『名を付けるとするならば』

はぐれた。
人混みの中、立ち止まってため息をつく。
隣を歩いていた人が怪訝な目で見ながら通り過ぎていく。

ここはリルティ族の王が住む、アルフィタリアの城下町。
当たり前のように、行き交う者の多くはリルティ族の人間だ。
生まれてこの方、一度たりとて故郷の村から出たことが無かった身としては、他の種族に比べて丈の短い我ら武の民ばかりが歩き回っているこの街は、些か奇異に見えて仕方無い。
少しはクラヴァットやらユークやらの姿が、所々ににょっきりと飛び抜けて見えはするが、それでも圧倒的にリルティが多い。
一瞬、村で農業を営む友人が大切に育てている野菜畑を連想してしまい、慌てて頭を振って払いのけた。

他の民ならば見つけやすいはずの、その視界の中のどこにも、あの麦の穂色の頭が見えないということは、これは完全にはぐれたのだろう。足の速いあいつのことだ、もう目的の店に辿り着いているに違いない。こっちこっちと楽しげな声を上げ、連れがいることも忘れたような早足で歩いていったのだから。
俺の姿が見えないことに気付いたなら、探しに戻ってきたりするだろうか。

人とはぐれてしまった時は、慌てて歩き回ったりすると余計に見つからないという。誰に言われたのかは忘れたが、確かに初めて来たばかりの自分が知らない街をうろついたとしても、迷子になるだけであいつを見つけられないだろう。
少し休憩代わりに、人混みを抜け、道の脇にある花壇の縁に腰かけた。

兜を脱ぎ、膝の上に下ろすと、微かな風が髪と共に咲き誇る花たちを揺らしていく。だが、誰もその花に目をやるものはいない。
忙しい街だ。せわしなく動く人々は誰もが一様に同じ顔をしているように見える。
同じリルティの俺がそうなのだから、種族の違うあいつなら、余計に見分けが付かないだろう。あいつが初めてシェラの里という場所に行った時、どのユークも同じように見えたと話していたように。
分からずに、諦めるかもしれない。それともそもそも探していないかもしれない。街の外で待つ馬車の所へ戻った方が良いだろうか。そう思った。

「見ぃつけた」
聞き覚えのある声と共に、後ろから柔らかく暖かいものが抱きついてきた。

とっさに首に回された白い腕を振りほどいて振り返ると、さっき見失ったばかりの姿がそこにあった。腕を跳ね除けられたのが不満だったのか、一瞬拗ねた顔をして見せたが、すぐに口元を緩ませ、器用に花を踏まないよう避けて花壇から出てきた。

「いったいお前はどこから出てきた」
「いやあ、向こうから来たもんだから、最短距離でここ通っちゃった」
そう言って指差すのは俺が座っていた花壇の後ろ、閑静な住宅街へと続く階段の向こう。

「あの向こうには、住民以外は入れないんじゃないのか?」
その問いに、こいつはにやりと笑って見せた。なるほど。

嬉しそうに見えるのは、店で目当ての物が手に入ったのだろうか。
そう訊くと、首を振って「途中でいなくなっちゃうから、引き返してきたんだよ」と答えた。
「それにしては、機嫌が良さそうに見えるが」
「ああ。うん、良いよ。それもかなり」
かなり? 分からないと首を傾げる俺を可笑しそうに見、顔を覗き込むようにして言った。

「急いで来た道を戻ってきたんだけどさ、少し心配だったんだ。
幾ら変な鍋みたいな兜を被ってるって言っても、それを脱いじゃったら、こんなにたくさんのリルティの中にいたら、分からないんじゃないかって。
でも ――」

―― こいつは、俺を、見つけ出した。

嬉しそうに「これってさ、愛だと思わない?」と、満面の笑みを浮かべる。

とっさに「さっぱり思わん」と返してしまったのは照れ隠しとかいうことではない。絶対に。
さっさと兜を被ってしまったのも、朱に染まった頬を見られたくなかったからではない。
だから。
「……そんなに笑うな」
「あはは、ごめんごめん。あははは」
「…………」

こぼれ話:一覧に戻る