抱 擁


メルヒがいたならフィッケルもいたと思うのです。「星巡る方舟」はどん底のバーガー少佐が
憎しみと決別し新たな希望を見いだす素敵な物語でした。それが「ヤマト」なのかと言われたら……エー…(;・∀・)(2015.03.16)

 九死に一生を得たランベアの乗員は未だバレラスの地を踏めていない。
仇敵であるヤマトを求め、我々は宇宙を彷徨っていた。
備蓄している資材は尽きかけている。帰還命令を無視した我々に補給などあるはずもない。
ゲシュタム機関により航行するランベアはいつまでも無限に宇宙を彷徨うことも出来るだろう。
テロンへだって向かえるはず。
しかし乗員は無限の命を享受してはいない。限られた、そしてこの状況では我々の生命は逼迫している
とも言える。危険な状況だった。

バレラスの中央司令部はヤマトとの停戦を我々に知らせてきた。
それを聞いたバーガー少佐の怒りに満ちた形相を、私は未だに忘れられない。そして、私もまた
第六空間機甲師団のはしくれとして、少佐の心情は察するに余り在るからこそこんな酷い状況で
あっても、彼に対し本星の命令に従うよう具申することは困難を極めた。


「無念なのは私も同じです。でも、これでは皆、無駄死にです!隊長、考え直してください」
私の上官であるバーガー少佐は腕組みをしたまま小さな椅子に腰掛けている。
「隊長!聞いてるんですか!」
狭い艦長室で、隊長は私の方を見もせず簡易モニターに映る宇宙の闇をじっと見つめていた。

「……無駄死にというならドメル司令や親爺さんたちこそ無駄死にだ!」
怒りに満ちた声は獣の唸り声にも似ている。私は自分の語気を弱めるしかなかった。
「何故司令や仲間達があんな不利な条件で過酷な戦いを強いられ、殺されなきゃならなかったんだ!
イスカンダルの皇女を救出するなんて余計な作戦がなけりゃ俺たちの圧勝だった!」
「……」
「なあフィッケル。俺たち以外の誰がドメル司令の怨みを果たすんだ?親爺さんも、クライツェも
ゲットーももういない。あいつ等の仇を、俺たち以外の誰が果たしてやれるって言うんだ?」

 隊長はまだモニターから目を離さない。エネルギーの節約の為、照明は最小限に抑えられている
暗い室内に浮かび上がる隊長の横顔には傷跡と共に癒えることのない孤独が刻まれている。
乗員たちが疲労の極限にあることは勿論だが、今は艦長代理でもあるバーガー少佐もまた、随分と
やつれてしまっていた。食事も他の乗員よりも摂っていない。
彼はひたすら、テロンのヤマトへの復讐心だけで生きている状態だ。

「ヤマトを討たずに…本星に帰れるかよ」
「隊長。しかし、今のランベアの装備ではとてもヤマトとは戦えません!兵士達の気力も落ちています。
それに艦上機も数機しか……。艦長もお亡くなりになってしまって……早く帰れば、助かったかも
しれないのに」
「黙れ!本星に戻ったらまた繋がれてしまう。チャンスは今しか無いんだ」
「しかし!」
「なら帰れ!直ちにランベアから離艦しガミラスに帰れ!貴様は卑怯者だ!」
「隊長」

怒鳴った後、指揮官としてあるまじき言動だったと思ったのか隊長は「すまない」と小さく呟き視線を逸らした。
「いえ、……私こそ隊長に反論したことを、…お許しください」

 苛立たしそうに舌打ちし、バーガー隊長はまた私に背を向け、眼前の宇宙空間を見やった。
「お前達を巻き添えにするつもりは無い。ヤマトを見つけたら、……そのときは俺一人で……」
「止めてください!」
「止めるな!俺は……俺はもう、死んだ人間だ。ああ、……とっくの昔に死んじまってんだよ」

そう言いつつ隊長はこちらに向き直った。先ほどの、怒りの感情はその表情にはもう無かった。
静かな決意を露わにした青い瞳に、迷いの一つも見当たらない。
この煉獄よりも、仲間達の待つ死後の世界へ赴くことこそ彼の望みなのかとまごうほどに。

「止めてください」
「……」
「無責任だ。あなたはランベアの最上級士官として乗員を無事にガミラスに帰還させる義務があるのに」
「……」
「指揮官が一人死んで、何になると言うんです。乗組員を助けもせず、自分一人でいい気にならないで
くださいよ」
「だが!」
私の言葉を遮った隊長の目は血走っていた。
「だが他に俺に道は無いんだ!」
それは怒りのためではなく、悲しみを堪えているため。

