恋々……

「勘弁してください……」
スーパーの袋から無造作に取り出した手紙の山を前に、は土下座せんばかりに深く頭を下げた。






















時は日も暮れんとする夕刻の事。
部活を終えたテニス部一同の前に、一人の少女が立ちはだかった。
その顔には、どこかしら悲痛な色が浮かんでいる。
いったいどうしたのかと河村が口を開きかけた、その時。
少女は手にしていたビニール袋を無造作に逆さに振り、目の前に手紙の山を作ってから、冒頭のセリフを吐いた。
さん、これっていったい……?」
大石が、当惑顔で手紙の山を指差す。
は頭を下げたまま、十年ぐらい老け込んだ声で、
「見ての通り、手紙です」
「いや、それは分かって……」
「おー、大漁だな、
一人事情を知っているらしい桃城が、手紙の山から一通取り出し、背後の先輩諸氏に向かいひらひらと振る。
「桃城君、きみ、面白がってるだろ」
は伏せた頭を上げると、じっとり眉根を顰めクラスメイトを睨みつける。
ニヤリと意地悪く歪んだ口元が、の答えを肯定していた。
「桃城、分かるように説明しろ」
「部長。これ、俺らへのファンレターっスよ」
手塚の言葉に笑ったまま吐かれた桃城の言葉は、少なからずレギュラー達へ動揺を与えた。
「はっ?ファン……?」
聞き慣れないのだろうか。河村が桃城の言葉を反芻する。
「これ全部?ぜーんぶ、俺ら宛て?」
菊丸はわずかに眼を輝かせながら、手紙の山を見つめる。
「へぇ、字にそれぞれの個性が垣間見えて面白いな。あ、海堂。これ、お前宛だぞ」
「ケッ。馬鹿馬鹿しい……」
乾の取り出した一通を横目で睨んだ海堂は、さもおもしろなさげに視線をそらせた。
その隣で、越前も同じ様に眉を顰めている。
「なんで、アンタのところに俺ら宛ての手紙が届くンだよ……?」
「もしかして、ポスト代わり?」
「わぁ、不二先輩。ご名答」
やる気のない拍手で、は先輩の洞察力を賞賛する。
「どうも、私が皆さんと喋っているのを目撃され、それから彼女らの脳内で私のポジションに関して化学変化か何かが起こったんでしょうね。知らない間に私はポストマン扱いですよ。律儀に持ってきている私も私だがな、ハッハッハ」
乾いた笑いは虚しく夕空に吸い込まれ、消えてゆく。
ひとしきり遠くを見つめたは、一転、きりりと真面目な顔になると、
「そんな訳で受け取り拒否は受け付けません。各自、きちんと引き取ってください」
有無を言わさぬ強い口調に、しばらく躊躇っていたレギュラー陣も、やがて各々に宛てられた手紙を拾い集めてゆく。
その過程を見つめていたは、そのうち大きく溜息を吐くと、
「……重かった。乙女の期待と希望と煩悩の詰まりに詰まった手紙は、予想外に重かった……
またしても肩を落として落ち込む。
それから、ぶちぶちと陰気な口調で文句を吐き出した。
「虚しいな……。あんまりにも虚しすぎるよ……。頼むから、今後こういう事はないようにして下さいね。私が鬱になる前に」
「ご苦労さま、さん」
不二が手に余るほどの手紙を抱いて、の肩を叩いて慰めの言葉を掛ける。
は顔を俯けたまま、
「なんだかなぁ……。人生二度目に貰ったラブレターが他人宛ですよ……。色恋沙汰に興味が薄いとはいえ、分かりますか、この虚しさ」
――――ポツリと吐かれたの一言は、面白いほどに場を静まり返らせた。
「……
静かな中にも曰く言いがたい威圧感を孕ませ、手塚は幼馴染の肩を強く掴んだ。
「相手は誰だ」
「くーちゃん?」
幼馴染の見たこともない強い視線に射抜かれ、は困惑気に名を呼ぶ。
と、その肩をもう一方の手が強く掴み、
「誰、そのモノズキ」
「少年?」
静かな言葉の裏に沸騰するような感情を感じ取り、は越前を振り返る。
それから、あれよあれよと言う間にを中心としたレギュラー陣の囲いが出来た。
ある者は躊躇いがちに、ある者は好奇心を前面に押し出し、またある者は言い知れぬ殺気を醸し出しながら、言い方は違えど内容は同じ。
ラブレターの相手が誰なのか。
なぜかそればかり訊いて来る。
聖徳太子でもないは、四方八方から投げ出される質問のどれに答えていいのか、どれを答えてはいけないのか、脳をフル回転させ考え、考え、考え抜いて……。



