ぜんぶ、夏のせい

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夏というのは往々にして暑いものと決まっているが、その日はちょっと、異常だった。














その日はやたら蝉がうるさかった。
噴出す汗すら瞬間沸騰してしまいそうな暑さの中、まるで煽るかのように合唱する蝉を、いっそ一匹一匹潰してゆきたいと思ってしまうのは、人間として仕方のないことだろう。
アルベルは顎を伝い落ちる汗を、乱暴に拭った。
じっとりと手のひらにこびりつく汗に、不快感が増す。
熱気を吸い込みそうで、息すら儘ならない。
アルベルは少し、後悔していた。
いくらやることも無く退屈だったからって、外にでなければいけないという道理は無い。
しかし、宿で何もせず、ただじっとしているには、アルベルは少し忍耐が足りなかった。
「アチィ……」
口に出した所で、暑さが和らぐわけではないけれど、それでも口に出さずにはいられなかった。

やっと見つけた日陰は、先客が居た。
「……」
見つけた瞬間、呆れ果てて言葉を失う。
フェイトは、このクソ暑い中、木に体を預け能天気に眠りを貪っていた。
いくら木陰に居るとはいえ、外との温度差はたかが二〜三度。
しかし、フェイトはそんなもの物ともせずに、いたって安らかな寝息を立てている。
「阿呆が……」
やっと出た言葉は、まだどこか気が抜けていた。
宿に居ないと思ったら、こんな所でのんきに昼寝だなんて、緊張感が無いにもほどがある。
それで無くとも、シーハーツとアーリグリフの停戦を快く思っていない連中は多々いるのだ。
停戦のきっかけとなったフェイトは、敵と狙うには十分な標的だ。
起きたらそこはあの世だった、じゃあ洒落にならない。
「ボケてんじゃねぇぞ」
アルベルは内心の呆れと苛立ちを言葉に乗せる。
向けられた悪態に反応したか、フェイトは緩んでいた眉に、少しの不快を刻んだ。
しかし、それでも目覚める様子は無い。
「阿呆……」
安らかな寝顔に、知らぬ間に手が伸びた。
手甲に覆われた指が、前髪を梳く。
深い湖の色をした髪が、数本、汗ばんだ額に張り付いている。
さっぱりと刈られているそれは、すこし指を動かしただけで、さらさらと手から零れ落ちた。
戦闘中、だいぶ日に当たっているにも関わらず、相変わらず白さを失わない肌。
アルベルは髪を弄んでいた指を、頬へと滑らせた。
やはり、少し汗をかいている。
薄く開いた唇からは寝息が漏れている。
吐息が、砂糖菓子のように甘く香るように感じる。
色は女のような赤ではない。
桃のように、薄い桜色。
暑さのためか、少し渇いているようだ。
「こんなに近づいてるのに、何で気付かねぇんだ」
それだけ熟睡しているというのか、こんな暑さの中で。
「鈍すぎンだよ、テメェは」
よくこんな華奢な体で、戦場を生き残ってこれたものだ。
「弱ぇ癖に、悪運だけは強いんだな」
力だけが強さだと信じていたアルベルは、フェイトの持つ強靭さが信じられなかった。
きっと、フェイトだけが強いわけではない。
彼に惹かれた周りの人間も強いのだろう。
守る事から生まれる強さというのを、アルベルはフェイトに出会って知った。
「オイ、クソ虫」
呼びかける。返事はない。
「オイ」
指が顎を掴む。さっきから視線は、寝息を零す唇に釘付けだ。
「――――……イト」
――――初めて彼の名前を口にした瞬間、アルベルの世界から音が消えた。
それは一瞬の事だった。
ただ一瞬、アルベルはフェイトの唇を塞いでいた。
紡がれるはずだった名前は、フェイトの唇の中へ消えた。
世界が止まって一拍後。
いきなり頭が割れるような蝉の合唱に、アルベルは我に返った。
近すぎる目の前では、相変わらず眠りこけるフェイト。
「……とっとと気付け、阿呆」
自分でも女々しいと思う科白を吐いて、アルベルはその場を後にした。
もう暑さは感じない。
ただ、吐息を零す唇だけが焼けるように熱かった。















「――――」
気配が完全に遠のいて、フェイトは片眼を開けた。
そこに、さっきまでいた青年は居ない。
フェイトは眩しすぎる日差しの中に、アルベルの姿を描く。
本当は、もうずいぶん前から目は覚めていた。
何度も起きようかと思った。
――――だが起きるに、起きれなかった。
「なんだよ、いったい」
ぐい、と唇を拭う。
高鳴る心臓が、熱を持つ。
フェイトは再び、瞳を閉じた。
「――――お前こそ、早く気付けよ」
何を、なんて癪だから口にはしなかった。

あとがき

88188hitで候。
リクを受けてから、更新までほぼ半年たってしまいました(滝汗)
ゲーム中、アーリグリフは殆ど雪に覆われた映像しか出ないのに、話の中では夏です。
アルフェイって、何となく、お互い素直に自分の気持ちを認めたがらないなぁと。
自分で言うのはヤだから、相手から言うのを待っている、みたいな。
そんな、リンゴのように甘酸っぱい、青春ど真ん中を書いてみたくなりました。
……どこの中学生日記ですか、オイ。

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