Allow me to express my sincere sympathy
カラコロと愛嬌のあるベル音と共に喫茶ホンキー・トンクの扉が開く。 冷たい風と一緒に入店したのは、完全防寒した不審者だった。 顔下半分を完全に覆う巨大なマスクに、目深に被った毛糸の帽子。 引きずるほど長くて重そうな鼠色のコートは、雪のせいで濡れてしまっているらしい。 所々色が濃くなっている。 思わず店の中にいたマスター、夏実、GBコンビは身構える。 だが、不審者は店中の怪訝な視線など物ともしない様子で、ヨタヨタとさながら瀕死者のような足取りでカウンターに着いた。 そして、震える手でマスクを剥ぎ取る。 現れた顔を真正面から拝んだ波児と夏実は、揃ってあっと声を詰まらせた。 「まずだー……、ハチミツいりのほっとみるく……ちょーだい……」 マスクの下から現れたのは、今にも棺桶に倒れこみそうなほど顔を土気色にしたであった。 「それ、どう見たってただの風邪じゃないよ!どうして、寝てないの!?」 ぼそぼそと聞き取りづらい声で何とかから身なりに関する説明を受けた夏実は、思わずカウンターから身を乗り出して詰る。 怒りに顔を紅潮させる夏実をまぁまぁと宥めつつ、波児は呆れた視線と一緒にカップを差し出した。 「しかし。よくまぁここまで倒れずにこれたもんだ」 「……」 は答えない。 ただ、アル中の患者のようにプルプルと震える手でマグカップを受け取る。 震えすぎて、何滴かカップの中身が外に零れた。 「、帰らなくていいの?熱、あるよね」 銀次が心配そうにの額に手をやる。手のひらに伝わる額の熱さに、まるで自分が熱にうなされているかのように、また眉がきゅっと寄った。 「朔羅、心配してると思うよ」 「……だ……っで……」 苦心しながら一口ミルクを飲み込んだは、銀次から視線をそらせて、 「……寝てばっかで……つまんないもん……」 それだけ言うのにも、途中で何度かセキに邪魔される。 カウンターに突っ伏して激しくしわぶくに、蛮は眇めた視線を送った。 「まるでガキの言い訳だな」 ハンッ、と鼻を鳴らす蛮を、吐血せんばかりに咳き込みながら睨み据える。 何か言おうとしたのか口を開いたのもつかの間、セキのせいで思うように反論できないらしく、また机に突っ伏する。 ただ、視線だけはバーサク状態の花月よりも凶悪で獰猛だ。 セキはそのうち嘔吐きに変わった。 慌てて背中を擦りにかかる銀次。波児と夏実がバケツに新聞紙を引いたものを寄越した。 さいわい、吐きはしなかったものの、いつもは勝気な赤い目に涙がたまり、どこか弱弱しく見える。 一気に、十も二十も年をとってしまったようだ。 「……もしかして、クスリ飲んでない?」 銀次の問いに、やっと咳き込み終えたは、しぶしぶと言った様子で首をたてに振る。 「クスリ、きらぁい……。にがいし、どぉせ飲んでもきかないもん……」 だから、のまなくていいもん…… すんと鼻をすすり上げるを困ったように銀次は見つめる。 そして、どういう意味かと視線で問う夏実たちに、苦笑交じりの説明を始めた。 の舌と胃袋、そして腸はどういう構造か恐ろしく頑丈に出来ている。 どれほど不味いものを運んだとしても一定を超えればのきなみ平均化してしまう舌。 胃袋にいたっては、過去糸を引く豆腐を食ったときも、賞味期限が掠れて読めなくなるほど古い牛乳を飲んだ時も、あげくは猛毒である青酸カリを飲んだ時も何の問題もなく機能し、消化してしまったほどである。 何度かその構造を調べさせてくれと医者や科学者がを訪ねてきたこともあった。 しかし、その副作用と言うわけではないが、は薬の類が利きにくい。 睡眠薬然り、下剤然り、風邪薬は言うまでもなく、効能を発する前にすべて綺麗さっぱり消化されてしまう。 恐ろしいほど健啖で職務に忠実な器官だ。 ゆえに、に薬の類は効かない。 となると、治療法はどうしても限られてくる。 「注射は?朔羅の事だから、が風邪を引いたってしったら、すぐに注射させたよね」 答えを分かっていながら、一応銀次は聞いてみる。 思ったとおり、はますます顔を顰めると、 「ちゅーしゃ、きらぁい。痛くないなんて、ウソばっかり言うんだもん」 ふてくされたように顔を背ける。 その拍子に、また激しく咳き込み始めた。 やっぱりと思いながら、の背を撫でる銀次。 昔、は一度だけ風邪にかかった事があった。 薬が効かないとしるや注射を取り出した医者に、パニックに陥る。 逃げまくるを十兵衛と二人掛で押さえつけ、なんとか治療を終えたものの、恐怖のあまりかその場で腰を抜かせたほど。 その事は成長した今でもトラウマになっているらしく、"注射"、と聞くだけではや逃げる準備をしだすほど。 