『街道』

若者が一人で旅に出ると決まった時、親はひとつのことを口をすっぱくして注意し続けた。何度も。
曰く、惑わされるな……と。

人影に気付いたのは、かなり近づいてからだった。
その背丈に、古めかしい鎧と手にした槍からしても、リルティ族の者だろう。
街道の脇に立ち、その兜の正面は若者と反対側の道の向こうを凝視している。
全身を覆う鎧にはどことなく見覚えがあるようにも感じたが、しかし城の兵士が着ているものとは少々造りが違うようだった。

「よぉ」

若者が声を掛けるかどうかを迷っている間に気配に気付いたのだろうか、その人物は若者の方を向いて挨拶した。
思っていたよりも、その声は幾分若かった。

「あんた一人か? この辺は昼間はいいが、夜になると魔物の通り道になるからあんまりのんびりしない方がいいぜ。里はもうちょい先だ」

「あ、ありがとうございます。詳しいんですね。この辺の方ですか?」

「いいや。でも当たり前だろ? この街道は俺たちリルティが整備したんだからさ」

関係ないんじゃないか、と若者は思ったが、口にはしなかった。
リルティたちが大陸中に街道を敷いたのは事実だが、それはとてもとても昔の話だ。
この若いリルティにはあまり関係ないだろうに。

「この辺、もとは細くて狭い、ぐちゃぐちゃの道だったんだ。それを、でこぼこで歩きづらかった地面の土を平らになるようにしてさ、周りは魔物が隠れて近づいたりできないように木を切り開いたりしてさ、時々現れた魔物と戦ったりしてさ。今ではあんたみたいな一人きりのキャラバンでも、結構安心して歩ける立派な街道だぜ!
どうだい、あんた。こんな辺鄙な場所でも、街道があって良かっただろ?」

誇らしげで、でもどこか無邪気な口調でそう問われて、若者は「ええ、そうですね」と答えた。このリルティの青年も、よく城下町で見かける、昔の栄光にしがみ付く者なのか、と思いながら。
しかしそんな若者の内心にも気付かない様子のリルティは、満足そうに頷くと、

「おれ、いい仕事したよなぁ」

と、感嘆ともため息ともつかない声を上げた。

そして、消えた。

朱が混ざりつつある日差しの中、辺りには鳥や虫たちの声。そして長く続く街道。
若者以外の人間の姿は、どこにもない。
呆気にとられた若者は、ぽかんと口を開けたまま、しばし立ち尽くした。
今のは夢や幻か何かだったのだろうか。

ふと、若者の親が何度も言って聞かせた言葉を、思い出した。
心を惑わすものは、夜の帳の中にだけ現れるのではない。
むしろそれは、人の気が緩みやすい陽の光の中にこそ、出てくるのだ。
だから、くれぐれも油断するなと。

慌てて里までの道を急ぎ歩き出した若者の耳には、あの青年が最後に発した言葉だけが、木霊していた。

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