午後の来襲
| 「おっじゃまっしまぁーす!」 家というよりもはや屋敷と呼んだ方が良い手塚邸に元気のよい声が響く。 「よく来たな」 玄関まで出迎えた手塚はさすがに休日のためゆったりした私服だ。 迎えられたも長袖の薄手シャツにクロップドパンツとかなりラフ。 「おばさんは?」 家のシンと静まり返るような静けさに、は靴を脱ぎながら問う。 「友人と芝居を見に行った。夕飯も済ましてくるそうだ」 「おじさんも仕事?」 「ああ。休日出勤だ。あと祖父は……」 「うちのお祖父さんと将棋だか碁だかをやりに、だろ?ここくるまでにすれ違ったよ」 ニッと笑って言い返せば、手塚はそれ以上言う事はないといった風に背を向けた。 「昼食はどうする。一応店屋物を取るくらいは置いていったが……」 「魚が食べたい。あ、夕飯もここですまして良い?私、作るから」 「好きにしろ。ところで、肝心のものは持ってきているんだろうな?」 「当然。肝心要のものだからね」 は持っていたカバンをパンパンと軽く叩いた。 事の起こりは昨日のこと。 「くーちゃんにおりいって頼みがある」 自分の部活を終えたはまっすぐコートへ向かうと、手塚に会うなり真剣な顔で開口一番そういった。 「いったいどうしたんだ、改まって」 「宿題を教えてほしい」 「宿題?」 訝しげな手塚に、は頷きながら、 「ここの勉強、結構進むスピードが早くて置いていかれそうだから、見てほしいんだけど……」 必死に説明するが、表情を変えない手塚にはしゅんとなって、 「駄目…かな。くーちゃん、忙しそうだし……」 「それの提出期限はいつだ」 「えっ、月曜だけど……」 「日曜がちょうど空いている。宿題をもって俺の家に来い」 そっけないが、承諾の言葉に、は満面の笑みを浮かべると、 「――――ありがとぉっ!」 勢いよく頭を下げた。 だがこの時点で二人は――少なくとも手塚は気づくべきだった。 その場が、いまだ部活の真っ最中だったと言うことに…… 開け放たれた庭に面した障子から、心地よい風の通る広い居間で、さぁ始めようかと宿題を広げた時、玄関の方で軽やかにベルが鳴った。 「誰だろう……私いって来る」 立ち上がりかけた手塚を手で制して、は玄関へ向かった。 慣れた手つきでインターフォンを操作する。 「はーい、どちらさまですか?」 『こんにちは、手塚君いますか?』 「不二先輩!?」 インターフォンから聞こえたのは確かに不二の声。 それにカメラに映し出されているのはテニス部の面々。 はあわててその辺にあった下駄を突っかけると、玄関を飛び出した。 門の所には、確かに見知った顔が団体でいる。 「みんな、どうしたんですか!?今日、部活は無いんじゃ……」 「そー言う先輩も、部長ン家で何してんの?」 越前の不審そうな視線を受け、は頭をかきながら、 「や、私は勉強見てもらおうと思って来たんだけど……」 「何の騒ぎだ」 「あ、くーちゃん」 「やぁ、手塚。こんにちは」 門の前に集まった面々を見て手塚は眉間に皺を寄せる。 「お前たち……いったい何なんだ……」 「実はね、みんなとそこでばったり会ったから、どうせなら手塚ン家で勉強会でもやろうかって来たんだ」 不二のにこやかな説明に、手塚は眉間の皺を三割増で刻み、 「なぜ俺の家なんだ」 「手塚の家が広さ、環境、共に他のメンバーの家より勉強に適しているからだ」 乾が、ノートをぱらぱら捲りながら本当に書いてるのかどうか疑わしい説明をする。 手塚は、乾の解説を聞いているのかいないのか一同をぐるりと冷たい目で見渡して、 「……とにかくお前たち帰れ」 「ヒドイっすよー!