タダイマ
私立青春学園。 テニスの強豪校として知られ数多くの大会で名を残す有名校。 普段なら沢山の生徒で賑やかなはずのこの学校も土曜のためか、時々運動部の練習の声がするくらいでめっきり静かだ。 その青学の中庭で、校舎の影に蹲りながら唸る不振人物が一人、いた。 「だいじょーぶ、だいじょーぶ。たかが六年。……されど六年。六年経ったら零歳児でも小学校入学……。でも健康なお年寄りなら五十年前のことでもきっぱり覚えてるんだし、相手はピッチピチの男子中学生なんだから多分覚えていてくれるはず。っていうか覚えててくれないと困るんだよ。主にワタシが、後のリアクションに。でもなぁ……六年前つったら小学校三、四年。よっぽどインパクト無いと覚えてないよねぇ……。あー、もう!うだうだ考えてると頭痛くなるっ。ええぃっ!当たって砕けろ!!」 「何やってんの?」 「どわぁッ!?」 勢いよく立ち上がって振り返った瞬間呼びかけられ、心臓が引きちぎれたような悲鳴を上げると、今まで頭を向けていた壁を背中に張り付いた。 バクバクと飛び出しそうな心臓を服の上から押さえる。 しかし、こっちの動揺なんてお構い無しに、 「ねぇ。何やってんの」 と、相手は訊いた。 「あ、あの。えと……」 なんと答えようか言いよどみ、視線をうろつかせると、相手はさらに訝しげな顔をして、 「あんた変質者?」 「ちっがうッ!!」 とんでもない問いかけに思いっきり首を横に振る。 しかし相手は訝しげな顔を崩さずに、さらに追い討ちを掛ける。 「だってどー見たって不審人物じゃん」 「やっ。なんか言動が妙だったのは謝る!実はちょっとここのテニス部に用事があって、それで行こうか否か迷っていたんだっ!だからけして怪しくは無い!!信じて!!」 青く引きつる顔で必死に言い募るのを、相手は何とか納得してくれたようだ。 「ま。どっちでもいいや」 と、その少年は被っていた帽子を深く下げ歩き出した。 その変わり身の早さに背中をぽかんと見送っていると、少年は振り返り、 「何やってんの。行くよ」 「えっ?」 「テニス部。オレ、案内したげるよ」 「本当!?」 ぱぁっと気分が高上する。 「行くの?行かないの?」 「行きます!ありがとう!!」 拝まんばかりに勢いよく頷くと、少年はちらりとこちらを見て、そのまますたすた歩き出した。 あわててその後を追う。 しかし隣に並んだが会話は無くて、仕方なしに少年を観察する。 さっきは気づかなかったがひどく綺麗な少年だ。 陶器の肌に長いまつげ。 帽子の裾から緑なす黒髪が、さらさらと風に遊ばれる。 少々つり上がり気味の大きな金の目が、小柄な体と相まってまるで、 (勝気な猫といった風情かな?) 「なに見てんの」 視線に気づいたのか少年が見上げる。 「ちょっと見ほれてた」 正直に言うと、少年は面食らったように金色の双眸を見開いた。 (何言ってんの、コイツ) 少年は瞠目していた。 さっきからじろじろ見てたかと思えば『見ほれてた』 (バッカじゃない?) 考えながら、横顔をお返しのように見返した。 服装は大き目のパーカーに動きやすそうなズボン。 容姿は……これと言って特徴的なものは無い。 一応十人並みで日本人であるという以外、外見から得られる情報は無い。 ただ――――さっき感じた過ぎるくらい透明な視線が印象的だった。 「着いたよ」 少年は横を向く。 だがしかし、 (ああぁー、三メートル。この三メートルの見えない壁がぁぁぁ〜……) 本当に壁があるかのようにフェンス三メートル前から足が動かない、動けない。 (やっとここまで来れたのに……) 見えない壁に縋りつき、項垂れれば案内役が呆れた口調で 「今度はパントマイム?」 「越前!何やってんだい!?」 少年の声と重なるように、コート内から女性の叩きつけるような激が飛び、反射的に顔を上げる。 (――――あっ……) 瞬間、フェンスの網目越しに目に飛び込んできた後姿。 それは記憶の中の、探していた人に酷似していて――――。 「――――くーちゃん!!」 叫んでいた。 振り向く姿がスローモーションのように映る。 振り向ききったのは大人びた顔。 それを頭が認識したと同時に、 「――――ッ」 笑えた、はずだ。 頭の中では笑ってる自分が再現されていた。 多分、実際は泣き笑いのように複雑でくしゃくしゃの顔だったろうけど。 相手はびっくりしたように目を見張り、それから走ってきた。 「すこし出ます」 ベンチに座っていた大柄な女の人にそう言って、こっちに近づいてくる。 「くーちゃん……」 「こっちに来い」 引きずられるまま、その場を後にする。 ――――二の腕を掴んだ手の強さに、形にならない言葉がこみ上げてきそうになった。 残されたテニス部の面々の状態を的確に表現するならばまさしく、『鳩が豆鉄砲食らった』ような状態。 「……今のって」 「くーちゃんって……」 大石・菊丸ペアが揃ってボーゼンとしている。 河村の手からはラケットが滑り落ち、乾の持っているコップからは注ぎすぎた野菜汁がこぼれて地面に水玉を作っている。 海堂の手から滑り落ちたボールの弾む音が、青空に異様に響いた。 「……」 一番初めに時間を取り戻したのは越前だった。 「あ、越前!どこ行くんだよ!?」 桃城の言葉に、走り出した越前は振り向かず、 「ちょっと休憩」 「スミレちゃん、僕も」 不二がコートを出る。 その後を、我も我もとレギュラーが続いた。 つれてこられたのは、中庭だった。 伸びかけた若草の青々しい絨毯が風にさざめく。 「……いつ戻ってきた」 掴んでいた腕が手放された。 平坦な声だけわかる。 俯いているから、目に飛び込んでくるのは草の緑ばかりで相手の顔は見えない。 服の上から押さえつけた心臓が、妙なリズムを刻む。 逸までも黙っている事に業を煮やしたか、不審そうな声が頭の上から降ってくる。 「――――どうしたんだ」 「くーちゃん」 「何だ」 「……私、誰か覚えてる?」 口の中がからからに渇く。まだ、怖くて前は見えない。 そのくせ、耳だけは一字一句も逃すものかとばかりにやけに冴えていた。 「…… 」 溜息に続くように聞こえた言葉に、はっと顔を上げた。 「。六年前に引っ越していった友人。確か今年で中学二年。どうだ、俺の事は覚えているか」 「……手塚国光。六年前に離れちゃった私の幼馴染で、いっこ上で、私の……一番の友達」 呆然と、口が勝手に動いた。 目の前の少年は、記憶の中にあるより背が高くなって、端整な顔に磨きがかかってて、でも仏頂面で、声も低くなってて、でも確かに『幼馴染のくーちゃん』で…… 「……っう」 ぼろりと、熱いものが頬を滑り落ちた。 「ッ、!?」 「……かった」 「何だ?」 「良かった……忘れられてない」 そう実感した時、熱いものの正体がわかった。 涙だった。 壊れた蛇口のように、涙が後から後から湧いて頬を、顔を濡らす。 「よかったよぁ……憶えててくれた……」 口の中が塩っ辛い。 何度目を擦っても、涙は止まらなかった。 「忘れられてたら……どーしよーってずっと……もう帰ってっ、帰ってくるの決まってからっ、心配で……」 「……忘れるわけ無いだろう」 ふわりと、頭にタオルが掛けられる。 「拭け」 短い言葉に頷いて、涙を拭う。 「くーちゃん……」 「鼻水はつけるな」 「……汗臭い」 「我慢しろ」 頭の上から降るすこし不穏な声。 それは、記憶の中にあるよりもだいぶ低い。 (声変わり、いつの間にしたんだろう?) 年月は、確実に流れている。 そう思うと、またぞろ泣けてきた。 「忘れてない……私忘れられてない……」 「お前はそんなに俺の記憶力が疑わしいのか?」 