「こんばんは、久しぶりだね? レディ。そっちのレディは初めましてかな? さあどうぞ、中に入って暖まって」
とある世界のとある大都市の一等地、きらびやかな街に店を構える『ホストクラブ・シャイニング』。夜二十時に、その店はオープンする。ドアボーイは置かず、公正なるくじ引きで客を出迎えるホストが決まるのはこの店ならではだろうか(ごくごく稀にOBやフロアマネージャーが迎えてくれることもあるらしい)。
この店の特徴として「食事が美味しい」ことが挙げられる。
つまみの類はもちろん、厨房担当の気まぐれで日替わり、あるいは週替わりで提供されるメニューは普通の食事もあり、残業明けや仕事明けでわざわざ腹を空かせて食事目当てにやってくる常連もいるほどだ。厨房担当は黒崎蘭丸と聖川真斗。
「今日のオススメは週替わりのオムライス! 蘭丸先輩の得意料理なんだぜ。今日のソースはデミグラスだった。これがめちゃウマで、ただ米にかけただけでもすっげー美味いんだ!」
先に着席していた女性客に、翔がメニューを広げながら料理を勧めていく。反対側に座っている音也が勧めるのはカレーだった。
「これね、今日はれいちゃんが作った唐揚げも入ってて、チョー美味しい! カレーって何が入ってても美味しいけど、れいちゃんの絶品唐揚げが入ったカレーはもう、めちゃめちゃに美味しいんだ。オレはカレーをオススメするよ!」
オムライスとカレーの板挟みに遭う女性客たちとはまた別のテーブルでは、男性客を相手にしている嶺二がいた。
「うんうん、上からと下からの突き上げ、つらいよね〜! どっちの言い分もわかるとなおさらだよね、わかるわかる。でもさ、マイボーイの心は、どっちにするか……あるいは第三の手を使うか。決まっちゃってるんじゃないの? え? なんでわかるのかって? そりゃあ、マイボーイのことだからね。れいちゃんには、お・み・と・お・し! だよん!」
五十代男性も嶺二にかかればボーイとなる不思議である。ちなみにこの男性は最初に別の女性に連れられて来たのだが、その日に相手をしてくれた嶺二を気に入って通っている次第だ。
会話中、不自然にならない程度にフロアに視線を走らせたトキヤは、フロアマネージャーの藍と目が合った。意思疎通はそれだけで充分だ。
「そろそろ四ノ宮さんが会話に混ざりたがっているようです。……名残は惜しいですが……きっとまた、来て下さいますね?」
「トキヤくんが皆さんを独り占めしてるのが羨ましくて、来ちゃいました。今日はよろしくお願いします」
コアな人気を誇るのは、那月と一緒にやってきたカミュだ。
「ようこそお嬢様。今日のもてなしは、どちらの私をお好みですか?」
常連によると、この店を本当に楽しみたいのであれば、固定の推しを作らないことがオススメらしい(その常連はOBの日向龍也が推しだったらしい)。
気まぐれに真斗によるピアノと那月のビオラ、翔のバイオリンによる演奏会や嶺二主催のゲーム大会も繰り広げられる。
午前5時まで営業するホストクラブ・シャイニングは最高のサービスとホストを揃えて、あなたのご来店をお待ちしています。
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営業が終わったホストクラブ・シャイニング、ロッカールームでは裏方を含めた従業員全員が一息ついていた。営業時間中に休憩で食べる賄い飯を作るのも厨房担当の仕事だ。基本的にすぐ食べられて栄養のある丼と小鉢、プチデザート。その日は温泉卵とネギがたっぷりのった焼き鳥丼と、小松菜のおひたし、しじみの味噌汁だった。
「今日の賄いも最高に美味しかったなー!」
「焼き鳥のタレが濃いめなのも、ご飯に合っててすっごい美味しかった! もういくらでも食べられるって感じ」
「だからといってお客様の分がなくなるまでご飯を食べないでね、オトヤ」
「だ、大丈夫だよ〜。前みたいな失敗はしないから!」
その日の出来事は『音也米食い尽くし事件』として店の日誌に残されている。
「黒崎さんの作るメインは美味しいからな、わからんでもない」
「聖川さんの作られるお味噌汁もおひたしも、とても美味しかったです。ダシがしっかりきいていて、上品なだけではない味わいでした」
「今日のデザート、抹茶ミルクプリンだったか。なかなか良かったぞ」
「カミュ先輩の分には練乳をたっぷり入れました」
平和な話が尽きない面々に、時計に目を走らせた藍が口を開く。
「ほら、みんな。帰るのが遅くなっちゃうでしょ。早く帰って身体を休めて。体調を整えるのも、仕事のうちだよ」
「はーい」
藍の言葉に良い子の返事をすると、着替えた彼らはそれぞれ帰っていく。トキヤもまた、帰路についた。
昨日は休みだったから買い出しはしてあるし、作れる限りの作り置きも作った。部屋に着いたらのんびりと風呂に入り、スープでも温めて、それからゆっくり寝る。部屋についてからの算段を整え、マンションのエレベーターを降りて――計画の変更を余儀なくされたことを悟る。
「やあ、イッチー」
「……レン」
はぁ、と思わず溜息が漏れる。翔や音也と、二十四時間開いている居酒屋に行ったのではなかったか。
「そのつもりだったんだけどね。気が変わっちゃって……」
「……それで、どうしてうちに?」
「イッチーのご飯が食べたいなぁって」
思って、と笑顔はとてもきれいで。見惚れそうになるのを意識的に目を逸らして避け、小さく溜息をした。家の鍵を開けると、レンをちらりと見る。
「……上がるなら、早く入ってください。冷たい空気を入れたくありません」
「ありがとう、イッチー」
お邪魔するね、と猫のようにするりと玄関に入り、靴を脱ぐ。ちゃんと靴を揃えるあたり、基本的な躾はされているようだとわかる。食べ方でもそうだが……。
「イッチー? 疲れてるかい?」
ぼんやりしたところで声を掛けられる。いけない。鍵を掛けると、自分も靴を脱いで上がった。
「大丈夫です。……今食べられるのは、スープとシチューとカレーとドリアと……ポテトサラダくらいですが、どれにしますか」
「選ばせてくれるの? それなら……スープかシチューかな。ポテトサラダも食べたい」
「ではスープで」
どのみちスープにしようと思っていたので、都合がいい。スープはまだ鍋の中にある。火をかけるついでに、湯を沸かすことにする。これは近頃もらった電気湯沸かし器の出番だ。
レンはすでにリビングダイニングのほうへ行っている。まったく、気まぐれな猫のようだ。たまにやってきては人の心を乱すだけ乱して帰る。ただの友人であれば、乱れないのかもしれないが。
溜息を吐くとスープに振りかけられるようにミルで挽くタイプの胡椒を出してやる。またごっそり入れるのだろうか。けれど彼が食べるところを見られるのは少し嬉しい。