resemble

青く冷たい月明かりと、都会の真ん中に似つかわしくない冴えた空気。
何もかもが不自然に混ざり合う中、手負いの獣はひた走る。












「――――っ、はぁ……っ」
は何度も後ろを振り返りながら気配がないことを悟ると、手近な壁に背を預け、そのままずりずりとへたり込んだ。
汗で張り付く前髪をかき上げ、舌を打つ。
迂闊だった。街を歩いていたら、突然強襲にあった。
自身彼らの顔に覚えはないが、喚いていた言葉から察するに以前仕事で出会ったことがあるらしい。
仕事で恨みを買うことは多々あるが、こんな風に襲撃を受けるのは今回が初めてだ。
人通りの多い繁華街であったこと、相手が明らかに素人ではない屈強な男たちであったこと、意外に数が多かったこと。
諸々の原因が重なり合い、最悪の結果――――敵前逃亡を余儀なくされてしまった。
はゴミの散らかる薄汚れた地面を見つめ、奥歯を噛み鳴らした。
抑えたわき腹から熱い血がじわりと滲む。
肋骨は折れていないだろうが、相手のトンファーでえぐられた箇所は時間が経つにつれ出血の量を増やし、いまや短パンにまでしみはじめている。
手にねっとりとまとわりつく血が忌まわしい。
屈辱だ。いきなりだったとはいえ――――さらに相手が自分よりはるかにでかい男達だったからといって、売られた喧嘩を買った挙句、代金未払いで逃げ出すなど言語道断だ。
こんな格好悪いところ銀次には、そして何より銀次の傍らに常に寄り添うあの男にだけは知られたくない。
(とりあえず無限城へいったん帰って傷の手当てをしなきゃ。ああ、シャツこんなに汚して、朔羅さんになんて言い訳しよう……)
気分と同じく重い体をゆっくり立ち上がらせた。
その時。
「――――っ!」
異国の言葉が、澱んだ夜の喧騒を鋭く切り裂く。
ネオンの明かりがこぼれる入り口に目を向ければ、先ほどの追っ手が息を切らして立っている。
目が合った瞬間、引き連れ傷のある男の頬が醜く笑みに歪んだ。
「げっ!」
とっさに入り口に背を向け、反対に走り出そうとする。
しかし、流れ出る血が意外に多かったらしく、一歩足を踏み出した瞬間に立ちくらむ。
男たちの声がだんだん増えてきた。
まずい。と頭ではわかっているのだが体がそれに追いついてくれない。
(に、げないと……。逃げないと……逃げないとっ!)
「がっ!」
突然頭に鈍い衝撃。
流れる血に視界を奪われながら振り向けば、バットを持った男と目がかち合う。
目に映る敵のあまりの多さに、一瞬痛みも忘れて仰天する。
男の一人がの前髪を掴み、顔をあげさせ何かを喋っている。
だがあいにくと日本語すら手に余っているにとって、男の言葉はそれが言葉であるかどうかも判断できない。
男はの顔を覗き込みながら、なおも得意げに何かを口走っている。
「な……に、言ってんだか、知んないけど……」
鉛のように重い腕をゆっくり上げたは、ぎろりと目をむくと、
「口臭いんだから顔近づけないでよね――――ッ!」
丸太のごとく太い男の腕を掴んだまま、鎌鼬をお見舞いした。
ずたずたにされた腕から血を噴出し、悲鳴を上げて飛びのく男。
本調子でないせいか、制御し切れなかった風の刃がの服や頬をも裂く。
「はんっ。ざまーみろ!」
足元でうめく男に嘲りの声と視線をくれてやる。
周囲の男達は、仲間の創傷に驚きと、敵意を募らせる。
四方八方から突き刺さる棘のような殺意に肌が、そして傷口がぴりぴりと傷んだ。
(……こりゃやばい)
普段のコンディションならどうにかならないでもない数だが、いかんせん今は傷を負っている。
戦わずに逃げるにしても成功する確立は五分五分――――いや、きっともっと低い。
映画のシチュエーションなら、ちょうどヒーローが助けを呼ぶヒロインのためかっこよくはせ参じる場面なのだが……。
「アタシの場合、ヒロインっつーよりヒーローだし。もっと言うならヒールだし……」
などと自嘲している場合ではない。
こうしている間にも包囲網は徐々に徐々に狭まってきている。思考の裏側で、縁起でもない未来予想図が浮かび上がった。
ヤるか、ヤられるか。未来は二つに一つ。
だったら。
「やってや――――っ!」
は踏み出した足と一緒に息を止めた。
今まさに目の前の男に飛びかかろうとした瞬間、遥か後方で猪の鳴き声のような野太い悲鳴が挙がった。
男達がざわめく。は目をむいたまま固まった。
悲鳴は人を変え、場所を変え、近づいてくる。
最も近くで悲鳴が挙がったその時、の目はいるはずのない人物の姿を捉えた。
「ウニヘビ……っ!?」
「面白そうな事してんじゃねぇか、錆頭」
まるでモーゼの十戒さながらに人波が割れ、中央をゆっくりタバコをくわえた蛮が歩いてくる。
の足元に、頭から血を流した男が倒れこむ。
目の前までやってきた蛮は、に背を向けると、視線だけよこし口元を意地悪く歪めた。
「ぐーぜん通りかかったのもなんかの縁だ。俺が慈善事業するなんざ、滅多にねぇ。感謝して崇め讃えろ、錆頭」
呆けていた頭が、聞きなれたからかいの言葉に自分を取り戻してゆく。
助けを呼んだ覚えはない。
そう言い返してやろうと思ったが、頭を抑えた指の隙間からなおも流れ続ける血の感触に、出かけた言葉が喉の奥に引っ込む。
男達も戸惑いは残したまま、それでも我に帰ったか新たな殺意を蛮に向けた。
どう転んでも蛮に頼らなければならない状況に、は悔しい思いと一緒に唇を噛む。
紅を差したように真っ赤な唇から、は感謝の代わりに呪いを吐いた。
「――――アタシはあんたがヒーローだなんて認めないッ」
「……何言ってんだ、お前」
