「ちゃん、それじゃ治んないよ……?」 背中を擦りながら説得しようとする夏実だったが、の注射嫌いはちょっとやそっとで治るものではない。 説得を続ける銀次たちから視線をそらせ、はセキをする以外、ひたすら貝になった。 「っさけねぇなぁ」 のしわぶきばかりが聞こえる中、舌打ちと一緒に別者の声が割りいった。 呆れをたっぷり過剰なほど視線に含ませて、蛮はを見据える。 咳き込みすぎて涙の滲むの眼が、剣呑に細待った。 「お前なぁ、自己申告によると今年でもう十七なんだろ。十七っつったら卑弥呼と同い年じゃねぇか。もうガキじゃねえだろうがよ。それともあれか?実はお前、本当は外見どおり幼稚園児なのか」 嘲笑に思わず立ち上がる。それを止める銀次と夏実。 しかしすべらかに悪態をつく蛮に反し、はセキのせいで思ったようなこともいえないらしい。 開いた口はただひゅーひゅーと笛のような音しかださない。 蛮の口は、なおいっそう滑らかに軽くなってゆく。 「だいたい、"注射こわぁい"なんていまさらカワイ子ぶってんなよ。気持ちわりぃ。自分のキャラってもんを考えろ」 の顔は相変わらずの土気色だが、眼だけは怒りに赤く燃えている。 握り締めた拳が、瘧のようにぶるぶると震えている。 そんなの様子をよそ目に見つつ、蛮はトドメを指した。 「分かったらとっとと帰ってクソして寝ろ。……ったく、髪だけじゃなくって脳味噌まで錆びてんじゃねぇか?」 パンッ……と、蛮が言い終わると同時にカウンターののカップが割れた。 次いで、夏実のエプロンの片紐が千切れ、すとんと落ちる。 波児が慌てて夏実をから引き剥がす。銀次はさっきまでの背を撫でていた手を慌てて頭の上で固まらせる。 風が――――部屋の中に突然現れた竜巻が、まるで鎧のようにの周りを取り巻いている。 気がついた蛮が、固まったままの銀次の腕を引く。 は竜巻の中央で、だらりと力なく腕を垂れさせていた。不思議とセキは止まっている。 ただ眼だけが、爛々と獣のように凶暴な光を携え、蛮を睨みすえていた。 そうこうしている間に、竜巻は急速に範囲を広め、総てを蹂躙しようと力を強めてゆく。 床に固定されているはずのスツールが、大きく傾いだ。 「!ちょ、止まって!!」 銀次がその場にいる全員分の命の危険を感じ、諫めようとする。 声に応じたのか、の目は銀次の方を向いた。 そして眉を下げて笑うと唇の動きだけで、 む・り…… ――――次の瞬間、ホンキートンクの窓と言う窓からあらゆるものが外に吹き飛んだ。 『じこけんおちぅ。はいるな』 子供の落書きとも何ともつかない張り紙が張られたドアを前に、十兵衛は思わず戸惑った。 ドアの前では、同じ様に戸惑いの表情を貼り付けた姉が、部屋の中に向って説得を続けている。 「ほんっとう、バカだよねー。なんで、熱だして意識朦朧としてる時に力使うんだか」 万感の想いを込めてMAKUBEXがぼやく。 「MAKUBEX。はいったいどうしたんだ。昨日、熱を出して倒れていたんじゃないのか?姉者から逃げ出したとも聞いていたのだが……」 十兵衛はパソコンに向いながら、ひたすらブツブツと見えない相手へ文句を繰り返すMAKUBEXに、躊躇いがちに尋ねる。 MAKUBEXは、不機嫌を隠さずじろりと十兵衛を睨むと、「治ったそうだよ」とだけ言った。 「銀次さんに迷惑をかけておいて、あげく暴れてすっきり風邪が治ってたーなんて……。何考えてるんだよ、まったく」 人を心配させて……となおも愚痴の止まらないMAKUBEXの横に、一枚の紙切れを見つけた十兵衛は何気なしにそれを手にした。 どこにでもあるようなコピー紙に、ワープロで花月たちが通う喫茶店のオーナーとの名前が印刷されている。 さらに、その下にはもう少しで七桁の大台に乗ろうかという数字の羅列。 タイトルは『請求書』 紙切れ一つである程度のことを悟った十兵衛は、溜息一つついて、ドアの方を見る。 そして、予感と言うよりは確信に近いものをしっかり抱いた。 ――――必死になっている姉には悪いが、きっとあと一週間はが天岩戸から出てくることは無いだろう、と。 |
あとがき
体調が悪い時、主人公の力は凶器となるようです。 いえ、普段でも十分凶器ですが……。 そんな訳で風邪ひき話。 年齢一桁のお子様のように、じっとしていられない性分の主人公。 ツケはしっかり払っていただきます。 それが社会のルールですから。 (ここの連中はそれをたやすく逸脱しているとのツッコミもございましょうが……) 朔羅さんに看病してもらえるなら、インフルエンザでも何でもどんとこいな自分がいます。 |
作中裏話 本当は“注射で腰抜かす〜”のところは“失禁”が入るところでした。 引かれると思って修正しましたが… |