それから

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そろそろだ――――。
と、芙蓉は携帯を覗き込んだ。
前回の連絡からきっかり二十日目の午後九時。
この時間が近づくと、自分はいつも落ち着かなくなる。
ありえない話だ。式神――――元を正せば唯の紙である自分の、在りはしない心が浮き立つなど……。
しかし事実、秒針が進むごとにいても立ってもいられなくなって、何度も携帯を見詰める。
そして待望の着信音が手の中から鳴り響いた時、芙蓉は訳もなくホッと吐息を零した。












『お久しぶりです。芙蓉さん――――』
「久しゅうございます。ご主人様」
懐かしくも耳に心地よい声に挨拶を返せば、例によって電話の向こうの主は困ったような声音を出す。
『芙蓉さん。あの、何度も言うけど、その……。《ご主人様》っていうのは……その……』
「ご主人様。何度も言うように、私の事もただ《芙蓉》と、そうお呼びください。でなければ《ご主人様》はずっと《ご主人様》のままです」
言い返せば、あぁだの、うぅだの、言葉にならない抗議が帰ってくる。
おそらく、反論を考えているのだろう。どうせ三十秒もすれば、諦めて次の話題に移る。
もはや通過儀礼と化した沈黙に、芙蓉もまた静かに付き合った。













「差し上げるのではありません。貸すだけです」
――――真神学園卒業式から数日後の空港。
仲間たちが見送る中、蓬莱寺と共に中国へ渡る龍麻へ、御門はそう言って真新しいケータイを手渡した。
手渡されたときの龍麻の顔を、芙蓉は今でもありありとまぶたの裏に描く事が出来る。
何度もケータイと御門を見比べ、困惑しきった視線を惜しげもなく浴びせていた。
「――――なんて間抜け面をしているんですか、貴方は」
いつもの様に御門が一言厭味を浴びせれば、龍麻はさらに言葉につまり、喉の奥でうめきを潰す。
いつもならば助け舟を出すはずの仲間達も、しばらくこの応酬も見納めかと思えば名残惜しくなったのか。
誰も間に入るものはいない。
芙蓉自身も、無論止めるつもりは無かった。
それが他の仲間達のように郷愁に浸っているからなどではなく、純粋に主が楽しそうだったからだ。
龍麻をイジメ倒す御門の横顔は、秋月や村雨と接しているときのように、どこか活き活きとしている。
主が楽しそうで良かったと、芙蓉は別れの場に相応しくない事を考えていた。
そのうち、躊躇いながら、龍麻が反撃に出た。
「だ、だって。俺達が行くのは、海外で。海外は、電波、届かなくて……だから。あと、金。た、滞在費でもうアップアップしてるから、使用料とか、払えない。気持ちは……あの……嬉しい、けど」
眉を下げ、本当に申し訳なさそうな顔でケータイを返そうとする龍麻。
しかし、御門は一言ぴしゃりと、
「費用は無論こちらで持ちます。それに、その携帯電話は衛星通信可能なものです。地球上なら、どこからでもかけられるし出られますから安心しなさい。第一、この私がわざわざ使えないものを贈ると思いますか?まったく。反論より先に、礼を言うのが筋というものでしょう」
矢継ぎ早な説明は、最後、いやみによって〆られる。
龍麻はまたしてもあぁだのうぅだの言葉にならないうめきを上げながら、それでも両手にしっかりと携帯を握り締め、
「あ、ありがとう……」
御門に向かって礼をした。
「連絡する。借りたからには、ちゃんと連絡するから」
「当然です。月に一度は必ずなさい。番号は短縮の一にはいっていますから」
「ありがとう。ほんま、ありがとう」
もう一度、ことさら大事そうに携帯を押し抱いて、龍麻は微笑んだ。
扇子の陰に隠れた御門の口元も緩む。
二人のやり取りを見て羨ましくなったか、我も我もと先を争うように他の仲間たちも龍麻に番号を教え始める。
その光景を御門の隣でじっと見つめていた芙蓉は、ふと体の中に空虚を感じた。
あと数分もすれば龍麻は自分の目の前からいなくなる。
彼のことだから、きっと御門に言われたとおり月に一度は電話を入れてくるだろうし、そのうち一度は里帰りに帰ってくることもあるだろう。
しかし、数分後には確かに彼はいない。
この日本から、自分の近くから飛び立ってしまうのだ。
何もこれが今生の別れというわけではない。
理屈では分かっている。
ではなぜ、自分の中はこんなにも寒々しい風が吹いているのだろうか。
芙蓉は、理由のわからない痛みを、服の上から鼓動と一緒に握りこんだ。
「ふ、芙蓉さんッ!」
仲間の輪のなかから叫んだ龍麻の声が、芙蓉の意識を現実へと戻した。
弾かれたように輪から抜け出た龍麻の髪は、ぐしゃぐしゃに乱れている。
それを注意しようとした芙蓉の声を、どもる龍麻の声が遮った。
「け、ケータイ。ケータイの番号。芙蓉さんの、教えて……ッ!」
「えっ?」
思っても見ない龍麻の言葉に、芙蓉は自分の体が固まるのを感じた。
「私の……ですか?」
問えば、龍麻は何度も首を縦に振った。
「みんな聞いたのに、芙蓉さんだけまだ聞いてないから。電話、しますから」
長く垂れ下がった前髪の裾の頬が、赤く染まっていた。
芙蓉はまたそっと胸を押さえる。
先ほど吹いていた胸のなかの寒風が、にわかに春風のように柔らかく暖かいものへと変わる。
芙蓉は、声が上ずらぬよう心持慎重に、
「――――私の番号は短縮の一番。晴明様と同じです。晴明様はお忙しい身ゆえ、秘書の私が全ての電話を受け、取次ぎさせていただきます」
言えば、あぁ……と得心したように龍麻は頷く。
「じゃあ、電話をかけて、いつも一番初めに聞くのは芙蓉さんの声ですね」
不意打ちの微笑みに、ないはずの鼓動が高鳴る。
芙蓉はひとつだけ頷いて、言葉をなくした。
沈黙の時は長くもたず、無常にもフライトの時間はやってくる。
いまだ別れを惜しむ仲間たちに、龍麻は微笑んだ。
「いってきます。きっと、またひょっこり帰ってくるから、その時はお帰りって言ってな」
お土産はちゃんと買ってくるから、と冗談めかして、彼は旅立った。
ありはしない心の中に、龍麻の残した暖かいものを抱いて、芙蓉はそれを見送った。
別れから二年。
ひょっこり帰ってくるといっていたくせに、これまで一度も龍麻は日本の土を踏んでいない。
電話をかけてくるゴトに吹っかけるイジワルは、それに対するちょっとした意趣返しだ。
早く帰ってこいと言外に催促しても、鈍い彼は気付こうともしない。
この意趣返しは、どうやらまだまだ続きそうである。
――――それもいい。
沈黙が終わりそうな気配を感じた芙蓉は、我知らず口元にゆるい笑みを浮かべた。

あとがき

五周年連続更新企画作品
ノーマルを書くとどこまでも甘酸っぱくなるのが管理人の特性。
龍麻×芙蓉と書きましたが、心情的には芙蓉+龍麻。
芙蓉は別嬪さんでかっこよくて可愛いですね。
朧のEDでメロメロになりました。

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