「だあぁーっ!ぃやっかましいーっ!!」


とうとうぶち切れて絶叫を上げた。
反撃に一瞬怯んだ隙を見逃さず、は包囲網からの脱出に成功する。
、話はまだ……っ!」
「いいだろう、もう二年近く前の話なんだ!終わってるんだよ。詮索しなくても、いいんだ!私のことより、そのファンレターをどうにかしてくれ!郵便屋まがいの事がこれからも続くようじゃ、私手紙恐怖症になっちゃう!」
言い捨てて、止めようとするレギュラー陣の声を振り切り、は夕暮れの学校を飛び出す。
一同はどんどん遠ざかる後姿を、ただびりびりと震える鼓膜を押さえながら見送るしかなかった。






話はそこで終わった。――――はずだった。






数日後。
青春学園の門前には、休みの日だと言うのに見慣れない人影がいた。
明らかに部外者然としたその姿を、ちょうど練習に来た不二が見咎め、声をかけた。
「あの……」
「はい?」
振り返ったのは息を呑むほど美しい少女だった。
腰まであるふわふわした薄茶の髪に、頭の後ろ上部で留められた淡いピンクのリボン。
少々背は高いものの、白のロングスカートに薄桃色のレースカーディガンが、柳のように細さとあいまって可憐な印象を与えた。
気弱そうに伏せられた潤んだ目も、どこか儚げに見える。
「僕はここの生徒ですけれど、何か御用ですか?」
「あ、はい。あの……実は……」
鈴を転がすような声音が小さく告げた。








「はー……つっかれたぁ」
たわしでスコップをガシガシと洗うたび水が飛び散る。
泥まみれのジャージに身を包んだは額の汗を拭った。
「いくら部費が少ないからって、部員に園芸まがいの事をさせるなよ……」
は転入早々、部員の少ない華道部に強制的(泣き落とし)で入部させられたが、自分でも意外なほどすんなりと部には溶け込めた。
今日は副部長の命令で、学園の敷地内にある華道部専用の花壇の手入れ。
小さいながらも健気に花を守る花壇の姿に、自分は休日返上で何をやっているのかとうっかり涙が零れそうになる。
「お疲れ様」
「あ、不二せん……」
軽く落ち込んでいたは、聞きなれた穏やかな労いの声に振り返り、瞠目した。
視線は不二でなく、彼の背後に隠れるようにいる存在に釘付けだった。
「……恵……さん?」
恐る恐る名前を呼ぶと、いないはずの存在が嬉しそうに顔をほころばせる。
「お久しぶりです、さん。覚えていてくださって……嬉しい」
雪の肌をバラ色に染めて、恵は微笑んだ。
驚きから、笑顔を作ることも忘れて何故ここに来たかと問えば、恵は困惑気に不二に視線を向けた。
「――――場所、変えましょうか」
「はい」
提案に、恵は嬉しそうに頷く。
「不二先輩。案内してくれて有難うございます」
何か言いたげな不二に丁重に礼を言い、恵の腕をとると踵を返す。
「あ、そうだ」
は数歩進んだところで立ち止まった。
そのまま振り返らず、
「そこの人たち。ついてきたら――――縁切るよ
――――風が無いのに呼応するかのごとく背後の茂みが震えた。



















