『その名は』

「おめえ、名前は」
この村の長だと紹介された男が、ぶっきらぼうに訊いた。

「私は……」
女は答えようとして、口篭った。

生まれた時に親が付けてくれた名は、今までの名は、使えない。
もうその親も、一緒に育った兄弟も、幼なじみだった友人たちも、生きてこの世にはいない。あの光を失った村で眠っているばかり。
出自を偽り、追われる民になろうとしている私を知る者はいないだろうけれど。
それでも。
あの人が愛してくれた名前は、名乗れない。汚せない。

――あの、私を助けてくれたキャラバンの人たちは、どこの村のキャラバンだと言っただろう。

「……ぃぱ……」
「ああ? 何て言ったか聞こえねえが」
嘲るように見下ろしてくる深い翠色の目を、きっと睨み上げた。
「あたしの名前はル・ティパだ。よく覚えときな」

ハッタリも勝負の内だ。
ここで引いたら負けるから。
私――あたしは、盗賊たちの村で生きるのだ。
うっかり気を抜けば、あっという間に身ぐるみ剥がされて、砂漠か海に放り出されるだろう。
技も力も無いとしても、気合で負けてなるものか。
一度は失いかけた命、瘴気に侵された村からたった一人救い出された身なら、ここで諦めてはいけない。
助けてくれたあの人たちに、感謝を感じるのなら。
生きるのだ。

女はその想いを込めて、見る者を食い殺しそうな強さを持つ眼差しに怯むことなく、睨み続けていた。

それをしっかと真正面から受け止め、長である男は口元だけで笑った。
「ようこそ。自由の民の村へ」
男はそう言って、笑っていた。

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