今はただ雪に埋め


              




 翌朝、約束の時間に官舎を出てみると案の定、周囲にうっすらと雪が積もっている。
「子どもの頃は雪の中で遊ぶのが好きだったけれどもな」
ゲットーはそう言い、鈍色の空から舞い落ちてくる雪を手に受けた。
「そうなんですか。失礼ですが大尉が雪ん中で遊ぶ姿なんて想像できませんね」
予想していた通り、バーガーの足取りはおぼつかず、表情も暗いままだ。退院した後も自宅に引きこもり、
外出もしなかったという。
それ以上言葉を交わすことの無いまま、二人は車に乗り込み軍人墓地へと向かった。
バーガーは気分が悪そうにぐったりと背もたれに体を預けきっている。
「大丈夫か」
「……ええ」
午前中なのに陰鬱な雰囲気が漂っているのは冬空のせいでもあり、墓場のせいもあるのだろう。時折よろける
バーガーを支えてやりながら、二人はしかめつらしい墓地の入り口にある巨大なモニュメントをくぐり抜けた。

「『ガミラスの戦士、ここに眠る』か。実際は墓石があるだけで、中身なんか無いのに」
バーガーが吐き捨てるように呟いた。宇宙に散った彼等の遺体は無い場合がほとんどで、遺族は愛用品や衣服を
当人のかわりに埋葬することが多い。
「ネレディは何を埋めたんだろう」
「……」
形ばかりではあったが、ゲットーもメリアの葬儀に参列し、ネレディアが愛する妹の空の棺にバーガーの写真を一葉、
挿し入れていたのを見ていた。が、バーガーにはそれを告げずゲットーは黙っている。

「ここですか……」
メリアの愛用品と、バーガーの写真が埋まった墓の前に立ったバーガーの顔は険しい。
ただ立ち尽くし、祈りを捧げるでもなく彼は頭を垂れた。供えるために持参した花束は右手に握られたままだ。

「バーガー」
「……」
「花、……彼女の為に買ってきたんだろう」
「……」
視線は地面に落としたまま、ぎこちない動作で膝を折り、バーガーはようやく墓前に花を供えた。が、その手は
ぶるぶると震えている。
花屋に言われるまま買った、死者に供える白い花は墓石の上で冷たい風に揺れた。



 メリアは可愛らしい、ピンク色の小さな花が好きだった。花屋の前を通ると、
 あいつは俺にその花を買ってくれとねだるんだ。まるで小っちゃい女の子みたいに。
 まあ、花なんてたいしたもんじゃないし、適当に買ってやると嬉しそうに笑ってさ。
 『フォムト、ありがとう!』

 花よりもよっぽどメリアの方が可愛くて。
 ピンク色の花と、メリアの笑顔がとても良く似合っててさ。

 ……どうしてそれを買ってきてやらなかったんだろう。
 どうして俺はその花の名前を知らないんだろう。
 俺は本当に馬鹿だ。




 幾度となく夢に見る。
乗艦していた駆逐艦が大破し、総員に対し離艦命令が出されたのにメリアがいない。
俺は半狂乱になって上官の制止を振り切り、メリアの配置区画へと向かった。けたたましいアラートが鳴り響く中、
重い防護服を邪魔に感じながら必死に腕を振り、足を振る。梯子を登り、出口を塞ぐガレキを押しのけ次第に損傷が
酷くなってゆく艦内をひた走りメリアを探した。
あの馬鹿。だから新入りはこんな部隊に入っちゃ駄目だと言ったろうが。
俺と一緒、なんて言って結局艦は一緒だったが配置された場所は全然違ったじゃないか。
メリア、何処だ。
メリア。

 『メリア!』

破損した船体に押し潰されている赤茶色の髪を見つけた瞬間、彼方で爆発が起きた。
撃沈寸前のくせにまだ艦内コンピュータは正常に作動しているらしく、遠くの爆発に反応して目の前の隔壁が閉じ始める。
『メリアーーーっ!』
赤茶色の頭が動き、俺の声に反応してゆっくりと起き上がる。
小さな口元が「フォムト」と言ったように見えた。
隔壁が無情にも閉じるが、ガレキが挟まり完全には閉じなかった。俺はそこから手をこじ入れ、入り込もうとするが
隔壁は動かない。
『メリア、早く』
大きな目がこちらを見た。ホッとしたような表情。俺を大好きでいてくれたメリア。
『立て、来い、メリア!』
必死に押しのけようとするが隔壁はびくともしない。

くそっ、と言った瞬間猛烈な爆風が俺を吹き飛ばした。



 あれから俺は何度も何度も、あの大破した艦の中を走り続けメリアを探している。
あともう少しで手が届きそうなこともあるし、どれだけ走り回っても彼女を見つけられないこともある。毎晩毎晩、俺は
彼女を探しひた走る夢を見る。
そして目覚めれば酷い疲労と絶望に襲われ、酒と安定剤を飲み泥のように眠る。
なのに、こんなに求めているのにこの腕に彼女を抱きしめる日はまだ来ない。



「何でここにいるの!」
突如、墓場の静寂が引き裂かれた。
棘のある叫び声に、ゲットーは声の方へと振り返る。
「リッケ中尉……」

彼等の後方に、黒の喪服を身に纏ったネレディアが立っていた。彼女よりも先に来、墓前に佇んでいた旧友の姿は
彼女の心を温めることは出来なかった。
「何しに来たのよ!フォムト!今更のこのこと!何なの!」
バーガーは黙ったまま振り向きもせず、身じろぎもしなかった。
「あなたにメリアを任せた私が馬鹿だったわ!」
妹を亡くした後も気丈に任務をこなし昇進までした彼女には、葬儀に顔も出さず、軍にも復帰しようとしないバーガーに
やりきれない怒りすら覚えたのだろう。
「帰りなさいよ!意気地無し!」