つれてきたのは華道部の部室だった。
四畳半ほどの小さな和室は、作られてから一度も畳替えした事がないらしく、黴臭さと花の香とが微妙に入り混じった匂いで満ちていた。
部屋の隅に無造作に積まれた煎餅座布団を来客に勧める。
恵は座布団の上にちょこんと座ると、わずかに眉根を寄せ、
「突然連絡もなしにお邪魔してごめんなさい。驚かれ……ましたよね」
不安げな表情に、頭が勝手に横に揺れた。
恵はホッとしたように微笑む。会話はそこで途切れた。
何度か、互いに口を開こうとするものの、言葉が出ることはない。
意味のない焦りばかりが、二人の間に積みかさなる。
言い知れがたい沈黙に、とうとうが音を上げた。
「あの。お茶買ってきますね」
「あっ」
立ち上がりかけたの袖を、恵の白い手がぎゅっと掴んだ。
「恵さん……」
「お茶なんて結構です。そばに……いてください」
「……」
は無言でまた向かいに座った。
「よく、ここが分かりましたね」
ずっと疑問に思っていたことを問う。
恵は躊躇いがちに、
「人づてに聞きまして……。あの、やっぱりご迷惑でしたか?」
頼りなげな視線にさらされると、どうしても首を横に振ってしまう。
は歪む顔を無理やり笑顔に作り変えると、
「突然だったからびっくりしただけです。――――ご用件は何ですか?」
訊くと、ホッとしていた様子の恵はびくりと体をすくませた。
心なしか震えている様子の恵の顔を、は覗きこむ。
「恵さん?」
「……お会い、したかったんです」
恵は、震える手でスカートをぎゅっと握る。
「ずっと……お会いしたかったんです。この一年、あなたを忘れたことはありませんでした」
伏せられていた顔が上げられる。
黒曜石のような目には涙が溜まっていた。
「あなたには迷惑かもしれません。でも、まだ……あきらめきれなくて」
「恵さん……」
顔を両手で覆いながら震える、恵のか細い肩には手を置いた。
なんと言葉を掛ければいいか。戸惑いながら、何とか慰めようとするが、その方法すら思い浮かばない。
静かな空間は、花の香と途切れ途切れの泣き声に満たされている。
「恵さん……」
は、もう一度伏せられた恵の顔を覗きこむ。
涙で濡れた瞳に、自分の顔が映りこむ。瞬間、恵の瞳に強い光が宿った。
さん……ッ」
「うわッ!?」
いきなり天と地が逆転した。
背中に硬い衝撃を憶えて、息が詰まる。
(押し倒された……)
そう思った時、ぽたりと頬に滴があたった。
目の前に、切なそうに泣きながら見下ろす恵がいた。
「ずっと……あなたが好きでした。今でも、好きなんです。諦められない」
絞るような、苦しそうな声が囁きかける。
古い畳の匂いが鼻をついて、思わず見惚れていたは正気を取り戻す。
「恵さん……痛いよ……」
畳に縫い付けられた両手首の痛さに身をよじるがびくともしない。
さん…………」
「あ……」
影が――――重なった。






















昼も終わりに迫る頃、はため息をつきながら校門へ向かうと、見慣れた一団が門付近を占領していた。
「くーちゃん達!」
走りよると、何人かはなぜかホッとしたような顔で迎えた。
「どうしたの?みんな」
小首を傾げて問えば、越前がなんでもないかのように、
「偶然一緒になっただけっす」
「偶然?」
反芻すれば、不二が隣からにっこりと笑って、
「そう、奇遇にもね」
「はぁ……」
、帰るぞ」
「あ、うん」
歩き出す手塚の後に慌てて続く。その後を、面々もくっついてきた。
しばらくは何気ない会話を続けていたが、何となく全員そわそわしている。
思い当たる節があるは、軽くため息をついた。
「――――なんか言いたい事あります?みんな」
「えっ、な、何がだい?」
大石が視線を逸らせる。
他の面々も顔を見ると、みんな白々しく別の方向を向いた。
ただその中で、越前と不二、それに手塚だけは違っていた。
「ねぇさん、さっきの人……」
「誰っすか、あの人」
、詮索するのはおかしいと思うがあの人は……」
「前に話したラブレターの相手」
これ以上隠し切れないと観念して、はあっさり白状した。
一同にどよめきが走る。
「あ、え、ええ?」
どもる河村。
「うっそ……マジ?」
「信じらんねぇな、信じらんねぇよ……」
「オマエ……」
「それは……計算外だ」
呆然とする面々に、はしみじみと、
「二年……くらい前かな、四つ前の学校で、もらった。断ったんだけどね。まさかここまでくるとは思わなかったよ」
「それで、さっきの人どうしたんすか?まさか……」
越前の言葉に、は淡い自嘲を唇に乗せた。



























