――映ったのは、拒絶するような石の部屋と、見慣れた草原色のマント。 ただ声も無く立ち尽くし、君の跡を探す。 ああ・・・・・・これが「空虚」と言うものか。
「――――っ!」 声にならぬ叫びを上げ、目を開ける。 飛び込んできたのは薄暗い空間。 (ああ・・・そっか) 思い出す。 解放戦争終結から一年、誰にも知られず姿を消したシグレとグレミオは旅を続けていた。 ここは立ち寄った名も知らぬ小さな村の宿屋。 部屋の薄暗さを見ると、まだ夜明けではないらしい。 何気なく額を拭ってぎょっとする。 拭った手はぐっしょりと濡れていた。 寝汗にしては異常な量だ。 思い当たることはただ一つ。 (あの夢のせいか・・・・・・) ぎしりと安いベッドを軋ませ体を起こす。 旅を始めて――いや、戦争中も幾度となく見た夢。 現実に在った悪夢のリプレイ。
扉に消える姿。 叫ぶ自分。 血を吐くほどに叫んで、扉を叩いて――祈って。 痛いほどの静寂。 永遠とも取れる時間。 ようやっと開いた扉の先に求めていた姿はなく―――― ただ若草色のマントと愛用の斧だけがその場に残されていた。 血の凍るような思い。 失うことへの恐怖。 ――遅すぎた愛しさ。
あんな思い、もう二度と味わいたくない。
「坊ちゃん・・・・・・?」 隣のベットが同じように軋む。 おそらくシグレが起きたことに気づいたのだろう。 (――・・・聡い奴) 「なんでもない。少し目が冴えただけだ」 極力心配をかけさせないよう装うが、グレミオには通じないらしい。 「何でもない訳ないでしょう。凄い寝汗じゃないですか」 枕元のランプに火を入れたグレミオが顔をしかめて、シグレの額に手を当てる。 「お加減でも悪いのですか?」 「汗をかいただけでそんなに気にするな」 「今、水をもらってきますね」 ベッドがもう一度軋いで手が離れる。 ランプの頼りない光を背中に受けながら、グレミオがドアに手をかける。 一瞬振り向いて、 「ちょっと待っててくださいね」 (あっ・・・・・・) 朧な笑顔が一瞬重なる。 さっき見た悪夢の一場面。 すぅ・・・っと血の気が引いた。
「――グレミオ!!」 悲鳴をあげて、シグレはグレミオの背中に飛びついた。 「――――」 「ぼ、坊ちゃん?」 「やだ・・・行くな、グレミオ」 シグレの只ならぬ状態に、狼狽しつつ、振り向こうとする。 だが、それは当のシグレによって阻まれた。 「頼む・・・・・・今は振り向かないでくれ・・・・・・」 はっとグレミオは気づいた。 背中が、じわりと熱い。 「少し・・・・・・このまま・・・・・・」 震える小さな声。 泣いている。 声を殺して泣いている。 グレミオはそう感じた。 「坊ちゃん・・・・・・」 今すぐにでも振り向き、その涙を拭ってやりたい衝動に駆られる。 だがシグレはこのままでと言った。 従わぬわけにはいかない。
「・・・どこにも、行かないでくれ・・・・・・」 涙の間から懸命に紡がれる今唯一の願い。 「僕を置いて・・・・・・どこかへ行くな・・・・・・」 出発の日、置いて行こうとしたのは自分。 一緒に出て行くことはないといったのに、グレミオは笑ってどこまでも一緒ですと言った。 もう一度失うのが怖いから、側に居たくないと思ったのに。 もう一度亡くせば――――確実に自分は壊れてしまうから。 それが怖いから置いていこうと思ったのに。 なのに今はこんなにも側にいて欲しい。 誰より、何より近くにいて欲しい。 我儘だと、自分でも思う。 けれども・・・・・・ 「離れないでくれ・・・・・・」 「坊ちゃん・・・・・・」 グレミオは腰に回された手にそっと自分の手を重ねた。 「離れません。私はずっと貴方と一緒です」 言葉が優しく心に染み出す。 優しくて、暖かくて、また涙が出てくる。 「――もう振り向いていいですか?」 「――――うん」 頷いて、顔を上げる。 そこにあったのは、自分の大好きなあの笑顔。 「だから貴方も離れないでください。私から、ずっと離れないでください」 頬に添えられた手が熱い。 「――わかった」 抱きしめてくれるぬくもり。 触れる唇はどこまでも優しい。
こうして抱きしめてくれる君がいるから。 受け止めてくれる君がいるから。
――ただそれだけで、幸せなんだ。
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