ラフメイカー

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たとえばそれは何でもない日。
道行く親子に父の姿を重ねたり、見上げた空の青さに、今はなきもう一つ故郷を思い出したり、嗅ぎ慣れた機械油の匂いに、生まれた場所へ思いをはせたり。
そんな、何もかもが疎ましい日。










別に何があったというわけではない。
その証拠に、昨日までは何も変わらず、仲間たちと談笑を楽しんでいた。
けれど。今日ばかりはどういったわけか、人に会うのが厭わしい。
クロードはカーテンのきっちり閉められた部屋の中、ベッドに横たわっていた。
何をするわけでもない。
ただぼんやりと、寝転がっている。
何時間、こうしているのだろう。
もはや、昼夜の感覚はない。
それどころか今、自分が夢の中なのか、現実の中なのかすら分らなくなっている。
息を吸う事さえ億劫だ。
――――ドアのノックが聞こえたのは、天井を見飽きて寝返りを打った時だった。
「クロード、起きてる?」
ドアの外から聞こえてきたのは、慎重な様子のアシュトンの声だった。
「クロード」
何度かの控えめなノックと呼びかけ。
クロードは狸寝入りを決め込み、心配性の仲間が去ってゆくのを待った。
だが、おずおずと言った様子に反して、アシュトンはしつこかった。
「クロード、ねぇ、起きてる?」
……寝てるよ。寝てるんだって。
「クロード。朝から、何も食べてないだろ」
早く帰って。出来ないなら、黙っててよ。
「スープくらい、お腹に入れた方がいいよ」
食欲なんてない。食べたくないんだって。
「レナやセリーヌさん達も心配してるし……」
……子供じゃないんだから。
「ひょっとして、具合悪いの?」
「――――ほっといてくれよ」
ドアを挟んでの根気合戦は、アシュトンに軍配が上がった。
「頼むから、ほっといて」
「クロード……」
でた声は、もっと不機嫌だと思っていたのに、自分でも意外なほどに平坦だった。
「町を出るのは明後日だろ?一日くらい、放っておいてくれよ」
ベッドから起き上がり、裸足のまま、ドアの前で立ち止まる。
ドアの向こう側に、確かに人の気配。
煩わしい。疎ましい。
「構わないから、早く消えてくれ」
クロードの言葉は、静かな湖面に落ちた一滴の雫のように、沈黙の中に広がり、消えた。
後に残ったのは、重く圧し掛かる静寂だけだ。
どんな図太い人間でも耐え切れないであろう、その静かな重みに、それでも姿の見えない訪問者は、立ち去る様子がない。
何なんだ、いったい。
クロードが舌打ちの代わりに溜息をついて、ノロノロとベッドに戻ろうと踵を返したのと同時。
――――ドアの向こうで微かに鼻を啜り上げる音がした。
(えっ――――?)
聴き間違いにしては、やけにはっきり聞こえたその音に、クロードの体は強張る。
近づいて耳をそばだてたドアの向こうでは、ギョロ達が少し慌てているように――それでも静かに声を上げている。
いきなり風邪を引いたとか、花粉症になったが原因じゃ、ここまで騒がない。
(泣かせた……?)
途端にずしりと圧し掛かる罪悪感。
クロードは思わずドアノブを握ろうとしたが――――すんでの所で手は止まる。
薄いドアを隔てた向こうの状況を確かめたい。けど、会いたくない。
反する思いに悩む事、数秒。
クロードは途方にくれて、そのままドアにもたれ座り込んだ。
向こうの方も、どうやら同じ状況のようだ。
板切れ一枚隔てて、合わせられた背中。
聞こえるはずもないのに、アシュトンの鼓動が聞こえてきそうだ。
(なにやってんだろう、僕は)
渦巻く頭の中身を、髪と一緒にかき乱す。
"なんで"こんなに気分が悪いのか。
"なんで"こんなに人に会いたくないのか。
"なんで"アシュトンは泣いたのか。
たくさんの?が頭を覆いつくし、今にも零れ落ちてしまいそうだ。
こんなにも思い悩んでいるというのに、アシュトンは一言も喋らない。
さっきまでのしつこさが、嘘のようだ。
この沈黙は、とてもじゃないが耐えられるものじゃない。
(何か、喋ってくれよ……)
さっきまでは黙ってくれと思っていたのに、いざ黙られると、静けさに困り果ててしまう。
どうしようもない己の身勝手さに、クロードはもう一度、深く長い溜息を吐いた。
「そういえば、さ」
鼻声が聞こえたのは、クロードが溜息を吐ききった時で。
「一月、たったね」
はじめは何のことか分らなかった。
ここ最近、戦いに明け暮れていたせいか、日の感覚がない。
一ヶ月。一ヶ月前にあった事――――。
「あぁ……」
記憶の糸を辿っていたクロードの唇から、溜息とも何とも取れないあえかな声が零れた。
一ヶ月という時間が長いのか、短いのかは分らない。
ただ、クロードにとってその出来事は遥か昔の話のように思えた。
「エクスペルが消えて」
もうそんなになるのか。
残りの言葉を飲み込むと、クロードは呆けたように天井を見上げた。
そういえば、だいたいそれくらいからか。
