グレッグミングスターにほど近いトラン湖。
深い青を称えるこの湖は、過去幾度となく戦場となった。
一番新しいのが紋章戦争時の帝国水軍対解放軍の戦い。
紋章戦争の中でも熾烈を極めたこれは、解放軍の辛勝となった。
世界に類を見ない美しさを誇るトラン湖も、一時は双方の兵が流した血により赤く染まり、
生を亡くした屍はその身を湖に浮かばせ、鳥の、或いは魚の餌となり無残な姿をさらした。
そのようなトラン湖にはいつの頃からか鴉が住み始めた。
おそらくは死体目当てであろう。
どこからともなく禍々しい声を響かせ、死体を貪る。
貪られた死体はどれも人と判別するのが難しいほど悲惨な状態であったという。
だがどういった訳か誰も鴉の姿を見たものはいない。
いつも真夜中に声が響いたかと思うと、水音がして死体が肉の塊と化している。
声があってすぐに向かっても同じ、鴉の姿は見えない。
そこである勇敢な兵士がその姿を見極めようと湖の近くで鴉が現れるのを待った。
月が昇り、星がさざめく。
ぷっかりと浮かぶ死体が白々とした月の光を浴び、緑色の皮膚を晒す様はいかに勇敢な武将であれど逃げ出したくなる光景であった。
だがその兵士はそれに勝るほど勇敢であった。
やがて月が隠れ、朝が近付く。
もう今夜はこないのかと諦めたその時である。
北の空より来る黒い翼。
邪悪な鳴き声と巨大な翼をはためかせ、それはやってきた。
それは紛れもなく鴉。
兵士は草むらに潜み、じっと鴉の様子をうかがった。
鴉は警戒するように湖の周りを二、三度旋回すると兵士のまん前に降りてきた。
そしてその太く鋭い嘴を、死体の腹につっこみ食事を始めた。
ぐちゃぐちゃと腐った肉を喰らう音がする。
鴉は夢中になって食事を続けた。
腕が引きちぎられ骨ごと喰われ、どろりと白い液体を滴らせた目玉が黒い嘴の中に吸い込まれてゆく・・・
兵士は思わず目を背けた。
その拍子に草むらが揺れた。
鴉ははっとした様子で動きを止めた。
そしてゆっくりと振り向き・・・
「ぎゃ―――!!??」 「ガッ!?」
重なる少女と少年の悲鳴。 と、同時に響く鈍い音。
「ワー、ワー、ワー!!」 「いやー!!」 「オイオイ、そこまでビビるかぁ?」 ビクトールが興ざめした顔で蝋燭に灯を入れる。 ぼんやりとした灯りが徐々に増え、広間の一室は完全に光に晒された。 軍主の部屋の中央を丸く陣どり、顔を付き合わせる面々。 ビクトール、フリック、ルック、フッチ、チャコ、そして軍主ハクウにその姉ナナミ。 さらに忘れてならないのがもう一人・・・ 「おい、いい加減離してやれよ」 「・・・目障り」 フリックとルックがそれぞれハクウとナナミの首根っこを引っ掴む。 だが離れる気配はない。 「あのぅ・・・」 ハクウとナナミの下から弱弱しい声が聞こえた。 「退いてくれますか?ハクウ殿、ナナミ殿・・・」 声の主は旧解放軍リーダー、現諸国漫遊中であるトランの英雄ことシグレ=マクドール。 「だってだって―!!」 「怖すぎるんですよぉ、ビクトールさんの話!!」 「おいおい、怪談大会しようって言い出したのはおまえらだろうが・・・」
――確かに、シグレを連れて帰ってきたかと思うと納涼怪談大会をしようと言い出したのはハクウである。 敵側が聴けばこんな相手と戦ってるんかい!と情け涙を流す事請け合いだろうが、幸いにもこの一件は正軍師であるシュウにもナイショだ。 聴いていたならおそらくこんな所で呑気に話しなんぞしていられないだろう。
シグレはいまだ蝉の如くへばりついたままの二人を伴い、体を起こした。 「ハイハイ、ビクトールの話はすべて虚話なのですから怖がる事などありませんよ」 子供にするように二人の頭を撫でるシグレ。 「ほんとーですよねぇぇ・・・」 「本当です。第一僕はトランの城に約一年ほど住んでいましたがあんな話聞いたことありません」 安心させるよう、ゆっくり噛みしめながらいうと、シグレはビクトールに非難の目を向けた。 「ビクトール。お前も人が悪いな。いくら話術が得意だからと言っても限度というものがあるだろう・・・」 「まさかこんな話でビビるなんて思わなくってなぁ・・・」 ビクトールが頬を掻き苦笑する。 「チャコ、君も大丈夫かい?」 青い顔をして固まっていることに気づき声をかけると、チャコは不自然なほど飛び上がった。 「へ、へへ、平気だ!これくらい!!」 精一杯の虚勢がかえっていじましい。
「ルックは平気そうだね・・・」 「こんな子供だましで怖がる奴の気が知れないね」 あくまでさらりと言い放つルック。 「子供だましなんかじゃないです!!」 「真に迫りすぎ!!」 半泣きのハクウ達が吠える。 「まぁ・・・確かに怖かったかもしれないけど・・・」 「だよね、ねっ!!」 フッチの言葉はどちらかといえば共感と言うより同情の意味合いが強い。 それでも賛同者を得て、ハクウは自分の正しさに妙な自信を持った。 「シグレさんは怖くないんですかぁ〜・・・?」 「うん・・・まぁ・・・」 シグレは怪談より、今にも服につきそうな鼻水の方が気になった。
「なぁ、お前もなんか怪談知らないのか?」 ビクトールがまだ震える二人をあやしているシグレに問う。 「怪談・・・ね。僕はそんな話に興味が無いからなぁ・・・」 「でも一個くらいあるだろ?有名な話でいいから」 「・・・種切れか?ビクトール」 訝しげなシグレの視線に、ビクトールは肩をすくめて答えとした。 「で、なんか無いのかよ。怪談」 「ふむ・・・そうだな・・・」 シグレは明後日の方向をむいて考え込んだ。 「・・・なんというのか・・・。一応あるにはある・・・と、思う」 「おう、どんなだ?」 シグレの言葉のニュアンスに気づかぬ面々は興味新進で次の言葉を待った。 「それでは、話すぞ」 唇を湿らせ、ゆっくりと言葉が紡がれる・・・
「後ろにある鏡。僕らは八人のはずなのに中に映っているのはどうして九人なんだ?」
夜の帳が降り始める夕刻の事。 とある一室に多種多様な悲鳴が轟いた・・・
――後にシグレに聞くと、 「話を始めた時から気になっていたんだけれど別に害はなさそうだったから黙っていた」 という、なんとも呑気な答えが返ってきたという。
とある夏の夜。
不可思議怪奇なお話でございます・・・
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