せっかくここまで来たのにー!」 「そーだ、そーだ!手塚、ひどい!!」 桃城と菊丸の二人が理不尽だとキャンキャン、犬のようにわめく。 しかし、手塚の顔はそれがどうしたといわんばかりの無表情である。 「くーちゃん……」 は手を出しかねて、手塚の影で小さくなっていた。 「お前たち……」 「手塚、ごめんな、門前で騒いで」 「そう思うんなら大石。全員連れて帰れ」 申し訳無さそうな大石に、手塚はこめかみを抑えたまま、静かに帰宅を促す。 しかし、大石は困り果てたように眉を下げるだけでその場を動こうとしない。 「あの、一応手ぶらじゃ悪いからうちの寿司持ってきたんだけど……」 「おおっ!」 河村が頭をかきながら出した『河村寿司』とプリントされた紙袋を見て、は思わず手塚の影から飛び出すと、 「くーちゃん!お昼ごはん確保!!」 ――――の寝返りにより九対一。多数決によりこの勝負、手塚の負け。 テニス部一同は、部屋に入るや銘々物珍しそうにあたりを見回した。 「うにゃ〜、凄いよこの家。掘り炬燵がある〜」 押入れから人数分の座布団を取り出したは、嬉しそうな菊丸の様子を微笑ましく見つめる。 「さすがに時期外れだから使えませんけどね。って菊丸先輩、潜らない!」 「先輩、庭にあるあの動く竹、何?」 庭を見ていた越前が、やっとの思いで掘り炬燵から菊丸を引っ張り出したを呼びつけ、質問する。 は越前の横に屈むと庭の一角を指差した。 「添水≪そうず≫。あるいはししおどし。水の流れと音を楽しむモノ。一般家庭にゃ流石になかろうね、ああいうのは」 「ヘェ……よく知ってるね」 隣にやってきた不二がにこりと笑う。 も照れ隠しに「そうですか」などと言いながら頬をかいて笑った。 その後ろでは、乾が鴨居のなどをいちいち触ってチェックしながら、 「なるほど。なかなか広いな。この部屋だけで二十畳は……」 「乾先輩、そんな事書き付けてどうするんですか。不動産屋さんじゃないんだから……」 「ところでお前たち」 わいわい騒いでいた面々は、廊下側から聞こえてきた機嫌の悪い声に振り返った。 そこには人数分の茶を持った手塚が、 「何をしに来たんだ」 「アッ」 その場で勉強会の準備をしていたのは、大石と河村だけだった…… そんなこんなで始まった勉強会。 もちろん静かに進むわけなんか無くて…… 「ごめん、薫ちゃん。そこの消しゴムとって」 「か、薫ちゃん!?」 呼ばれた本人ばかりか周りの人間も仰天した。 だが言った本人だけが、 「ん?どうしたの薫ちゃん。早く消しゴム取ってってば」 「テメェ……妙な呼び方すんじゃねぇ」 ぎろりと睨まれ、はきょとんと、 「え、何で?名前、『海堂 薫』でしょ?あ、まさかこれ偽名か。ペンネームか?」 「んなわけあるか!?」 海堂の鋭い一喝に、「だろうな」と言いながらは頭をかいた。 その脇で、桃城が鼻で笑うと、 「、止めとけよ。こんな奴名前で呼ぶ必要ねぇって。マムシで十分だヨ」 「てめぇは引っ込んでろ、ボケ!」 「何だとコラッ!」 「やるかっ」 「……私は良い名前だと思うけどなぁ」 一触即発しそうな雰囲気の中、は真剣に、 「だってねぇ、親が願いを込めてつけてくれた名前だよ?薫ちゃんは自分の名前、嫌い?」 「好きじゃねぇ」 「そうか。私は、好きだけどね」 「なっ」 は目を見開く海堂に向かってにっこり笑い、 「綺麗じゃないか。『風薫る』とか『薫風』とか爽やかで。名前聞いたとき、“あ、なるほど”って納得したくらいだしね。おまけに言い易いときたもんだ」 「お、オマエな……」 めずらしくうろたえた様子で海堂が言いよどむ。 隣では、桃城がなんだか面白く無さそうに眉を顰めていた。 