いつも視界の端に、仲間たちの姿が見えるようになったのは。
気がついていたわけではない。
今考えて、やっと"そういう事か"と分ったくらいだ。
もうひとつの故郷とも言うべきエクスペルを失くしたのと同時に、クロードは父を失った。
仲間たちは、それを気遣っていてくれたのだろう。
自分達も、大事な場所を失ったのは同じなのに。
仲間たちのそんな優しさが、だからこそ、自分は疎ましかったのだろう。
気がつけば、クロードは泣いていた。
立てた膝に顔を埋め、ズボンにシミを作る。
しゃっくり交じりのせいか、少しばかり息がしづらい。
「クロード……クロード?」
アシュトンの、少し慌てたような声が聞こえる。
まだ、しっかり外に連れだそうと頑張っているのだろうか。
そういえば、とクロードは自分の鼻を鳴らす音と背後の声を聞きながら、思った。
泣くなんてもう、何年ぶりだろう――――と。
きっと、自分はずっと泣きたかったんだ。
しかし、泣き顔なんてみっともないもの、誰にも見せたくなかった。
だから、閉じこもっていた。
けれど、すっかり久しぶりすぎて、泣き方を忘れてただ天井を見上げていた。
思い出すきっかけをくれたのは、アシュトンだ。
クロードはアシュトンのしつこさに、少し感謝していた。
今ならきっとこのドアを開けられる。
クロードは、まだ流れ出る涙を袖口で拭うと、ドアノブに手をかけた。
しかし。
「――――アレ?」
いきなり、手の中が軽くなった。
手の中には、ドアから外れたドアノブが一つ。
涙で濡れた顔が一気に青ざめる。
「こ、壊れた!?」
クロードは慌ててドアを叩いた。
しかし、薄いと思っていたドアは、意外な頑丈さでクロードの拳を弾き飛ばす。
「アシュトン、アシュトンいるんだろ!ちょっと、ここ開けて!!」
呼べど叫べど返事はない。
「アシュトン!アシュトンっ!アシュ……アシュトン?」
徐々にドアを叩く手も、呼ぶ声も弱くなり、とうとうあたりには音がなくなった。
音だけではない。
いつの間にやら、ドアの向こうの気配がなくなっている。
「嘘」
ここまできて。
クロードは震える喉で、強引に息を呑む。
歩いていて、突然底なしの落とし穴に落ちてしまったような、そんな気がして……。
「なん……だよ……。どうせだったら最後まで責任持てよ……」
さっきと別の理由で涙が床に零れた。
――――凄まじい破裂音と一緒に、風が頬を撫でたのはまさにその瞬間で。
振り返ったクロードが見たものは、風にたなびくカーテンと窓枠にしがみ付いたアシュトンだった。
「アシュ……」
「来ないで!!」
走りよろうとしたクロードを、アシュトンが手で制する。
「床、ガラスが散らばって危ないからッ!」
どっこらせとばかりに窓枠を乗り越えたアシュトンの靴が、ガラス片を踏み分ける。
その音に、呆けていたクロードも正気を取り戻す。
戻って、先ず頭に浮かんだのはきわめて現実的なことだった。
「アシュトン、ここベランダも無い二階なのにどうやって!」
「そこの木を伝って」
ギョロ達にも手伝ってもらったんだ、というアシュトンの言葉どおり、背中の二匹も宿主に劣らぬ様子で息を荒げている。
「何で……こんな事……」
「だって、クロードが泣いてたから……」
アシュトンがクシャリ、と眉を下げた。
「なんだか、尋常な様子じゃなかったし、それにドアまで壊れちゃって」
よっぽど慌てたのか、アシュトンの手の中にはもう片方のドアノブが。
同じ形のものが、クロードの手の中にも在る。
「居ても立ってもいられなくなったんだよ……」
アシュトンに、ハンカチで慎重に頬を濡らす涙を拭われる。
「大丈夫?」
そう、覗き込む本人の方が、今にも泣きそうな顔をしている。
クロードは、その様子にくすり、と今日始めて笑みを零した。
「どうしよう。もう、この部屋じゃ寝れないよ」
クロードが喉の奥で笑いながら床を指差せば、アシュトンはああ、と慌てた声を上げる。
「や、宿の人に怒られるよね」
「セリーヌさんたちにもね」
ダメだ。さっきまでは涙が止まらなかったのに、今度は笑いが止まらない。
クロードはなおも笑いをこみ上げながら、アシュトンの体に手を回す。
「く、クロード!?」
「ごめん。ちょっと。もうちょっとこのまま……」
良かったと思った。
ここに居るのが、ずっといてくれたのが他の誰でもないアシュトンで、本当に良かったと思った。

あとがき

95555hit感謝感激雨霰。
おまけのついでに台風も巻き起こしてしまおう。
そんな訳で、95555キリ小説はアシュクロです(ハイ?)
あまりに久しぶりすぎて、キャラクターの模造が激しいです。
むしろ誰ですか、この二人。
相変わらず、力技万歳な終わり方で申し訳ありません。
タイトルはBumpOfChikenから拝借。
タイトルだけのつもりが、いつの間にやら中身も類似したものになり多重に申し訳(八十五度オジギ)

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