月が出ていた。 柔らかな光を称えた月。 白い都はその光を受け金色に輝いた。 「はて・・・」 黄金降る中、白い屋根の上で影は独り言をもらした。 「いったいここはどこだろう?」 ぐるりとあたりを見回してもそこは自分の見知った場所ではない。 「参ったな・・・」 言葉にするより困っていない口調で影はまた呟いた。 身に纏った草原色のマントが風を孕みはためく。 (どうすべきか・・・) こうしているじっとしている間にも時間は経つ。 動いても時間は経つ。 「・・・案ずるより生むが易し・・・だな」 そう呟き決めて、影は屋根の上から跳んだ。 地面まで実に一丈以上。 月の灯りを背に落ちる。 舞うように落ちる。 捲れあがった草原色のマントの裾から、夕陽の色が顔を出した。
深夜だというのに城内は物々しかった。 「何事だ」 眠りを妨害された狂皇子は部屋を出ると不機嫌さを包み隠そうともせず手近の兵士に訊いた。 兵士は皇子の放つ不穏な空気に縮み上がったが、それでも職務に忠実に答えた。 「はっ、どうやら王宮内に賊が忍び込んだ模様で・・・」 「賊?」 ルカのまなじりがいっそうつりあがる。 「目下全力で捜索中であります」 「そんなにてこずるような相手か」 「ええ・・・まぁ・・・」 兵士の言葉が濁る。 答えずともその答えは明確だった。 夜中だというのに王宮にいる殆どの兵があたりをうろついている。 「ふん・・・。おい、その賊はどっちへ行った?」 「はっ。中庭の方へ逃げたと言う報告が最後で・・・」 ルカは兵士の腰にぶら下がっていた剣を抜き身のまま持ち盗ると、中庭へと足を向けた。 その目に狂喜の光を称えて・・・
中庭はもう詮索し終わったのか兵士の姿は殆どなかった。 賊らしい者の姿も見えない。 ルカはあたりをぐるりと見回し、気配がないことを確認すると軽く舌を打ち、踵を返した。 と。 「っ!?」 突然背後の木が盛大に揺れ、茂みに何かが落下した。 ルカが剣を構える。 先ほどまで露ともなかったはずの気配がする。 「・・・おい」 ルカは口元に邪悪な笑みを張り付かせたまま口を開いた。 「貴様が城内に侵入したと言う賊か」 「・・・・・・」 応答はない。 「いったい何が目的だ?この俺に気配すら感じさせないとはただのこそ泥ではあるまい」 「・・・・・・」 返ってくるのは沈黙のみ。 構えなおした剣の鍔がカチャリと鳴る。 「答えぬのなら問答無用で斬るぞ」 「――わかった」 初めて茂みの中から答えがあった。 意外にも高めの声。 「今出よう」 茂みが揺れて賊の姿が露わになる。 「・・・ほぅ」 月の光を浴び、そこに立っていたのは赤い衣装に身を包んだ子供であった。
まずい事になったと思った。 まったくもってついていない。 迷い込んだ先がよもやハイランド城とは・・・ さっきから兵士に追いかけられ木の上に逃げては見たがこれで万事休すだ。 目の前の男は明らかに先ほどの兵士たちとは段違いの腕をもっている。 兵団長か、はたまた将軍クラスか・・・? 「まただんまりか?」 目の前の男が笑う。 莫迦にしたような嫌な笑い。 シグレは思わずむっとしたが、それを面に出すほど愚かではない。 表面上は冷静を装う。 そのくせ頭の中は、この状況からどうにか脱却しようと目まぐるしい速度で動いていた。 「もう一度聞く。お前の目的は何だ?」 相手は楽しんでいる。 まるでいたぶりがいのある小動物でも見つけたかのように・・・ 「・・・とくに目的などない」 「そんな言葉を信用すると思うか?」 「いや」 シグレは首を振った。 「思わない。だが事実だ。私はここに迷い込んだだけなのだから」 「この兵士がうようよしている中をお前のような子供が迷い込んだ?」 「地上は確かに兵士がいるが、空には誰もいない」 「空・・・?」 男の注意が一瞬それる。その隙を逃さず、シグレは地を蹴り、走り出した。 だが。 「逃すかっ!?」男の剣が脇を通りかけたシグレの上に振りかかる。 「ぐっ!?」 闇に散る火花。 シグレはすんでで剣を焜で受け止めた。 (お、もい・・・)
思わず膝をつく。体格差はあるにしてもこの重みは何だ? シグレは自分を見つめる男の目に、狂喜の光が点るのをみた。 (キチガイ、か・・・) 「何を考えている」 男が笑う。 シグレが感情のない声で返す。 「ここからどう逃げようか考えている」 「笑止だな!お前は俺がここで殺す!!」 「それは出来ない」 シグレは顔色も変えずにいった。 「ナニッ!?」 「私は死なん」 片手の力を抜くと、剣は下に加える力に従い逸れる。そのまま腹に一撃を加え、男の下から抜け出すと、出口に向かって一路走り出す。 逃げられる。 そう思ったが、 「いたぞ!!」 「ルカ様、ご無事で!?」 (何!?)