ネレディアは何の反応も返さないバーガーの背に叫ぶとくるりと背を向け、走り去って行く。
「リッケ中尉、……」
去りゆく彼女の背を、ゲットーだけがその姿が見えなくなるまで見つめ続けた。



 ネレディアが去った後も雪はしんしんと降り積もってゆく。
墓の前に立つ二人の頭や肩も、白い雪に覆われ始めていた。
いつまでも身動きしないバーガーの肩に、ゲットーはそっと手を重ねようとしたが、バーガーはそれを何も言わず
手を上にあげ、拒んだ。
何時間そうしていたかわからない。だが、ゲットーはバーガーをこのまま置いて先に帰ることは出来なかった。
「バーガー。帰ろう」
そう言い、白くなった肩を払う。しかし彼は墓へと向いたまま首を横に振った。
「……俺、……ここに居ます。もう、付き合っていただかなくていいですよ」
「凍え死ぬつもりか」
「………」
「……ならば俺も帰らない」
「………」

バーガーは初めて顔を上げ、ゲットーへと向くと怪訝そうに「…何故です」と問い、唇を歪めた。
「俺の勝手だ」 そう応えたゲットーの色素の薄い瞳に自分の卑屈に歪んだ顔が映っているのを見てとると、
「大尉どのも物好きですね」 と、呆れたように言ったバーガーの青い瞳は、ゲットーから逃れるようにふらりと逸れる。

「……メリアはもっと寒くて冷たい場所に、……」
「……」
「俺一人、のうのうと生き延びて」
言葉が掠れ、震えた。

何度叫んでも届かない手、炎に呑まれてゆくメリア。
「……あいつの側に行かなきゃ、メリア!」
「バーガー?」
言葉にならない悲鳴をあげバーガーはその場に膝を付き、墓石を抱え泣き叫んだ。
「どうして、俺は、どうして!」
今までずっとため込んできた感情が爆発し、彼自身何を口走っているのか分かっていないような状態で墓石に
しがみつき、恋人の名を呼び続けるバーガーに、ゲットーは思わず駆け寄り、その背に覆い被さり体を抱きしめた。
「バーガー!しっかりしろ!」
「メリア、メリア」
「止せ、落ち着け、バーガー」
そこにメリアはいない、と言ったはずなのにバーガーはゲットーを押しやり、墓石の側へしゃがみ込むと汚れるのも
構わず土を素手で掘り始めた。
「メリア、助けてやるぞ、」
白い雪を払い、冷たく凍った黒い土を必死に掻き分けるその手は次第に紫色に変色し、微細な石に肌は傷つき、
手の方々に血が滲み始めている。それでも彼は意に介さずうずくまり、譫言のようにメリアの名をぶつぶつと呟き
続けながら、狂ったように硬い土に爪を立て続けた。
「目を覚ませ!」
ゲットーは錯乱したバーガーを墓の側から無理矢理引き剥がす。
「邪魔するな!」
バーガーはゲットーを邪険に押しやり、遮二無二メリアの墓に這い寄ろうと藻掻いた。
「俺が助けてやる、こんな冷たい所なんて嫌だろ、今度こそ、今度こそ……っ、」
「メリアはここにはいないんだ、バーガー」
二人は雪の降りしきる中、着ていたコートを泥まみれにしながらもつれ合う。
「嘘だ」
「もう、お前がどれだけ頑張っても助けてはやれないんだ」
「嫌だ」
聞き分けのない子どものように頭をぶんぶんと横に振り続けるバーガーの両頬を押さえ、ゲットーは「落ち着け」と低く、
そしてバーガーの目をじっと見つめ囁いた。
「落ち着け、バーガー」
静かな声が、荒れたバーガーの心の傷口に浸透してゆく。


 ようやくバーガーは我に返り、ゲットーの目を見つめ返した。
汚れた顔は涙や鼻水や涎で濡れ、醜い有様のままにバーガーは自嘲気味な笑みをその口元に浮かべ、
「だって、……待ってるんですよ?」と唇を震わせる。
「バーガー。そうじゃない」
「メリアが……俺を待って……」
バーガーはもう、言葉は何も要らない、とでも言いたげに瞳を閉じゲットーを遮った。



 雪は止まない。
バーガーが狂ったように素手で掻いた土の上も、再び白く覆われてゆく。
地面に膝を付き土まみれの手をついたまま、バーガーは墓の前でうなだれている。
ゲットーも抱え込んだバーガーを離そうとはせず、両腕に抱きしめたまま動かなかった。



雪が静かに二人の肩を、背を白く覆い尽くしてゆく。
二人はその白い世界の中にとけ込むかのようにじっとうずくまる。

「一人で苦しむな」
ゲットーは消え入るような小さな声でバーガーの耳元に囁いた。
「ここに居たいなら、居ればいい。……こうしていればいくらか寒さも紛れる」


ゲットーの腕の中で、バーガーは天を仰ぎ泣いた。
空からは彼の涙が雪の結晶となり彼等の上に降り続ける。
いつまでも、いつまでも……






────終────