Remembrance of an angel

花が咲くみたいにはじけるアカ。
目の前を染める一色。
開かれた目に映る世界は、ただ一色に支配される。
色の海に沈んでいるのは愛しい人達。
叫ぶ声すら凍り付いて、息もできない。
閉じかけた瞳に映りこんだのは――――雄雄しい姿の天使だった。

















は走っていた。
瓦礫のなかを、ただひたすら走り、時折立ち止まっては方々に声を張り上げる。
「リンー!どこ、リンー!!」
だが静寂のみが帰ってきて、望む声はすこしもしない。
はよどんだ空気に、僅かに咳き込んだ。
――――サウスブロックにベルトラインの連中が入り込んだのはつい三十分前。
MAKUBEXの警告があり、付近の住民は全員退去した。
はずだった。
だが、避難先からサウスブロックへと知人が人ごみに逆らい戻ろうとしていたのを見つけ、事情を聞くと四つになる娘がいないという。
逃げる時の混乱にはぐれてしまったらしい。
は半狂乱の相手を宥めさせ、自らが探索に赴くことにした。
よしんば知人が娘を見つけても、戦闘能力の無い二人はたちまちベルトラインの連中に捕まり、血祭りだろう。
(早く……ベルトラインの連中より早く見つけなきゃ)
「リン!いたら返事して、リン!!」
は焦りからことさら大声を上げ、瓦礫の中を走り回る。
――――泣き声が聞こえたのはその数秒後。
知人の娘は、瓦礫の脇にへたり込んで泣いていた。
「リ……ッ!?」
駆け寄る足が立ち止まる。
向こうからやってきてのは、ベルトラインのバケモノたち。
相手の足のほうが速い。ここから走っても追いつけない。
「――――っ!"春風"っ!!」
とっさにの手から発せられた柔らかい風が、串刺しになる寸前の娘の体を包み込み、ふわりと持ち上がった体はそのままの腕の中に納まった。
抱えた瞬間連中と眼が合い、にたりと笑われる。
「逃げるよ」
きょとんとする腕の中の娘に短く呟いて、は脇目も振らず走り出した。
















「"乾風"っ!」
強烈な熱を伴う爆風があたりの鉄クズを溶かし、背後の敵に襲いかかる。
獣じみた悲鳴と肉の焼ける嫌な匂いが風に乗った。
ちらりと後ろを確認する。
は走りながら、こみ上げる吐き気を飲み込んだ。
融けた体を引きずり、地面に模様を描きながら、それでもまだ追いすがるバケモノたち。
いっそバケモノという言葉が綺麗に思える。
今そこにいるのは、殺戮本能のみの異形だ。
(くっ……!)
突然の脳裏に、古い記憶が蘇る。
今も夢に出てくるのは、弾ける赤。
滴り落ちる肉片。さらりとした血の熱さ。焦げ付く肉の匂い。
まるで冠みたいに掲げられた男女の首。
あんなもの、思い出したくも無いのに……
は悪夢を振り切るように頭を振った。
その時、しがみつく小さな手に気づく。
抱き締めた小さな体は両目をぎゅっとつぶって、の腕を必死に掴んでいた。
(――――さすがにあんなグロいモン、この子には見せられないよね)
「リン、いい子だね。ちゃんと目はつぶってるんだよ」
腕の中の存在に優しく囁きかけて、はまた"風"を敵に叩きつけた。
















「何をしている!!」
やないかい、どないしてん!?」
「笑師さん!?十兵衛さん!?」
逃げ込んだ部屋にいたのは現VOLTS四天王、笑師と十兵衛だった。
床や壊れた窓枠には、累々とバケモノじみた死体が転がっている。
はリンに見せないよう、抱き締める力を強めた。
「退去命令が出ていたはずだ。なぜまだここに……?」
「知人の娘が取り残されていたんです。まだ後ろから連中が……っ!」
「ほんまかい!?数は!?」
「ざっと二十。アタシの力じゃ逃げるのが手一杯で……」
「いや、むしろよく生き残れたな」
十兵衛は短くそう言うと、インカムに向かった。
「姉者、俺だ。現在10-2地点。この辺はざっと片付けたがまだ二十ほどこっちに向かっているらしい。今が一緒だ」
、降りて東に十メートルも行けば、避難所につく。この辺はワイらが何とかしとくさかい、早よ逃げ」
「逃げろったって……」
部屋にドアは二つ。
うち一つはが今入ってきたドアであり、もう一つは戦闘の影響か瓦礫で完全に埋まっている。
他に出口といえば……
「アッ!?」
笑師の短い声。背後から、獣の咆哮が聞こえる。
「来たかッ!?」
十兵衛が飛針を構える。
「ひつっこい連中やなぁ、オイ」
、早く!!」
「リン、ちゃんとアタシに捕まっててね。お二人とも、ご武運を!!」
は叫ぶと、リンを抱く腕に力を込め、窓の外へと躍り出た。