出口に立ちふさがる多数の兵士の言葉に思わず振り向く。 「ルカ・・・狂皇子ルカ・・・」 「小童、貴様よくもやったな・・・」 かなりの打撃であったはずなのに、男は不敵に笑い立っていた。 (人、なのか・・・?これは) ぞくりと背に怖気が走る。 「あっ!てめぇか!!こそ泥は!!」 吠えたのは赤髪の青年。
男は―狂皇子―はただ口元に嘲笑を浮かべている。 「いい加減観念しろ」 「――出来ない相談だ。私は逃げる」 あくまでシグレは不遜な態度を崩さなかった。
「そうか。ならば死ね!!」 「お待ちください!!」 ルカが叫び、剣を構えた所で別の声が入った。 声の主は銀髪も鮮やかな男。 男は兵の群をかき分けるとゆったりした動作でシグレに近付いた。 シグレは油断なく焜を握り締めた。 だが男は何かをするでもなく、しばしシグレを見つめる。 「クルガン、何故止める」 「少々確かめたい事がございまして。失礼ですが・・・貴方はもしやシグレ=マクドール殿では?」 「なっ!?」 周りに驚愕が走る。
シグレ=マクドール。 あの赤月帝国を破り、現在のトラン共和国の礎を築いた英雄。 ざわつきの広がる中、シグレも密かに瞠目していた。 しかし一瞬にして元の無表情に戻り、 「・・・違う」 「ほぉ」 「私はそんなものではない」 首を振る。 英雄などではない。 そんな肩書き捨てた。 「では確認させていただきたい」 言うやいなやクルガンはシグレの右手を掴み、そのまま手袋に手をかける。 「っ!止めろ!!」 「何故です?貴方が本当にトランの英雄ではないなら右手に魂喰いの紋章などはない。それを確認するだけ」 「とにかく、止めろ!!」 強引に手を引き抜く。 拍子に手袋が男の手に残った。 甲を覆う手の隙間から覗く紋章は・・・ 「やはりトランの英雄・・・」 クルガンが嘆息する。 「まじかよ・・・」 後方でさきほどの赤い髪の青年が目を見開いていた。 「・・・・・・」 聞こえるどの言葉にもシグレは黙ったまま、ただ庇うように右手を握り締めていた。
しばしの静寂を破ったのは哄笑。 「なるほど!そういうことか!!」 狂ったように嗤うルカ。 「お前があのトランの英雄と言うのなら納得がいく。この俺に気配を気取らせず、あまつさえ殺されなかった子供!!」 それは歓喜の笑いだ。 狂った歓喜の笑い。 やがて笑いを収めたルカは呆然とするシグレに近付き、その手を強引に取った。 「放せ・・・!」 身をよじるが体格差はいかんともしがたい。 ルカは無駄な抵抗を楽しむかのように唇の端を吊り上げると、おもむろに口を開いた。 「俺のものになれ」 「なっ・・・!」 今度こそ誰の目にもわかるほど、シグレは瞠目した。 「トランの英雄が俺の手の内にあれば何かと役に立つ」 「私は道具ではない!」 「道具だ。俺以外の人間はすべてな」 その言葉にシグレは奥歯を噛みしめた。 こんな、こんな男の虜となってたまるものか・・・ッ! 「どうだ。何も不自由な生活はさせない。望むものは何でも手に入れてやろう」 「貴公がいくら力を持っていた所で私が本当に望むものなど手に入れることは出来ない」 「そんな事はない。言え。何を望む?」 「・・・無駄だ」 シグレは初めて口元にうっすらと笑みを浮かべた。 それは妖かしの笑み。
「僕が望むものは、僕自身の終末だ」
「ッ!!」
言い終わると同時に自分を捕らえていたルカの水月に手刀を叩き込む。相手が崩れ落ちると同時に地を蹴る。後ろなど振り返らず兵士の群へ突進する。あの群さえ抜ければあとは簡単。構えた焜を握り締める。驚いたまま動かない兵士たちが間近に近づく。 「っ!」 一瞬脇腹に異物の感触。何かが流れる。 足から力が抜け、柔らかな草の上に崩れ落ちる。 何が起こったのかまったくわからなかった。 「おいクルガン。ひょっとして・・・殺したのか?」 頭上で心配そうな声。 それに応対するのは冷たい抑揚のない声。 「まさか。だがしばらくは動けんだろうな」 唯一動く眼球だけで上を見る。 クルガンが手の中で血糊のついた小さなナイフを遊ばせていた。 「そのナイフに痺れ薬でも塗ったか・・・」 「ルカ様!?」 「ご無事そうで」 「まぁな。子供と思って油断した」 「それは珍しい・・・」 「うるさい」 忌々しそうな声と共に空気の流れで誰かが自分の上にしゃがんだとわかる。
「部屋に連れて行く。医者を呼べ」
――浮遊の感覚を最後に、シグレは意識を闇に手放した。
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