「あー、でも本当に嫌だったらもう言わないよ。……ダメ?」 「……ッチ」 眉尻を下げるに、海堂は舌打ちをして顔を背けると、 「……好きにしろ」 「ご許可くださりありがとうございます」 はにこりと満足に笑った。 「先輩」 「うぉわッ!?」 本人の許可が出てほのぼのしていたは、いきなり後ろから肩を引っ張られ倒れかけた。 引っ張った相手は越前だった。 「なに、少年。どうしたの」 「先輩、国語得意?」 見れば、手に漢字の羅列の並ぶノートを手にしている。 「うん。漢字の読み書きは得意だけど……」 「じゃあ、教えてよ」 「でも、私よりくーちゃんとか不二先輩の方が教え上手だと思うよ?」 引っ張られた状態のまま、提案すると越前は一瞬ムッとした顔で頭を振ると、 「いいから教えて」 と言い張った。 「」 「はい?」 が呼ばれて横を向くと、いつもの仏頂面で手塚が、 「まだ半分も終わってないだろう。自分の分を早く済ませてしまえ」 「…部長、話の邪魔しないでもらえます?」 越前がムッとしたように言い返す。 「邪魔をしているのはどっちだ。やる気が無いのなら帰れ」 「……横暴」 は掴まれた肩を撫でながら、小首を傾げた。 なんだか、二人の間で火花が散っているように見えるのは気のせいだろうか。 そんな訳ないと決め付けて、は視線を二人から外す。 「あれ?気づけば昼が過ぎている……」 アンティーク調の柱時計は、ちょうど十二時半を指していた。 はメンバーの顔をくるりと見渡すと、 「いったん中断してお昼にしませんか?」 「さーんせぇい!うにゃあぁ〜、腹減ったよぅ〜」 「こら、英二!寝っころがるな!!」 「結構時間経ってたんだね」 不二が筆記用具をしまいながら息をつく。 「くーちゃん、冷蔵庫の中身と台所使っていい?」 声をかけると、まだ後輩と睨みあっていた手塚がやっとこちらを向いた。 「何をするんだ」 「この人数じゃ、河村先輩の持ってきた寿司だけじゃ足りないでしょ?私なんか作るよ」 「えっ。さん、料理できるのかい?」 大石の言葉に立ち上がったは、 「出来ますよ。小さい頃から母親が仕事で忙しくて、自然に覚えたんです」 少し得意げに胸を張る。 「あの、俺手伝うよ」 「助かります、河村先輩」 控えめに助力を申し出てくれた先輩に、感謝の念を表して、台所へと向う。 「本当に食えるもの作れるんだろうな……」 「大丈夫だって」 海堂の呟きを聞きとがめたは、半分空いた障子から明るく笑った顔を覗かせると、 「でもなんだったらすぐ対応できるように胃薬と救急車と葬式の用意しといて」 「不安を駆り立てるな……」 不吉な冗談に、手塚は顔に片手をあてた。 「先輩、手際いいですね」 ササガキゴボウを炒めていたは、河村の手の中で花形に整えられてゆくレンコンを見て、感心しながら呟いた。 河村は照れくさそうに、 「家でよく手伝ってるからね。さんも上手だね」 「ありがとうございます」 は素直に礼を言った。 「私ね、殆どの料理、くーちゃんのおばさんに教わったんです。すごくうまいんですよー。ふろふき大根なんか絶品」 自分ではどうしてもあの味は出せないと、は苦笑した。 「手塚とは家族ぐるみの付き合い?」 「はい。お祖父さん同士が碁敵だか、将棋敵だかでよくお互いの家を行き来してて。本当、物心ついたらすでにくーちゃんと一緒に遊んでました。だから戻ってこれるって分かった時は嬉しすぎて寝れなかったです」 「それだけ、好きなんだね」 「はい、大好き」 臆面もなく笑いながら言うと、河村が顔を真っ赤にしていた。 