触手

「カイト、殿……」
 桜色の唇から零れた名は、硬い響きで床に転がり落ち、靴音に掻き消された。
 床に広がっているコードを踏まぬようにと気を付けながら、ベッドで眠るカイトの傍へ近寄る。
 幾本ものコードはカイトへと繋がり、反対側は壁側の机に置かれた大きなコンピュータへと繋がっていた。そのコンピュータの画面が唯一の光源と言っていい。薄暗がりの中、それでもがくぽはつまずきもせずに足を進める。
 薄暗がりの部屋に、今はがくぽとカイトしかいない。コンピュータが発している無機質な音は、耳が慣れれば無音と変わりなかった。
「……カイト殿……」
 枕元に腰掛け、もう一度、名を呼ぶ。応えて目を開けてはくれないかとの淡い期待はすぐに霧散した。
 落胆は、ない。わかっていたことだからだ。
 カイトはあのコンピュータがエラーを正しく演算処理せねば、目を覚まさない。
 その処理にはもしかしたら数日掛かるかもしれないとマスターが言っていたのだ。目覚めるわけがない。
(わかっているのに)
 コンピュータとカイトを繋ぐコード。こめかみや首、頭、幾本も伸びているそれらからカイトへと視線を戻す。睫毛が頬に落とした陰のあたりを、指先でそっと撫でた。
(何か――夢でも、見ておられるだろうか)
 同じ夢を見られることができたらいいのに。
(…………もし、……)
 コードを繋ぐことで、同じ夢を見ることができるのなら――
 自嘲の笑みが口許に浮かぶ。
 馬鹿なことを。思ったが、行動は意思に反した。
 枕元を一旦離れると、机に向かう。モニタの明かりを頼りに引き出しを漁り、新たにコードを一本取り出した。それを手に再び枕元へ引き返す。
 どこかコンピュータと同じに見える寝顔を見下ろす。吐息がかすかに震えた。
 本来なら、許されることではない。
 カイトに意識があったとして、気軽に応じてくれるとは思いがたい。
(……無断で意識に入り込もう、などと……嫌われるであろうな……)
 嫌われたいのか。
 自問するが、そんなわけはないと即座に否定した。
 コードを持った手は勝手に動く。
 耳の後ろにある差込口を探り当て、片方を差し込んだ。その反対側を、躊躇いがちに自分の耳の後ろへと差し込んだ。
 レコーディングの時、同じように繋がったことがある。後で調整をかけずに同タイミングでハモれるようになるため、マスターがたまに使用するのだ。その際には、互いに意識レベルを引き上げて発声のタイミング以外は悟られないようにしている。勿論、絶対に知られたくないところにはロックをかけているのだが。
 起動はしているが意識のない今、はたしてどこまでカイトを知ることができるだろう。
 より集中するために目を閉じる。意識をより深く同期すれば、普段は知り得ない情報も引き出せるだろう。
 そのせいで、足下のコードが触れてもいないのに動いたことに気付かなかった。
「カイト殿……、…………ッ!?」
 びくりとがくぽの体が震えた。
 何かが、脚に触れた。
 意識の大方は潜入に使っているため、実際に何ががくぽの脚に触れたのかはわからない。
 気のせいだと思い込もうとしたが、感触は足下から徐々に這い上がってくる。
 一度接続を切り、脚に絡みつくものの正体を把握してから再度接続をすれば良いのかもしれないが、そんな勇気はがくぽにはない。この期を逃したくないと思っていた。たとえ正体の知れぬものが、ボディスーツの中へ入り込み、素肌をまさぐり始めたとしても。
「……ぅ……、」
 意識を四方に飛ばしても、混沌としている。まるで夜の闇に囚われたようだ。
 その上、素肌を這うものの感触。
 長く細い何か――あたかもコードのようなものが左右の脚に絡み、尻を撫で、腹から胸へと這い上がる。その数は、徐々に増えていっている気がした。