階数にしておよそ八階。
耳の横を風を切る鋭い音が通り過ぎる。
の視線は地面に釘付けだった。
(とにかく直接落下するのだけは避けなきゃ)
キッと、灰色の地面を睨みつける。
(八……六……三……いまだッ!)
「"春荒"っ!」
二人の体を包み込む激しい風に、一瞬落ちかけた体が浮かび上がり、落下の速度を弱める。
ふわりと、柔らかいクッションでも敷いているように地面に着地した。
はほっと息をつく。
ここまでくれば避難先は目と鼻の先。
目の前に見えるあの通路を抜ければ……
「ッ!」
は背後から迫る物音に振り向いた。
まだいる。
まだ残党がいた。
「――――ウソ」
(万事休す――――ッ!!)
!!」
が覚悟を決めたその時、涼やかな女性の声が耳に届いた。
「――――っ!朔羅さん!?」
通路の入り口で、MAKUBEXの側近である朔羅がこちらに向かって手を差し伸べていた。
「早くして!!」
「朔羅さん、この子お願い!!」
は殆どリンを放り投げるように朔羅に手渡すと、くるりを通路に背を向けた。
、貴女も早く!!」
すぐ背後の通路入り口で急かす朔羅。
「……?」
「すいません、朔羅さん。リンのこと、よろしくお願いします」
は朔羅の体をどんと通路に突き飛ばした。
……ッ!?」
「――――"大嵐"!!」
自らの体ごと入り口を取り巻く嵐に、朔羅の声はじきに聞こえなくなった。













体を取り巻く嵐は触れるもの全てを薙ぎ払い、引き裂く。
何人も触れることのできない全てを遮断する風の要塞。
それはたとえ――――空気であったとしても。
は渦の中心で息を荒げていた。
(もって……五分)
そこまでが限界。それ以上を超えれば、おそらく自身生きてはいれないだろう。
が持ちこたえられるその間に、リンたちが逃げ遂せてくれれば……。
(大丈夫、大丈夫だよ)
そう、リンには朔羅がついているのだ。
(アタシがここで粘らなきゃ、ギリギリまで……)
決意と共によろける足を持ち直す。
しかし。
「うっ!」
ぐっと肺を押しつぶされる感覚がした。咽喉を、何か奇妙な固まりがせり上がる。
ここにくるまでだいぶ体力を消耗した。
もって五分と予想したが、案外これは外れそうだ。
(銀次さんに……怒られちゃうかな?)
翳む意識のなか、浮かび上がった大事な人は誰よりも他人が傷つくことを恐れる人だった。
誰かが傷つくくらいなら、自らの心臓を差し出すような、そんな矛盾した人だった。
だから彼を傷つけたくなかった。
だから彼を守りたかった。
本当は、出会ったときから守られっぱなしだったけど。
「ッ……」
一瞬息が詰まった。
脂汗が吹き出す。足ががたつく。
口がからから渇く。
瞬間、重力の無くなる感覚。
そのまま風の檻は解かれ、体が地面に沈み込んだ。
(ごめんなさい……銀次さん……)
ゆるゆるとまぶたが下り始める。
近づく死の匂い。
白い閃光。
獣の悲鳴。
閃光の中にいたのは――――かつて見た天使で……。
そこから先はもう何も分からなくなった。