「分かるだろ、フィッケル……また俺一人残って……」

湧き上がる涙を堪えるように目を閉じそれまでの威勢とは打って変わって意気消沈した隊長へ、
私は恐る恐る歩みよった。
隊長は俯いたまま問うてくる。
「なあ、……俺たちは本当にヤマトに負けたのか」

「…そう、らしいです」
「ゲットーまでいなくなっちまったなんて……まだ信じられねえよ」
「バルグレイは撃沈したとヤマトから反撃される間際に通信が…。デバッケも一機も戻ってこなか」
「黙れよ、……冗談だろ、撃墜王が墜とされちゃ意味無ぇだろうが!」
早口でまくしたてた隊長は俯いた顔を上げ、悔しさに顔を歪めて
「ゲットー」
と、腹の底から絞り出すような声で呟き、次の瞬間私に抱きついてきた。

「……隊長……?」

その抱擁は力強くは無く、ふりほどけば簡単にほどけてしまいそうな弱々しいものだった。
抱き締めるというよりも、すがりつくような隊長の両腕の力よりもその心境に私は微かも動くことが
出来なかった。両肩に力無くもたれかかっているだけなのに、隊長は酷く重かった。
私はその体を暫く抱き締めることもできずただ俯いたままの隊長の頭をぼんやりと見ていたが、
次第に隊長の足元に黒く、底の見えぬ闇が開き何者かが私たちを引きずり込んでいくように見え
思わず隊長の背に両腕をまわしきつく抱き締めた。
女性の華奢な体と違って隊長の体は軍人らしく逞しい。


隊長は何も言わない。眼前にある紫色の髪の毛は少しも動かない。
私は目を閉じた。静寂のなかに隊長と二人きりだ。



 長い抱擁のあと、彼はこう言った。
「すまん」
と。


「何故、謝るのです?」
「……」
「いいのですよ、私で良ければ。……ゲットー少佐のかわりにはならないでしょうけど」


 誰もが隊長を愛していた。
ドメル司令も、ハイデルン大佐も、クライツェ少佐も、年若く血気盛んな隊長をまるで我が子のように、
または実の弟のように可愛がり、時には叱り時には励まし、隊長を見守っていた。
そしてゲットー少佐。
まだ候補生だった頃からの友人で、隊長が何もかも失いかけたとき、誰もが彼を見捨てようと
していたときもただ黙って隊長の傍らで支え続けてきたかけがえのない隊長の親友。
彼を第六空間機甲師団に転属させたのもゲットー少佐の口利きだったと聞く。

ゲットー少佐は口数の多い人ではなかったが、年下の友人を何より大事にしていたのは
彼等のプライベートを詳しくは知らぬ私もよくわかっていた。
その恩を忘れるようなバーガー隊長では無い。
二人は一緒に居ればいつも口論をしているようにも見えたが、隊長も誰よりもゲットー少佐を
慕っていたのは間違いなかった。

「親友でいらっしゃいましたものね」
「……」
俯いたままの頭は弱々しく頷いた。


「好きだった」
私の肩に顔を押しつけ、彼は何か小さく呟いたが私には聞き取れなかった。更にこう言った。
「どうして、俺を置いて逝った」

隊長の頬が涙に濡れ、それが私の頬をも濡らす。

「ライル」

頬と頬がしっかりと付くほど距離でも、泣きながら呟く隊長の言葉はどこか不明瞭で、でも私は
その単語の意味するものをはっきりと脳裡に描き出した。

ライル。

ライル・ゲットー少佐。色白の骨張った顔に光る琥珀色の瞳。


「すまない。フィッケル、すまない」

己の弱さをさらけ出すことも、逆らわぬ部下を想い人の代わりにすることも。
やってはならないと分かって居ながら止められない隊長が哀れだった。
何も言わずとも切実な感情が伝わってき、胸が痛んだ。

「隊長、……」
爆沈を免れたランベアの乗員は、初めこそ生還出来ると喜んだものの、ドメル将軍も、幕僚も、仲間達も
皆戦死したことを知り激しく動揺した。
一番に悲しみ、動揺したのは隊長だったはずだが、彼はランベアの指揮官として冷静に振る舞い続けた。
怒りのままに帰投命令を無視したものの決して弱音を吐くことは無く、艦長の死にも動じなかった。

でも私には分かっていた。
彼を支えるものは彼自身の強さでは無く、ただ失った大切な者たちへの慟哭と、彼等を奪い去って
いったヤマトへの怨みだけであることを。
そして、いつかその張り詰めた感情が一気に決壊するのではないか。
そうしたとき、彼は皆を指揮するどころか、立ち上がることさえ出来なくなるのではないか。

