総統府の片隅に、猫の親子がこっそり住みついておりました。
ある日、それを見つけたヒス副総統が、デスラー総統に「野良猫が住み着いております。いかがいたしましょう」
と問いますと、「そんなものはさっさと始末したまえ。つまらぬ事をわざわざ私に報告する必要は無い」と、
彼はそうつれなく答えました。
「ふん、くだらん」
そうひとりごち、デスラーはちら、と時計を見ると「これよりしばらく休むよ」と近衛兵に告げ、寝室へ赴き、ベッドに
入りました。
心地良いお昼寝から目覚めてみると、どうしたことでしょう。
大ガミラス帝国総統、アベルト・デスラーは目に映るものがやたら大きなことを訝しみました。
ベッドから出るのさえ一苦労だし、降りようとすると床が気の遠くなるほどに遙か下に見えるのです。
しかも、自分の手が毛むくじゃらになっています。
「にゃあ!」
おや?自分は「何だこれは!」と言ったつもりなのだが。
もう一度。
「にゃあ!」
?
「にゃあ!にゃあ!にゃあ!」
幾度叫べど、己の口から出てゆく言葉は全て猫の鳴き声に変換されてしまいます。
デスラー総統はそれでもしつこく叫びました。
「にゃあにゃあ!にゃ!にゃあああ!」
その甲高い、自分の声とは似ても似つかぬ猫の鳴き声に気がついた女衛兵たちがやってきます。
「失礼します!閣下、いかがなされましたか?」
「…あら、総統閣下……?」
豪奢なベッドで眠っているはずのデスラーの姿はそこになく、かわりにいるのは小さな子猫だけ。
「にゃあ!にゃあーっ、にゃ!」
デスラーは「助けてくれ」とでも言いたいのでしょうか、必死に声を張り上げますが、
「どこから来たのかしら、この子猫ちゃん」
「まあ可愛い、総統ったらいつの間に猫など飼い始めたのかしらね」
と、突如現れた子猫に不思議がる様子も見せず、女衛兵は二人で奪い合うように子猫を抱き上げます。
美人と評判の衛兵ですが、こう見えてめっぽう力は強く、並の男では敵いませんから、子猫のデスラーは
二人にもみくちゃにされ、苦しくてたまりません。
「フギャアアッ!(やめないか!)」
「きゃっ、痛い!」
「おのれ、猫の分際で!」
子猫は思い切り二人の顔に爪を立てると、掴んだ手が怯んだ隙に飛び降りました。
人間の時にはそんなアクションをしたことはありませんが、猫の身だからか、華麗な着地を決めると
一目散に駆け出します。
逃げ出したのはよいがどうしたものかと考えあぐねていると、今度は給仕係の侍女に見つかりました。
「まあ、子猫ちゃん。どこから入ってきたの?」
侍女は嬉しそうな顔をして小走りに近づいてきます。
女というものはどうしてこう猫や子どもが好きなのだろう、理解出来ん、と毒づきながら、子猫のデスラーは
さささと逃げていきました。
しかしこの窮状を誰に、どうやって説明すれば良いのだ。
自分の手脚の大きさと、この目から見上げる様々なものの高さから考えて今の己の身長は20cm足らずだろう。
通信機も使えないではないか。
次第に事の重大さに戦慄すら覚え始めたデスラー総統が次ぎに出会ったのはギムレーです。
しかし、彼は小さな子猫をちら、と見ただけで直ぐに早足で向こうに行ってしまいました。
声をかける間もありません。
残念なような、ほっとしたような気分の中そういえば、と思いデスラーはセレステラの居室に行ってみる
ことにしました。
彼女ならば気付くかもしれないと思ったのです。
道すがら、ピカピカに磨かれたガラスに映った自分の姿を見ることができました。
金色の、軽くカールした長い毛の子猫がそこにおりました。肌の色は薄い水色で、瞳は紫水晶の色でした。
ふふふ。さすがは私だ。この姿ならば女たちがイチコロなのも当然だな。
デスラーは、するりと小さな隙間からセレステラの居室に入り込むとここはひとつ、可愛らしい声で鳴いて