ツン……とした匂いが鼻をつく。
誰かがを呼んでいる。
それはとても懐かしくて、とても暖かい声。
ぱちりと目を開くと、泣きながら見下ろす顔と目が合った。
(……天使?)
っ!!」
「…銀次…さん?」
状況が分からなくてゆっくり周りを見渡すと、そこはやたらとビンのあるせせこましい部屋で、自分の体は真っ白くて硬いベッドの上にあった。
もっと意識がはっきりしてくると、部屋のあちこちに、見知った顔がいた。
「花月さん……士度さん……ウニヘビ……ッ!?」
体を起き上がらせると、あちこちに激痛が走った。
見れば入院着のようなものに身を包み、体は余す所無く包帯が巻かれている。
自分の身に何が起こったのか分からなくて、救いを求めるように銀次に視線を向けた。
「アタシ……」
「おっどろいたよぉ。仕事で無限城の近く通ったんだけど、なかから朔羅が出てきて、が危ないって言うから、オレ急いで助けにきたんだよ!!」
潤む眼で心底ホッとしたように微笑む銀次。その隣で、蛮がいつものように煙草をふかしながら、
「オレにも感謝しろよ。銀次一人じゃ危なっかしいからって付いて来たんだぜ。ま、このかりは高くつくけどな」
そう、ニヒルに笑う。
「僕と士度はたまたま無限城に用があってね。そうしたら慌てる銀次さんとばったり会って……」
「まさかお前がベルトラインの連中と渡り合ってるなんて信じられなくてな。まぁ、無事でよかったじゃねぇか」
花月が穏やかに微笑み、士度が頷く。
「みんな……」
みれば全員僅かだが傷を負っている。
おそらく連中との戦いでついたものだろう。
この四人に怪我を負わせるような相手と若干だが対峙していた。
だが、まだ自分は生きている。
もう駄目かと思っていたのに……。
「ふ、ふふふ……」
よく分からないけど、心中から可笑しさがこみ上げてきた。
「あの、……?」
銀次が恐る恐る声をかける。
「おい、錆頭。どっか打ったんじゃねぇのか?」
蛮まで訝しそうな声だ。
そのうち、の忍び笑いは部屋を揺すらんばかりの大爆笑へと変わった。
銀次の顔から、途端に色が引く。
「どうしよう!は、早くお医者さんを……!!」
「銀次さん、走馬灯って知ってます?」
青くなって慌てふためき、部屋を出ようとする銀次の服の裾を、はしっかり掴んで言った。
「死ぬ前に見る生きていた間の思い出なんですけどね、アタシ、見事に銀次さんのことしか思い出さなかったんですよ」
けらけらと痛みも忘れて笑う。ダメだ。止まらない。
自分でも何がおかしいのか、腹のそこから笑いが止まらない。
「死ぬ寸前ですよ?なんかねぇ、ここまでキたら自分でもすっごいと……」
は銀次の方を向き、笑いを止めた。
銀次が泣いているような、怒っているような複雑な顔をしている。
「あの……銀次さん?」
「――――のバカ!!」
あらん限りの絶叫に鼓膜が震える。
銀次のいきなりの怒声に、は訳が分からず、震える耳を押さえた。
「な、なっ……」
「何でそんな簡単に死ぬとか言うんだよ!!オレが一番そー言うの嫌いだって知ってるだろぉ!!」
「ご、ごめんなさい。銀次さん」
何がいけないか、銀次を怒らせてしまったらしい。
「もお言うなよ!絶対、絶対、言うなよ!!」
「は、はい!そりゃあ、もう二度と……」
まるで米搗きバッタのように布団の上で土下座していると、突然暖かいものに体を抱きすくめられ、言いかけた言葉が声にならず咽喉の奥に引っ込む。
は一瞬呆けた後、わたわたと慌てた。
「ぎぎ、銀次さん!?」
「よかったぁ……良かったよぉ……」
耳元ではしゃっくり上げる鼻声。
「倒れてる見て、もう駄目だと思ってたのに……」
「銀次、さん……」
「良かった、よかったぁ……」
肩を濡らす暖かい涙に、ジン……と胸の奥が熱くなった。
こんな風に、泣いてくれる人がいる。
それが、すごく嬉しい。
改めてこの人がいれば、何だって大丈夫な気がしてくる。
すごく不思議で、大事な人……。













(すっごく嬉しいです、銀次さん。でも、ああ、でも……)
ぬくもりに酔いしれながら、同時には滂沱のごとく冷や汗をかいていた。
前方に固まる、重くて、澱んで、冷たい空気……
(花月さんや士度さんがそれぞれ糸や擬態の準備してたり、ヘビにいたっては完全にグラサンずらしてんですけど……)
かくて、銀次によって救われた命は、銀次の手によって再度危機を迎えようとしていた。
――――アーメン。

あとがき

戦闘シーンが書きたかったのですが駄目でした。
すごく中途半端に終了。
泣けてきますね、畜生。
だれか菊池○行さんばりにアクション書く方法知りませんか?(をい)

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