=お疲れ様、ありがとう=

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 目覚めた弦麻は、己が闇の中に佇んでいることを知った。





 霞む視界と脳に滑り込む黒。右も、左も、上も下も此方も彼方も目に映るは闇ばかり。
 立っているのか寝ているのかすら分からない闇の中、思い返す。
 あぁ、そうか。ここは閉じられた洞の中なのだから当然だろうと――――考えたところで冷水を浴びせかけられたかのように、急激に意識がはっきりする。
 そうだ。ここは中国は客家の住まう地。
 自分は世界を滅ぼさんとする柳生宗崇と共に洞の中へと入りそして……そして……。
 思い出した事実に弦麻は青ざめ、周囲を見渡した。




 柳生の気配を感じない。




 どれほど周囲に目を凝らし気配を感じようとしても無駄だった。
 いや、それどころか生きているものの気配自体がしない。
 これは柳生がすでに死んでいると言うことなのだろうか。
 あるいは取り逃がしてしまったと言うことなのだろうか。
 考えが最悪の方を向く。
 一命を賭して諸悪の根源を封じ込めることに成功したと思ったのに、逃がしてしまったとしたら龍山や道心、共に戦ってくれた人達すべてに申し訳が立たない。
 それになにより。
(……迦代、すまない。私が不甲斐ないばかりに私たちの息子を危険な目に遭わせてしまうかもしれない……)
 弦麻は不安から早まる心音を収めようと服の上から胸を押さえ――――気づく。


 動いていない。あるはずの鼓動が、まったくしない。


 いや、それどころか自分自身の生気すら感じられない。
 これは……。
「あぁ……死んだんか、自分」
 声に出すと、あっけないほどその事実は胸の中に収まった。
 驚きは確かにあったが、それよりもやはりなという思いの方が強い。
 洞のなか、あの魔人・柳生宗崇と共に閉じ込められたのだ。




 自分は死んだ。




 それを再確認すると、弦麻の顔からはまたしても血の気がひいた。
 自分は死んだ。
 なら、一緒に閉じ込められた柳生はどうなったのだろう。
 弦麻は再度周囲を見渡す。




 死んでいるならば、どこかに死体があるはずだ。
 生きているならば、きっと洞から出ているだろう。その時使った出口があるはず。
 だが、いくらくまなく歩き、目を凝らせど死体も出口も見あたらない。
 目に映るものは柳生の姿ではなく漆黒ばかり。
 焦る弦麻の額から、汗が一滴したたり落ちる。
 それを乱暴にぬぐった弦麻は、きつく瞳を閉じ、再び意識を身の回りに集中した。




 ――――知りたい。




 柳生がどうなったのかが知りたい。
 死んでいるならばそれでいい。
 だがもしも生きているならば。
 生きて、いるならば――――。
(無事でいてくれ、龍麻――――ッ!)






 ――――祈る思いは千里を超える。






 次に目を開けたとき、弦麻は墓地の中にいた。
 先ほどまでいた場所とは明らかに違う。
 闇の代りに現れたのは、どこかくすんだ色の青空と風にやせた枝を揺らせる枯れ木と見渡す限りの墓石、墓石、墓石。
 その一つ。立ちすくむ弦麻と墓石の間に、少年が手を合わせしゃがみ込んでいる。
 いや、少年というのは正しくないか。すでに青年と言っていい風格の、清廉な気の持ち主だった。
 墓石に供えられた菊花は青年が持ってきたものだろうか。まだ点けられたばかりの線香からは、ひょろひょろと白い煙が風に遊ばれながら天を上ってゆく。
 綺麗に洗われ清められた墓には見覚えがあった。





 ――――緋勇家代々の墓。





「お父さん」
 墓石に気を取られていた弦麻は、目の前の青年が発した言葉に驚き目を見張った。
 慌てて背後から横に廻り、その顔を確認する。
 綻んだ唇の形に今は亡き妻――――迦代の面影を見る。
 まさか、と言う思いは続く青年の言葉に決定打へと変わった。
「ここにくるのははじめてです。あの……息子の龍麻、です」


(たつま――――っ!)