「だ、だって……」 いったん深呼吸して、つっかかる咽喉を直してから、 「今までのみんなは……忘れてたから」 ぎゅっと貸して貰ったタオルを握り締める。 「転校するたびに忘れないでってみんなから言われて、でも町でばったり会って話しかけたら忘れられてて……そんな事、ばっかで、くーちゃんまでそうだったらって、怖くて、忘れられんの、ヤで……」 何度も何度も繰り返してきた。 『忘れないでね』『忘れないから』『ずっと友達だから』 でも、本当に憶えててくれる人は少なかった。 忘れられるのは、イヤ。 だったら最初から、友達なんて作らなければいいと思ってた。 憶えていなければ忘れられることもないから。 でも――――本当は憶えててほしかった。 「ありがとう……憶えててくれて、ありがとう……」 「……まったく」 呆れた声音の端に優しさを感じ取る。 昔から、泣いている時によく聞いた声音だ。 それを思い出すと、涙がゆっくりと引いていった。 「いつ戻ってきた」 「……昨日」 まだタオルに顔を埋めたまま答える。 「また母親の転勤でか?」 「ん。母さんが、今度はシンガポールだかスコットランドだかカルカッタだかに転勤になって、ついていくのがイヤだからお父さんの所に戻ってきた。もう引越しは無いと思う」 泣きすぎて痛い目を擦る。鼻を啜ってから、タオルにつけてしまわなかったかと慌てて確認した。 「どうしてここに?」 「くーちゃんのおばさんに聞いた。私も来週からここに通うことになるから下見に行くって言ったら教えられた。……おばさんも憶えててくれた」 「当たり前だろう」 「……うん」 その当たり前が嬉しい。 たった数時間前に見た、帰郷を喜ぶ手塚の母の姿が脳裏に蘇り、また熱くなった瞼に慌ててタオルを押し付けた。 「――――時にくーちゃん」 まだタオルに顔が埋まっていて声がこもる。 「どうした」 「おばさんから聞いたけど、くーちゃんテニス部の部長さんって本当?」 「ああ、本当だ」 「さっきは練習してたね?」 「ああ」 「部員さん沢山いたね?」 「ああ」 「部長さんは部のなかじゃ偉い人だね?」 「どうだろうな」 「……くーちゃん」 はようやく顔を上げて、 「私、部員の皆さんの前で力いっぱいくーちゃんって呼んじゃったよぉぉっ!?」 思い出した事実にずざっと顔から色が引く。 「うっわッ!?どうしよう!!部長なのにちゃん付けってミスマッチだ!威厳ボロボロ!?」 手にしっかりもったタオルをばたばたとはためかせながら右往左往する。 はたから見れば、それは謎の踊りにも、混乱するひよこの真似にも見えたろう。 むろん、そうは見えないだろうが本人は真剣だ。 「くーちゃん、ごめんッ!!どーしよう、今から訂正にっ!」 「」 大慌てで走り出そうとすると、ふわりと、頭に手が置かれる。 「くーちゃん?」 見上げると、幼馴染はこっちを見ずにまっすぐ前を向いて、 「遅くなったが、よく、戻ってきたな」 「……はい。ただいま、戻りました」 耳に届く優しい声音に、はこくりと頷く。 少し強めの風が、木々を、茂みを揺らした。 「っすな、バカ!」 「ちょっと、痛いって」 「うわ、あぶなッ!?」 「な、何?誰!?」 叫び声がしたかと思うと、校舎の影から大勢の人間がまるでドミノ倒しみたいに姿を現した。 いずれも幼馴染と同じジャージを着ている。 その中に先ほど案内してくれた少年を見つけて、はひらひらと手を振った。 「……くーちゃん」 「……なんだ」 「いい仲間をもったね」 「……ああ」 隣ですぅっと息を呑む感じがする。 「全員校庭五十週!!」 ――――爽やかな昼下がり。久々に再会した幼馴染の怒声が鼓膜をビリつかせた。 |
あとがき
思うままに書いたドリー夢小説第一弾。 無駄に長いです(爆) でもすっげー、楽しかったです(笑) もうちょい個々の性格が出せるようになりたいです。 ってな訳で続きます(爆) |