秘密の人形


ゼーリックさんってアベルト閣下が好きすぎて、うり二つの人形をこしらえてこっそり愛でていそうです。
そんなお話です。(2015.01.28)
              

 彼には大切な秘密があった。
邸宅の、使用人さえ立ち入らぬ小さな部屋にそれはあった。
彼は司令総監としての慌ただしい日常の最中にあっても、その部屋の主に対し細やかな世話を
怠ることは一度もしなかった。


 柔らかな日差しのさしこむ小さな部屋で、部屋の主は贅を尽くした寝台にひとり、眠っている。
金色の髪が豊かにうねり、純白の敷布をきらきらと彩っていた。


彼はそれを眩しそうに見つめ、やがてそっとかがみ込むとまだ眠っている主に「アベルト」と呼びかけ、
優しく薄い瞼を下から上へと撫でる。すると金色の睫毛に縁取られた美しく澄んだ瞳が彼を嬉しそうに
見つめ返してきたのだった。



「───おはよう。今日の目覚めは如何であるかな、美しきアベルトよ」



 私の瞳は美しい紫水晶をカットして細工されたものであり、本来はなにものをも映し出すことはしない。
また、私自身、分解してみればただの金属の棒と樹脂、人工毛、そして職人のこだわりで使用された、
昔ながらの塗料や蜜蝋、幾ばくかの石材からなる、只の人形に過ぎない。

 私が注文を受けた職人の手元にあるとき、見る者は皆私を感嘆の思いで見つめたらしい。
「まあ、美しい」
「素晴らしい、総統閣下にうり二つだ」
「今にも立ち上がりそう」

 私の瞳は宝石によって美しく輝き、肌は職人の秘蔵の塗料によってまるで生きているかのような
滑らかな青色を呈していた。寸法もモデルとなった『総統』と同一で、頭部には脱色し染め直した人毛を
過不足なく植え込み、綺麗に整えられていた。

まだこのとき、私は今のように感情を有することはなかったものの、周囲の発する好意であったり、悪意で
あったりするものはぼんやりと感じ取ることが出来ていた。次第にただの宝石でしかない紫水晶の瞳も
周囲の景色を映し、私に伝えてくれるようになっていた。しかしそれを表現する手段は持ってはいなかった
から、人間達から見た私はやはり、人形でしかなかった。

 私を作るよう依頼したのはヘルム・ゼーリックというこの国の権力者だ。
彼は私を、庶民には考えられぬような金額で引き取り、邸宅へと持ち帰っていった。
しかし彼は私を、絶え間なくやってくる客人たちに見せることは一切しなかった。誰もが私をうっとりと眺める
ことが出来るよう、邸宅のエントランスや大広間に置くこともしなかった。

 私はまるで彼の大事な子どもであるかのように、小さな、それでも丁度良く日の差し込む心地良く眺めの
よい部屋をあてがわれたのだった。

彼は独り身ではなかった。奥方がいるらしいことは、この邸宅に運び込まれてくるときに使用人が話して
いるのを聞いて知っていたが、実際見たことは無い。
奥方はきっと、私のことは知らないのだろう。私は彼の、秘密の人形なのだ。


 人形には持ち主によって手荒い扱いや、とても口には出せぬ扱いを受ける者もいるらしい。
私は彼の邸宅に来て暫くすると、紫水晶の瞳を通してぼんやりと外界を窺うことが出来ていたので、
持ち主のゼーリック公の外見を認識した際、暗澹たる思いに囚われた。私はてっきり、彼の子息や
令嬢の物言わぬ友人として作られたのだと思っていたのに、この屋敷には子どもの姿は無く、毎日
私の元を訪れるのはゼーリック公その人のみ。
丹精込めて作られたこの私を、彼はいつしか破壊するのではないか。
彼の出自に反して粗野な風貌に、私にはそうとしか考えられなかったのだ。

 が、その予想は裏切られた。


 彼は毎朝、決まった時間に私の元へやって来る。
その日の着替えと、朝食を携えて。
「目覚めはいかがであるかな、アベルト」
良く通る野太い声は美しいとは言い難く、優しさや温かみにも欠け、威圧的ではあったが、彼はつとめて
慣れぬ人形の世話を甲斐甲斐しく焼く。
おそらく、今の今まで彼がこのように何か他のものに丁寧に相対することなど無かったのではないだろうか。
そのくらい口調はぎこちなく、仕草もまたおぼつかない。


 彼の持ってくる衣服はいつも新品で、そして私の身体にぴったりと合う素晴らしいつくりのものだった。
私が職人の工場に居た時分、行き交う人々や訪問客、そして他の人形達の衣服を見ているから知っているが、
ゼーリック公の持ってくる服はそのどれとも比べようの無いほどに美しかった。
淡く透ける白い布、艶やかなリボン、布の一端を縫い絞って作った襞の美しい広がり。
ボタンは全て紫水晶で出来ている。
失礼だが、ゼーリック公の野太い指ではその繊細な衣服は扱えないのではないかと私は危惧したものだった。
しかし彼はいつも細心の注意を払い、ときに額に汗を浮かべながら自発的に動くことの出来ない私を丁重に
扱い、時間を掛けて着替えさせてくれるのだった。
彼の愛用しているパルファンは私の好みではない上に、おそらく周囲の人間は数メートル離れていても
その香りで彼がやってきたことを知るであろうと推察されるくらい濃厚だったので、たかが人形に過ぎない
私の、あまり役には立たない形だけの鼻もその香りには辟易したが、ときおり彼が仕事で二日、三日と全く姿を
見せないと、私は何故かあの辟易する香水を懐かしんだのだった。