 龍麻、だった。
 目の前の青年は、もう二度と会うことは適わないだろうと思っていた我が子の成長だった。
 記憶の中にいる龍麻はまだ自分で立つことも出来ぬ赤子であったというのに、今やその姿は立派な青年となっていた。
 弦麻は胸元を押さえ、顔を歪めた。
 ぐぅっ、と喉を何かがせり上がってくる。
 それは歓喜であったろうか。それとも驚愕であったろうか。あるいは泣き言であったろうか。
 言いしれぬ思いが胸を詰まらせ息苦しさすら感じる。
 発したはずのわが子の名は、口から出ると単なる空気に変わり、風へと消えていった。
 龍麻が顔の前で合わせていた手を下ろし、表情を真剣なものへと変える。
「ずっと、来たかったけれけど踏ん切りがつかなくて……。でも、やっと決心がつきました。報告したいことが出来たんです」
 言って、龍麻は深呼吸すると、





「柳生を、斃しました」





 今度こそ弦麻はよろめいた。
 柳生を。あの不死の魔人を、龍麻が、斃した――――。
 誇らしい気持ちと、それを上回るやはり戦いの渦に巻き込んでしまった己の不甲斐なさとがぐちゃぐちゃになって胸を占める。
 賞賛の言葉が思いつかない。謝罪の言葉すら出ない。
 だが、龍麻はそんな弦麻の思いも知らず報告を続ける。
「俺だけで、じゃありません。仲間がいたから――――みんながいたから、出来たことなんです」
 そう言うと、龍麻はその仲間について一人ずつ語り始めた。



 よい友に恵まれたのだろう。
 丁寧に紡がれる言葉には熱と、仲間一人一人に対する尊敬の念が込められていた。
 誇らしげに語る龍麻の両頬は、寒さのためだけでなく紅葉のように紅潮している。
 弦麻は龍麻の言葉に耳を傾けてゆく内、塞いでいた胸がゆっくりと温まってゆくのを感じた。
 かつての自分がそうであったように龍麻はよい仲間達に恵まれたようだ。
 それがたまらなく嬉しかった。そして同じくらい、成長を見届けることが出来なかったのが悔しかった。



 生きてさえいれば――――きっともっと愛してあげられたはずだ。
 迦代の分まで側にいて見守り、慈しみ、記憶の中にいる龍麻と現在の龍麻の間に存在する空白の間を埋められたはずだ。
 親として当たり前のことを出来なかった事が、悔しくて悲しかった。
 自分が育てたところでここまでよい子には育たなかっただろうと言うのが、唯一の救いだろうか。
(迦代……)
 触れられぬ手で、妻の眠る墓石をそっと撫でる。
(私たちの子供は、とてもよい子に育ってくれた)




「それで、」
「龍麻君」
 ふと、他に誰もいないはずの墓地で第三者の声が響く。
 声の方に顔を向けると、どこか見知った面影のある紳士が仏花を手にこちらに向かって微笑んでいた。
「鳴瀧さん」
 立ち上がり、龍麻が名を呼ぶ。呼ばれた名に、弦麻はあぁと小さく声を零した。
 知っているはずだ。
 こちらに近づいてくる男性は、かつて弦麻と共に柳生一派との戦いに身を投じた仲間の一人、鳴瀧冬吾であった。




「ご実家の方に連絡したら、ここだと聞いてね」
 記憶の中にあるよりも数段深みの増した笑顔で、鳴瀧は墓に目を向ける。
 瞳に一瞬去来したのは懐かしさ、だろうか。
「……弦麻に報告か」
「はい。敵を討って、やっと逢う決心がつきました」
 彼も草葉の陰で喜んでいるだろう、と鳴瀧が微笑めば、それなら嬉しいのにと龍麻も微笑みかえす。




 穏やかな空気が流れた。




 睦まじいその姿に、弦麻は話題の中心にいながらすこし寂しさを感じていた。
 龍麻は成長し、鳴瀧は年を取った。
 ともに年月を歩めなかったことが、寂しい。
「今、いろいろと話していた所なんです」
 龍麻は話を続けた。 
「仲間のことや、戦いのことや、父さんの……俺を育ててくれた方の父さんの事、それとこれはまだなんですけど」
 龍麻はそこでいったん言葉を切ると、一度深呼吸をしてから、