「ごめんなさい」
吐息が重なる瞬間、ははっきり拒絶した。
重なりかけていた顔を戻した恵は、信じられないように目を見開いている。
それでも、手首の戒めは取れない。
「どうして……っ!」
「ごめんなさい。私、あなたを恋愛対象として見れないんです」
眼を見て、はっきりと自分の想いを口にする。恵の顔には、たちまち傷ついた色が浮かんだ。
「他に……」
苦しそうな声が問う。
「他に、好きな人がいるんですか?」
は無言で首を横に振った。
「だったら!」
「あなたの事は友人としては好きです。でも、私はあなたに恋はできません」
もう一度はっきりと、強く言い渡す。
恵は何度か信じられないように首を振ったが、やがてうなだれたまま動かなくなった。
「……傷つけるような事しかいえなくて、ごめんなさい」
「――――謝らないでください」
ゆっくりと両腕の束縛が解かれる。
恵は涙を浮かべながら、それでも笑うように震えた声で、
「ごめんなさい。わがままを言って。今のは忘れてくださいね」
笑顔のまま立ち上がると、ドアへ向かった。
起き上がったは、その背を見送る。
ドアが閉まり、走る足音が遠ざかる。
「――――」
――――は初めて大きく息をつくと、その場に仰向けで倒れこんだ。




















「断ったんだ……」
「まぁ、ね」
小さく頷いて話を締めくくったは、語りつかれてゆっくり息を吐いた。
「あの人のことね、きっと友達としては好きになれた。でも、恋はできなかった。じゃあどんなのが恋だって聞かれたら、知らないから答えられないけど……」
先輩、恋、したことないんだ」
「無いね。中二にもなって初恋もまだだよ」
は自分の幼さを指摘されたようで照れ臭くなり、誤魔化そうとして笑った。
「いいんだ。急いで恋なんか探さなくて。ゆっくりでも、私は私の歩みで『本当に好きな人』を探していくから……」
「えり好みしすぎて、気がついたら婆さんになってたりしてね」
「きみのツッコミは時々心の臓を抉るほど鋭利だな、少年」

あまりに容易に想像できる未来に、は疲れも相まってどっぷり落ち込む。
それまで黙っての話を聞いていた面々は、いつもの調子に戻ったと、だれかれとも無くほっとしたように笑った。
「でもさぁ、よかったぁ。ちゃんが女の子に取られなくって!」
「はっ?女の子?」
抱きつきかけた菊丸をするりとよけるとは一言。
「恵さん、男の子だよ?









『ハアッ!?』








全員の声が見事に重なった。
告げられた驚愕の真実に誰も彼も唖然顔。
……それは……」
「フルネームは恵 敬太≪めぐみ けいた≫。確か今は高校一年生」
「な、何で女装なんか……」
河村が酸欠の金魚みたいに、パクパクとわななく口からようやっとそれだけ言う。
「ああ、アレか。あの人はね、自分に似合う服なら何でも着るんだよ。それこそ女物だろうが男物だろうがいとわずね。ひょっとしたらあのへんも私が好きになれない一因なのかもしれない……」



うんうんと一人で納得するの後ろで、テニス部一同は石と化したまま数十分、固まったままだった……

あとがき

異様に長くてごめんなさい(汗)
でもすごく書きたかった話なんです。
いったい何人くらいの人が騙されてくれたかなぁ(をい)

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