そんな不吉な予測さえ、私は胸の内に秘めていた。



「……あいつにいつも助けられてきた。……俺と違ってあいつは優秀で……俺より先に死ぬなんて
有り得ないと思っていたのに……」
私の両腕を掴む手が震えている。
「俺を置いて逝くなんて……」
彼の悲しみを癒すことは、私には出来なかった。出来るわけもない。
私は隊長とゲットー少佐の仲がどのようなものであったかは知らないし、彼等の友情もどれほどのもの
だったのか知らない。
そんな程度の私の口を突いて出る追悼の言葉の力なんてたかが知れている。

「お察しします」
迷いに迷って隊長に返したこの一言さえ、あまりにも軽薄に思えた。


 沈黙の時が流れてゆく。
息苦しいのは互いの体をしっかりと抱き寄せているからだけではない。
時折震える隊長の体を離したくはなかったが、何かよからぬ気持ちさえ湧いてきそうで私は彼から逃れようと
身を退いた。
「ね、……隊長、そろそろ定時ブリーフィングなので、……」
「待て」
「で、ですが」
隊長は腕に力を込めた。胸が押し潰される。

「フィッケル!」


「……俺は、俺は今泣いているんだ。こんな顔お前に見せられねえ」
「……」
「だから、……だからあと少しだけ、こうさせてくれ」

上ずった声、震える肩。

時折息を詰めるような声が聞こえる。
私が今抱き締めているのは若くとも頼りがいのある上官ではなかった。
道標を、愛する人を失った悲しみに打ちのめされている、まるで小さな少年だった。
私は艶の失せた、櫛の通っていない彼の紫色の髪の毛を撫で、その頭をしっかりと私の肩に押しつけるように
抱き寄せる手に力を込める。それくらいしか、今の私には出来なかった。


「ザー・ベルク、バーガー隊長……私の思慮が足りませんでした。いつまでもこうしています」

 バーガー隊長、あなたの悲しみが癒されることなど無いとしても。
でもどうか、私を置いて逝かないでほしい。私は絶対にあなたを置いて逝きはしないから。


何時の間にか、私の目からも涙が溢れていた。重ね合った頬と頬の間で涙が混じり合う。
こんな感傷など、軍人たる我々には不必要なものだけれど、今だけはそれを許してほしい。
私も悲しかった。ドメル将軍も、数多くの仲間達ももうどこにもいないなんて信じられない自分もいる。
バレラスに帰還したら、皆が『遅かったな、どこに行っていたんだ』と笑って出迎えてくれるのではないか、
……そんな望みを愚かしくまだ捨てられない。



またちいさく「ライル、ライル」と呟く声が微かに聞こえた。
まるで幼い弟が兄を慕うような、そんなどこか甘えさえ感じる呼び声。

私たちの前では「ゲットー」と呼んでいたことしか憶えていない。
ゲットー少佐も、バーガー少佐を「フォムト」と呼んでいるのは聞いたことが無い。

プライベートでは親しく「ライル」「フォムト」と呼び合っていたのだろうか。

明るく闊達に見えて、青い瞳はいつもどこか遠く暗い所を見つめている。
軽口を叩き冗談を言いながらも逃れられない悲しみにがんじがらめに縛り付けられ、身動き出来ずにいる。

それが彼の本質であるのを目の当たりにし、私は途方にくれる。



あいつはずっと死に場所を求めていた。今はそうでなければ良いのだが。───


一度、ゲットー少佐が寂しげに呟いたことがある。
『まさか、隊長はそんな人じゃありませんよ』と、私はそのときは真に受けなかったが、隊長は私の知る限り、
「生きてて良かった」なんて言ったことが無かったのを思い出し慄然とした。
そんな私に、ゲットー少佐は隊長の頬の傷の由来を教えてくれた。

『だが俺はバーガーを死なせはしない』
最後にそう言った琥珀色の瞳は柔らかく光っていた。


なのに、そのゲットー少佐も去っていってしまった。

常に死神に恋い焦がれ、奪い去られる日をいつも待ち望んでいるのに死神は隊長にそっぽを向いたまま、
いつも彼の大事な者だけを奪い去って行ってしまう。


「隊長。……生きましょうよ」

バーガー隊長は私の言葉に頷いてはくれなかった。小さく鼻をすする音だけが聞こえる。



あまりにも無力な私は胸の内で呟いた。
きっと私は、せめて私だけは必ずあなたの傍に居るから、と。





────────終────────