「俺、卒業したら中国へ行こうと思うんです」




 鳴瀧と弦麻は一瞬息を詰めた。躊躇いがちに鳴瀧が問う。
「どういうことだい。確か君は卒業したら大学へ行くと……」
「大学には行きます。ただ、受けるのを一、二年遅らせるだけです」
 奈良の父さんにはもう話しましたと、龍麻は言う。
 それから、口元に浮かべていた笑みを消し去り真剣な面持ちになると、
「俺――――お父さんのことが知りたいんです」
 そういった龍麻の瞳には、決意と言う名の炎が宿る。
 弦麻は知っている。
 かつて、命を縮めると知りながら子を産むと言った迦代も、こんな目をしていた。
 まるで山のように、けして揺るがぬ思いの色だった。




「俺は十七年間、何も知らずに生きてきました。お父さん達の戦いも苦しみも死すらも知らずに生きてきました」
「だがそれは君のせいじゃない」
 鳴瀧の言葉に弦麻は強く頷いた。
 そうだ、それは龍麻のせいではない。
 すべて弦麻が望んだことだ。



 願わくば戦いなど知らず、平穏に、穏やかな毎日を過ごして欲しかった。
 自分たちの戦いに巻き込んだのでは得られない、誰もがそう過ごすべき安息の中にいて欲しかった。
 だが、龍麻は鳴瀧の言葉に頭を振った。
「確かに、俺が何も知らずにいたのはお父さんが望んだからかもしれません。でも、それじゃ納得できないんです。中国に行くことでどれほどお父さんのことを知ることが出来るかは分かりません。でも、せめてお父さんの骨くらいは持って帰りたい。だって――――」
 言葉を詰まらせ龍麻は振り返る。墓に向ける視線には淀みがなかった。
「だって、死んでからもお母さんと離ればなれなんて、寂しいじゃないですか」




(――――ッ!)




 胸が、詰まった。
 こわばった頬を一筋涙が流れて落ちる。
 弦麻は祈るように硬く拳を握りしめた。
 出来るならば、いますぐ抱きしめてやりたかった。
 死んでなお、これほどまでに思ってくれる息子が愛おしくてたまらなかった。
 だがそれは適わず、数秒後。
 鳴瀧はため息を吐くと、肩の力を抜いた。
「――――言い出したら聞かないのは、誰に似たんだろうね」
「両方だって、父さんが言ってました」
 肩をすくめる鳴瀧に笑顔を向ける龍麻。
 諦めたかのように微笑った鳴瀧は、だがすぐに真剣な表情で龍麻の肩に手をかける。
「そこまで決意が固いのならもう何も言うまい。きちんと見、聞き、そして学んできなさい。緋勇弦麻という男を。君の――――素晴らしい父親のことを」
 鳴瀧の言葉に、龍麻はただ小さく頷いた。
 それからそろってお参りを終え、龍麻達は墓を後にする。
 弦麻はその背中を目を細め見送った。




(龍麻――――)
 胸の中を、様々な思いがよぎる。そのすべては感謝の言葉だった。
 戦いを引き継ぎ、終わらせてくれてありがとう。
 取り残してしまった父を恨むことなくまっすぐ育ってくれてありがとう。
 幸せに生きてくれて、ありがとう。
 そして――――。




「お疲れ様」




 待っている。
 その一言と肩を押す手は、冬の風に掻き消えた。










 ――――龍麻はふと、振り返った。
 だが視線の先には、冬の弱々しい日差しを受ける黒い墓石と、枯れ葉が冷たい風に弄ばれ空に舞い上がるばかりで他には何もない。
「どうしたんだい」
 突然立ち止まった龍麻に、鳴瀧が声を掛ける。
 龍麻は首を振りながら再び歩き出した。
「いえ、あの、なんだか――――」
 ――――なんだか、優しい声を聞いた気がする。
 そう呟いて何気なしに触れた肩にはどこか懐かしいような温もりが残っていた。

あとがき

優しい君への五のお題Byリライト
「お疲れ様、ありがとう」

途中でお題から脱線しかけてエライ慌てました。
双龍変やら符咒封録やらの設定を無視した弦麻さん登場。
ついでに鳴瀧さんも登場。
相変わらずMy設定てんこ盛りです。

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