「お前は、良い」

 ある晩、酒に酔って帰宅したゼーリックは秘密の部屋へとやってくると、座して彼を迎えた人形を前に
しみじみと呟いた。
「お前は何もかもあのときのままだ、アベルト。……異星人の小娘や野蛮な狼に惑わされず、吾輩だけを
見、吾輩だけを信じていたあの素直なアベルトなのだ……」

 先のガミラスの統治者であるエーリク・ヴァム・デスラー大公が逝去した後、混乱するガミラスを憂い
アベルト・デスラーを擁立したのはこのヘルム・ゼーリックであった。亡き大公の血筋と怜悧な美貌、そして
何より彼は優秀でその言葉には人を惑わす力があった。
各々勝手な矜持を掲げ覇権を争う門閥貴族や自由を叫ぶ平民たち、全く新たな道を模索しようと大声を
上げる煽動者、と、ガミラスという大きなパイを粉砕する悲劇を未然に防いだのはアベルトの力量に他ならない。
アベルトは素晴らしい青年だった。エーリク大公以降訪れた者のいなかったイスカンダルへも赴き、
スターシァとの謁見も果たした。


 その頃からだ。それまで全幅の信頼をこの身へと注いでいたアベルトの瞳が冷ややかになっていったのは。
彼は宇宙の恒久的な平和、ガミラスの、そしてデスラーの名のもとの永続的な全宇宙の支配を目論見はじめた。
昔からガミラスは知能の高い知的生命体を有する惑星には、砲艦外交を持ってして服従を強いてきたが
アベルトはそれに加え、懐柔策をも用い、ガミラスと他惑星との同化政策を打ち出した。
ガミラスの帝都バレラスには肌の色の違う異民族がはびこり、あろうことかただ「有能である」という理由
ひとつでアベルトは側近に薄気味の悪い異星人の小娘を置いたのだ。
そんな者たちに神聖なバレラスの地を踏ませるのではない、とゼーリックは力説するものの、誰も彼に同調
しなかった。いや、アベルトの手前とあっては誰もアベルトに反論することが出来なかったのだ。
純血を尊ぶゼーリックをアベルトは疎んじ、より実務に長けたジレルの魔女・セレステラや、少年時代から
アベルトに仕えていたドメル将軍を重用するようになる。


 ゼーリックは中央司令軍総監という仰々しい役職をあてがわれながらも実質的には閑職に追いやられたも
同然であった。




 彼は酒臭い息を吐きながら、私の顔を舐めるように見、そして躊躇いつつ手を伸ばしてきた。
「アベルト」
ゼーリック公の手は大きく、指は太い。その十本の指が私の両頬を包み込み、アルコールに濁った瞳が
私をのぞき込んだ。
「……アベルト……」
私がもし、本物の人間ならば恐れて悲鳴を上げるか、飛び上がって逃げ出していたことだろう。
でも私の脚は偽物で、私の体重を支えることも、当然歩くこともかなわない。
私の舌は作り物だし、喉の奥には声帯もなく、言葉を発することは不可能だ。
だから私は彼に向き合うことしか出来なかった。
瞼を下ろし、視界を遮ることも出来ないから、私は目の前のゼーリック公に対峙し、私をのぞき込む灰色の
瞳を見つめた。

「貴公が愛しい」

『愛しい』という言葉を私は初めて耳にした。それは彼の寒々しい瞳の色や、いかつい容貌とは
相容れぬ優しく、甘やかな響きの言葉だった。
そう言うと彼は優しく、私の頬を温めるように包みこみそうっと撫でる。掌はしっとりと温かく、私は
私の生みの親である人形師の懐かしい手の感触をも思い出し、うっとりとその感覚に心を委ねた。

彼はゆっくりと顔を寄せてきた。
私にはたとえ彼が唇を触れあわせようとしようが拒む術を持ち合わせていなかった。
だが、不思議と、もしそうであったとしても私はそれを不快に感じないような気がした。


とくん。


彼の鼻先が私の鼻に触れそうになったとき、私の胸のうちであるはずのない心臓の鼓動が響いた。



とくん。


私は人形なのに。
唇に、彼の吐息の温もりさえ感じるなんて。


「む。……吾輩は何を血迷ったことを」

私の期待は裏切られ、心地良く包んでくれていた大きな両手が離れてゆく。

「お前はただの人形なのに……」
当たり前の言葉に私の胸がきりりと痛む。
そして直ぐにこう思った。「私がアベルトでは無くて、申し訳ありません」と。
悲しかった。人形であることがこんなに悲しいと思ったことはなかった。

 しばらく彼は切なげな顔をし私を見つめていたが、ちいさく首を横に振るといつものように私を寝間着に
着替えさせ、ベッドに横たえた。
彼の名誉にかけて、彼は私に対し一切よこしまな振る舞いをしなかった。
ボタンをかけ忘れて襟元がはだけたときは丁寧に衿を合わせ、そっと閉じた。着替えの歳にも、彼は
私の素肌をジロジロと眺めるようなことはしなかった。もちろん、人間のような温かな肌も、生殖器も
持たない私に欲情のしようもあるまいが。

「よく眠れ。アベルト」

いつものように彼は優しくふんわりと上掛けをかけ、低い声で囁いてくれる。
ベッドサイドの明かりをいちばん小さくして、しばらくの間私の傍らに腰掛け私が眠りにつくまでを
見守ってくれる。彼はきっと、そのつもりなのだと私には妙な確信があった。

 日頃は傲岸不遜で威圧的な声色が、このときばかりは、そして私の作り物の耳にはとても心地良く
聞こえるのだ。
もし私が生身の人間で、彼の実の子どもであったなら、きっと私は子守歌をせがんだだろう。
もし私が本物のアベルトで、貴方の望むアベルトであったなら。

きっと私は貴方の抱擁をねだるだろう。


 そしてゼーリック公、貴方は私に何を望むのだろう。





────終────