 そのうち笑い飽きたか、相手は顔を上げると、 「――――っ、いいな、最高だ。ここまで面と向ってはっきり言った奴は他にいない。……ますます俺のもんにしたくなった」 は少年の変わらぬ笑みに顔を青ざめさせた。 「あなた頭は大丈夫か!?私、嫌いってはっきり言ったんだよ!?」 「嫌がる奴を宥めすかして征服すんのも面白い」 「私は面白くない!!」 腕をつかまれ、必死に逃げようとしたがそこは一般人と運動をやっている人間との差。 壁に押し付けられ、服越しに伝わる冷たい感触に、の顔色も青ざめた。 「放せ……ッ!」 腕をよじるがびくともしない。 「暴れりゃ暴れるだけ痛い目見るぜ……」 囁きかけるような低い声に、ぞくりと体の芯を怖気ともなんとも取れないものが駆け抜ける。 「やだ……」 こんな奴に好きにされてしまうのかと思うと、強がりで支えていた膝が笑った。 (やだ……やだ……誰か助けて、誰か、誰か……) 視界が跡部の顔でいっぱいになる。 (――――くーちゃん!!) 「何してんだ!?」 突然けたたましい音と共にドアが開いた。 「くーちゃん!?」 涙で滲む目を入り口へ向ける。 だが、差し込む茜の中で立っていたのは、ずっと助けを呼んでいた幼馴染の姿でなく、見知らぬ二人組であった。 (くーちゃん……じゃない) 堪えていた涙が頬を滑り落ちる。 「跡部、何してんねん!?」 「うっわ、マジ修羅場!?」 驚いた顔の手塚に似た大阪弁の少年の前で、おかっぱ頭の少年が驚きの中に好奇の色を混じらせた視線をおくる。 頭の上で、少年が舌打ちした。 「お前ら……邪魔すんな」 「っ!」 押し付けられていた手の力が緩んだ隙をつき、は跡部の腹に思い切り蹴りを入れた。 「ぐっ!」 あまりに突然な渾身の力と怒りの篭った蹴りに、鍛えているらしいとはいえ跡部は床に沈む。 「こンの、色情魔!変態!エセドン・ファン!二度とこんな所に来るもんか!!」 呻く眼下の跡部をさんざん罵倒すると、は言葉もなく立ち尽くす二人組の間を脱兎のごとく通り抜け、 「……」 無言で引き返すと床に落ちた自分の生徒手帳を取り戻し、 「お邪魔しました!!」 今度こそ本当に振り返らず走りだした。 (最悪、最低、大バカ!!最初会った時もやな奴だったけど、だからって仕返しにあんな事することないじゃないか!!だぁーっ!バカ――――――っ!!) 無心に走ったおかげか、数分後は迷うことなく無事、氷帝からの脱出に成功した。 ――――ただ無心になりすぎて、乗るはずのバス停を通り過ぎてしまったけれど。 |
あとがき
氷帝登場。 珍しく今回は青学メンバーが出ません。 そして扱いが悪いようですが、これでも自分は氷帝が結構好きです。 信じてもらえないだろうけど(笑) さて、ヒロインと跡部の出会いはまた今度の機会という事で。 本当はこの回に書くつもりでしたが、書き進めていったら知らない間に話し終わってました。 行き当たりばったり人生万歳です(爆) |