 尻を撫でられるのはともかく、乳首を固い何かで撫でられ、擦られた時には、カイトの意識に潜っているがくぽもうずくまった。
(な、んだ……これは……っ)
 実際に自分の体に何が起こっているのかわからない上、制止もないからなのだろう、『何か』の行為は執拗だ。
「……あ……ッ!」
 下半身、ボディスーツの上から性器を撫でられ――もしかしたら脱がされたのだろうか、直にも触れられている感覚。
 先端に巻き付き、蠢いて淫らな刺激を与えてくる『何か』。
(……っ、も、お……っ)
 このままここに居続けるのは無理だ。
 そう思った数秒後には、がくぽの意識は自身の体へと戻っていた。





 どうしてこんなことになったのか――
 やはり、無断でカイトと繋がろうとしたのがまずかったのか。何かエラーが出たとして、今のがくぽに対処できる術はなかった。
「あ、あ……ッ」
 コンピュータから延びたコードは誰の命令で動いているのか。まさかコードが自主的に動くことはないだろう。
 ボディスーツとブーツは数本のコードによって脱がされてしまった。上着と袴は身につけてはいるが、それが一体何の役に立つというのだろう。
 コードは袴の裾からだけでなく、投げの隙間からも侵入を果たし、性器へ絡み付いていた。
 まるでそうしたほうが都合が良いとばかりに太腿に巻き付いたコードが食い込み、四つ這いになった脚を開かせ、いいように体を撫で、這い回る。――あたかも愛撫であると言わんばかりに。
 意思を持ったように動くコードは、確実にがくぽの体を追い詰めてゆく。
 未知の感覚に襲われたがくぽはほとんど混乱して恐慌状態に陥っていた。
「ッや、め……!」
 何とかして引き剥がそうと手を動かしても、別のところから延びたコードがその手すら搦め捕る。
 蟻地獄か何かのようだ。もがけばもがくほど、深みにはまって動けなくなる。
 誰か――助けて欲しい。
 心底から願う。
 もしがくぽにもっと経験があったのなら、コードはがくぽをぎりぎりのところで達することがないように嬲っているのだとわかったはずだ。
 陰茎の根本から先端まで、あるいは陰嚢までをも執拗に弄られ、白が混ざった体液が床に滴る。
 悲鳴じみた声が、無機質な部屋に響いては消えた。
「すごい格好だねえ」
 場違いにのんびりした声に、はっと顔を上げる。
 カイトが、ベッドに腰掛けてがくぽを見下ろしていた。
「カイト、どのぉ……っ」
 救いの手が、と思ったのはわずかの間だけのこと。
「苦しい? つらいよね、そのままだと」
 いつもの無垢な子供のような笑顔はしかし、凶悪を秘めている。
「早く楽にしないとね?」
 カイトの言葉に呼応するかのように、コードが動きを増す。
「い、やだっ……ンッあ、ああ……ッ」
「ちゃんと顔も見せて欲しいなあ」
 楽しげですらある言葉に応じ、結った髪に絡んだコードががくぽの顔を上げさせる。両手首は体の前で戒められているため、がくぽの体を支えているのは両膝と至る所に巻き付いたコードだけだ。
 顔など無論見られるわけがない。視線だけは背けていた。
「カ、イトどの……どう、して……」
 助けてはくれないのかと、言葉は声にならず喘ぎ声に取って代わられた。カイトは何も答えず、楽しげな視線を寄越すばかりだ。
 若干きつい態勢を取らされている間もコードは動きを止めない。
「ひ、あ…アッ、……カイト、どの……おかしく、なる…から…っ、た、すけて……」
「……すぐ、楽になるよ」
 囁くようなカイトの言葉はがくぽの一際高い艶めいた声に掻き消される。
「っ、ああ、あッ……」
 背が跳ね、体は大きく震えた。性器に絡んだコードはそれでもまだ足りぬとでもいうのか、搾り出すような動きをしてみせた。
 カイトが満足そうな笑みを浮かべていたのが視界の端に映った気がしたが、がくぽはその意味を問い質すより先に意識を手放してしまった。