セレステラに気付いてもらおうと
「ミィ、ミィ、ミィ」
と甘い猫なで声を出してみました。
今までの経験で、女が猫に弱いことは明らかです。
聡明な彼女ならきっと、「まあ可愛らしい」と私を抱き上げ、「おかしい、貴方は…もしや総統?」と気付くに
違いない。そうデスラーは考えたのでした。
やがて、くしゅん、くしゅん、と誰かがくしゃみをする音が聞こえ、「一体どうして…」とセレステラの
鼻声が聞こえます。
「おかしいですね。見回って参ります」
それはミレーネルの声でした。そして、「ミィ、ミィ」と鳴く子猫を彼女は発見したのです。
「ああ、この子の仕業ね!……クシュンっ!」
ミレーネルもまた、デスラーを見つけるなりくしゃみを連発し始めました。
「私たちジレル人はね、猫アレルギーなのよ、子猫ちゃん。だからお願い、出てってちょうだい」
「ニャア、ニャニャア(それは困る、セレステラを呼べ)」
「わからないの?セレステラさまも私も迷惑なのよ?」
ミレーネルは可愛い顔でにっこり笑っていますがどこか薄気味悪く、デスラーは自分の体毛が逆立つのを感じます。
「ほら、これをあげるから出ておいきなさいね」
ミレーネルは動こうとしないデスラーに業を煮やし、その目の前に一匹のにぼしをひらひらと振って見せました。
子猫のデスラーはうっかりそれに反応してしまい、腰を左右に振って飛びかかる体勢を整えます。
「いいこと、あっちに投げるわよ。……それ!お行き!」
ぴょーんと放り投げられた煮干しに、猫の習性故にデスラーは飛びかかって行ってしまいました。
ミレーネルは「やれやれ」と子猫が出て行った後、そっと扉を閉めました。
しばらくはもらった煮干しを嬉しそうに囓っていたデスラーでしたが、ハッと気付いた時には時、既に遅し。
それから更に、タラン兄弟にも出くわしました。
「ほう、これは可愛らしい」
弟のガデルが大きな手で、おいでおいでをして子猫を呼び寄せます。
「貴様のごつい顔では寄って来るまい」
兄のヴェルテが辛辣な台詞を吐きます。
この二人なら悪い事はしないだろうと、デスラーはそろそろとガデルの手に近づきました。
すると。
デスラーは突然首を掴まれ、すごい勢いで引き上げられます。あまりの急激な高度変化に彼は目を回しました。
「兄さん、なんてことを!」
「ほら、ケモノなどは油断している隙にこうして捕まえればいいのだ」
「それでは可哀相でしょう!」
「まあ怒るな。で、どうするのだ、この子猫を。まさか連れて帰る気か?」
「うーん、…ウチのは動物が嫌いだしな……兄さんは?」
兄のヴェルテは、品定めをするかのようにいささかぐったりしている子猫をひっくり返したりしあちこち検分すると
「悪くは無いが、私の家では野良猫は飼えん」
「野良と決まったわけではあるまい。誰かの飼い猫かもしれないよ」
「そうだな。ではまだ放っておこう。明日もこの辺にいれば貴様が責任を持って飼え」
「え、えええ」
ヴェルテの奴、さすが如才無いものだと兄弟の会話を聞きつつ、未だ頭がはっきりしないデスラーを二人は元いた
場所にそっと置きました。そして、「腹が減ったら食べるのだよ」とガデルは自分の携帯食を3片取り出し、子猫の
前に置いてやると、二人して子猫の処遇を討論しながら去って行ってしまいました。
ガデル、親切心は結構だがこの携帯食は子猫の私には高カロリー過ぎるのに気付きたまえ。
それでもデスラーは携帯食の先をちびちびと囓りました。にぼし一匹では物足りなかった空腹感がだいぶ満たされました。
しかし、いつまでこの姿で彷徨わなければならないのだろう。
衛兵どもは私の不在に気付いているのだろうか。
子猫の身では携帯食を持ち歩くことも出来ず、もしものときに備えて柱の陰に残りの携帯食を隠すと、デスラーは
とぼとぼと歩き始めました。もう、ここが総統府のどこなのかもわかりません。