『いつかまた、会えると』

「―― ……」

名を呼ばれた。
村の若者が、話を聞きに来たのか。それとも、子どもたちか、孫たちが迎えに来たのだろうか。

返事をしようと思いつつも、非常に、眠かった。
瞼の向こうから、強い光が差してきた。
最近では開けるのすら億劫になってきていた重い瞼を、何とか押し上げる。

小さな太陽が、目の前に浮かんでいた。
いや違う。
思わず浮かんできた笑みと共に、老人は懐かしそうに、その名を呼んだ。
久しぶり、ミオ……と。

光は、ひとつ、ふたつとゆっくり瞬いた。まるで、老人の呼び掛けに呼応するかのように。
そして、音もなく飛び上がった。広場の台座にもたれている老人から少し離れたところに止まり、様子を窺うようにゆらゆらと揺れた。

「……おいでって、言ってるのかい?」

光は再び瞬いた。

「……近頃はねえ、もう、あまり体も動かせなくなってきたんだよ」
だから、あなたとお別れした時とは、もう違うのだよ。
そう口にしたが、光は諦めずに待っている。誘うように、近づいたり離れたりしながら。

おいで。
おいで。
大丈夫、歩けるから。

半ば諦めの気持ちを抱えながら、仕方なく寄りかかっていた台座に手を付き、体を起こした。
簡単だった。いつもなら、ありったけの力をがくがくと震える腕に籠めて何とか起き上がるのに、どういう訳か、ひょいとあっけなく起き上がれた。
驚きながら、身体を預けていた台座を振り返る。
そうか、ずっと身体が重くて仕方なかったのなら、こうやって置いてしまえば良かったのか。
どうしてこんな当たり前のことを思いつかなかったのだろうと、自然と笑い声が漏れた。

「それで、どこに連れていきたいんだい?」

向き直ると、光はすっと流れるように動いた。
少し離れると止まり、瞬いて呼ぶ。

起き上がるのが楽なら、歩くのも楽だった。何も持っていないのだ。あの旅を始めたばかりの頃と、寸分も変わらない歩みを繰り出せる。

近づくと光はまた離れ、歩いてくるのを待っている。
導かれながら、古い村を抜けていく。すれ違う人もいない。
今はもう、ほとんどの村人が少し離れたところにある拓けた場所に移り住み、新しい村の様相を呈しているのだ。ここに残されたのは、抜け殻ばかり。

あっという間に、坂を下りきり、川に掛かる橋のたもとへ辿り付く。
……ここは、こんなにも綺麗だったろうか。
通る者も少なくなって、朽ちていくに任せたままだったはずなのに。それが、今日は、辺りが明るくて輝いているようにすら見えた。

「―― ……、やっときたね」

名を呼ばれて、振り向いた。
相棒がいた。ずっとずっと前に別れて、会えなくなっていた相棒が、そこにいた。変わらない姿で。

「待っていてくれたの? 随分、待たせてしまったんだろうね」
「そうでもないよ。あっという間だよ」
「ひとりなの?」
「ううん。みんないるよ。待ってたんだ、君を」

パパオがいた。
父が、母が、きょうだいたちがいた。
とうに会えなくなっていた村人たちがいた。
昔の村長がいた。その妻もいた。息子もいた。
かつての旅で出会ったことのある、他の村のキャラバンもいた。
街道ですれ違ったことのある者もいた。

「おせえぞ」

ぶっきらぼうな声がした。

ああ。

どうしようか。会ったら、会えたら、返さなきゃと思っていたものが、あったんだ。
その言葉を受け、不思議そうに首を傾げる頭にはやはり、遠い昔、初めて里で出会った時に締めていたバンダナが無かった。

あれはもう、どこにしまってしまっただろうか。
拾って、握りしめて、荷物の奥に押し込んで、村に、家に持って帰って。
部屋の戸棚だろうか、机の引き出しだろうか。それともまさか、もう既に捨ててしまったろうか。

「なんだ、持ってるじゃねえか」
言われて気付けば、いつの間にか、手の中に、古びた布があった。
ひょいと取り上げ、くるりと頭に巻いた。
「ああ、落ち着いた」

やっぱり、その方が似合うねえ。セルキーらしくて。
そんなことを、話しながら、

□□□

「あっれえ? この間まで、ここになんか古臭い汚れた布切れなかったっけ?」
「ああ、あれね。おじいちゃんか、おばあちゃんか……どっちだったか忘れたけど、大切に置いてたやつでしょう? それがどうしたの?」
「ううん……見つからないんだけど」
「誰かが持っていったんじゃないの?」
「そうかなあ。この部屋、もう誰も入らなくなってたじゃない。あんなもの、誰が持っていったっていうのさ」
「さあ……」

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