夜の空気に、ヘビのように白い煙が絡み、解けてゆく。
「……煙いンだけど」
「お前、風上だろ」
累々と死体―――― 一歩寸前の重傷者達が転がる中、達は壁を背に佇んでいた。
は一人、ぺたりと冷たいコンクリートに腰を下ろし空を見上げている。
ビルの隙間から眺める空は、そのまま宇宙でなく奈落にでも繋がっているかのように暗い。
はそのまま大きくため息をついた。
「――――お礼は言わない。絶対、言わない」
「期待してねぇよ」
短くなったタバコを足で踏み消し、蛮はまた新しい煙草を取り出す。
新しい煙草が短くなるまで、沈黙は続いた。
「……ねぇ」
はいい加減見上げすぎて痛くなった首を元に戻すと、ポツリと呟いた。
「アンタ、何でアタシを助けたの」
「……」
蛮はちらりと視線を寄越した後、短くなった煙草を地面に落とした。
そのまま、視線は向けずに一言。
「……お前の声が聞こえた瞬間、なんでかあの馬鹿の顔が浮かんだんだよ」
「……銀次さんのこと?」
「"あの馬鹿"ですぐに銀次が浮かぶなんざ、あれだな。お前意外に銀次の事嫌いなんじゃねぇか」
「銀次さんは好きよ。大好き。でもあんたは嫌い。大嫌い」
からかいを含んだ蛮の言葉に、は険のある言葉を返す。
見下ろす蛮の目が、蛇のように細まった。
「――――気が合うな」
吸い込んだ煙をことさらゆっくり吐き出すと、蛮は頬を歪めた。
「俺もテメェが嫌いだ。――――今すぐその辺でぶっ倒れてる奴等と同じ目に合わせたいくらいな」
「ほんと奇遇。アタシも今すぐアンタを切り刻んでやりたいくらい、嫌いよ」
も嗤って応じる。しかし一拍後には、すぐ冷めた顔に戻り、
「……銀次さんが悲しむからやらないけど」
「――――ビョーキだな。……俺も、お前も」
言うと、蛮はため息のように大きく煙を吐いた。




"蛮さんとちゃんは、似てるね"




の脳裏に、いつだったか夏実に言われた言葉が蘇る。
あの時は二人そろって全力で否定したものだが、今になればその意味がよく分かる。
同じだから、一緒になれない。
近すぎるから、近寄りたくない。
――――けど似ているから、分かる。
同属嫌悪とはよく言ったものだ。
結局二人の行動の中心は、いつも一人の太陽なのだから。
「帰る」
はゆっくりと立ち上がった。抑えた脇腹が痛んだが、唇を噛んで耐える。
「今回のこと、絶対銀次さんに言わないで」
すれ違いざまにきつく睨みつければ、蛮もまた目を眇めた。
「お前こそ、怪我が完全に治るまで銀次に近づくな」
言外の意味を感じ取り、は顔をそむけ歩き出す。
程なくして路地を通り抜けると、空は白く明け始めていた。
抑えた腹は相変わらずじくじくと痛む。
眉を潜めて歩みを進めれば、唐突に先ほどの蛮の言葉が頭をよぎった。








"ビョーキだな。……俺も、お前も"







「――――治す気なんかサラサラないけどね」
零れた自嘲は熱い吐息と共に、明け方の空気の中で冷たく解けた。

あとがき

つまりあれです。
二人の根底に流れているのは銀次なんですよーと言うのが書きたかったんです。
主人公は蛮を憎んでいるけど、蛮はただ嫌い。
そう言うのを書きたかったのに、なんでか二人して「きらい嫌い」言い合ってるだけになってしまいました。
心情描写って難しいですね。

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