「えっと、つまりそれって……」 「私、家族の次にくーちゃんが好きです。誰かに訊かれたら、胸張って大好きって答えられるくらい。でも――――たぶん恋じゃない」 「えっ……?」 河村は手を止めた。 は作業を続けながら、 「くーちゃんは大好き。すごく好き。でもその気持ちに恋って名前をつけるのは、ちょっと違うような気がするんです。ひょっとしたら、いつか恋に変わるかもしれない。でも今は、違う。と思う。大好きだけど違う。どこが違うのか、よく分からないけど……」 言葉がゆっくりフェードアウトしてゆく。 自分でも正体の知れない感情を他人に伝わるように言葉にするというのは案外難しい。 しかし、の拙い表現に河村は呆れるどころか逆に慈しみすら感じる声で、 「……さんは、すごく手塚が好きなんだね」 しみじみ言われた言葉にはびっくりして、視線をフライパンから河村に移した。 河村が、こちらを見ながら穏やかに笑っている。 は、なんだか急に照れて熱くなった頬をかきながら、 「あ、いや、普段は、こんなこと喋りませんよ?人や、くーちゃんの前ならなおさら……。でもなんか、河村先輩って喋りやすいっていうか、この人なら安心できるなーって、さらっと口が滑ったと言うか……だから、その……」 は俯いたままぼそぼそと小さな声で、 「すいません……何言ってんのか全然分かんないや……」 「本当に好きなんだね、手塚の事」 菩薩のように笑う河村を見て、はすこし誇らしい気分で笑い返した。 「はい。大好き!」 「……」 部屋に戻った手塚は、無言で自分の場所に座った。 「あれ?どこいってたの」 「すこしな」 「…ねぇ、手塚」 「何だ」 「顔、ちょっと赤いよ?」 「……気のせいだ」 「――――案外心配性だね」 いつも以上にぶっきらぼうな返答に、不二はすこし目を開けてくすりと笑った。 数十分後。 居間はめっきり騒々しかった。 「うまい!、このきんぴらマジでうまい!!」 桃城の賞賛にはにっこり笑って、 「ありがとう。それは私が作ったんだ。こっちの含め煮は河村先輩。いい色だよねー」 「先輩、そこの白和えもう少し取って」 「はいはい」 越前の差し出した小鉢を受け取ると、は斜向かいに対して、 「薫ちゃん、美味しい?」 「……不味くはねぇ」 そっけない一言を賞賛と受け取り、はにっこり笑った。 「ちゃん、料理上手だにゃ〜」 「うん。これならすぐにお嫁にいけるね」 「おい。不二、菊丸」 二人の発言に手塚は眉間に皺を刻み、言われた本人はからからと明るく笑い飛ばした。 「やだなぁ、不二先輩。日本の法律では女は十六になんなきゃ結婚できませんってば」 「でも同棲はできるよね」 「不二ッ!」 「ふむ、全体に野菜が多いな」 食事の最中だというのに乾はノートを手放さない。 「足りません?だったら池の鯉捕まえてあらいにしてこようかな」 「ッ!?」 大石が茶を噴出す。 「ちょっと、さん!?」 「お、おお、大石先輩、冗談ですよ!だいたい一匹八桁のあらいなんて恐れ多くて食う気しませんって!」 は叫ぶと布巾を手に、慌てて大石の元へ飛んでいった。 「お前たち……すこしは静かに食えないのか……」 ――――かくて、手塚の呟きに耳を傾けるものなどおらず、騒々しく昼は過ぎてゆく。 楽しい昼食の場には、当初の目的を思い出させようとする無粋な輩など一人もいやしなかった。 |
あとがき
| 逆ハーっぽく……なってりゃいいなぁと(あくまで希望) 個人的に河村先輩と海堂、好きです。 だから今回はちょっと出張ってみせたり…… ちなみに、本人アニメしか見てないんで、細かい設定には目を瞑っていただきたい。 そして無駄に長いです(汗) |