07籠中鳥

 それからしばらく、レンは今まで通りに外へ出て、仕事をしたり散歩をしたり、トキヤと穏やかな日を過ごした。  けれどたまに、難しい顔をする。 「何かありましたか?」 「……うーん……まだ実害はないから、なんとも言えないね……」  レンがそんな言い方をするなんて珍しい。いつもならなんとなくはぐらかすような言い方をするからだ。それは単にトキヤへ心配をかけたくないだとか、面倒ごとはごめんだとか、そういった理由だったはずだけれど。  じっとレンを見つめると、レンは眉を下げて笑う。 「なんにもない、って言っても、おまえは心配するだろう? なら、最初からちゃんと言ったほうがいいかなって思ってね」  心配かけて痩せさせちゃったからねえ、としょんぼりとした顔で言われると胸が痛む。痩せたのは私ではなくあなたです、と言いたかったが、あれ以来ちゃんと食事を摂るようになったレンは削げたところもなくなり、トキヤが一番好きなラインを取り戻していた。きっと服の下の身体も同様だろう。  何かある、と言外に言っているレンをじっと見つめた。 「……私に関係があること、ですか?」 「たぶん、ね。……以前、街で犬に攫われたことは覚えているかい?」  犬。  覚えている。  少女が連れて散歩していた大きな犬と目が合った、と思ったら飛びかかられて、魔法の鎖を千切られて攫われた。危うく森の中の大きな穴の中へ落ちるところだった。  大事に至らなかったら良かったが、もしあの穴の中へ落ちていたら、と思うとゾッとする。  レンが間に合って良かったと心から思っている。  こくりと頷くと、レンは自分の頬のあたりを手のひらで撫でた。 「あの時、何かおかしな感じはしたんだけれど……最近、似たような視線を感じるんだ」 「視線?」 「そう。あの……穴の中を覗いた時に、穴の中から感じたものと似たような……『見られてる』っていう感覚。何かいるな、っていう直感めいたもの。あれに似た感覚を、外に出た時に感じることがあるんだ」 「……不気味ですね?」  何とも誰ともわからないものに見られているのはいい感じはしない。 「あ。……ということは、あの犬に私が攫われたのは、犬のせいではない……ということですか?」 「うん、そう。ああ、それが確定した話しもしていなかったね」  あのあと一度、こっそりと少女の飼っていた犬を調べに行ったこと。森ももう一度見に行ったこと。トキヤの『籠』にかすかに残った、魔力の残り香。色々なものを調べ、手がかりから得られたのは『魔術による操作』、つまり魔法使いの介入だ。  もちろん、その魔法使いはレン以外の者。 「けれどそんな魔法使いに心当たりがなくてね……」  他の魔法使いとの人付き合いはあまりしていないし、魔法院との交流も最低限、仕事の斡旋を受ける時くらいのものだ。極力目立たないように暮らしている、が。 「何かあるとすれば、実家のほうだけど」  家出したようなものだが、それ以前からレンのことは放棄されていたようなものだし、今さら介入してくることも考えにくい、と何でもないことのように言う。 「だから……あと考えられるのは、オレがおまえと暮らしてるって知ってるやつか……おまえのことを知ってるやつか」 「えっ」  私のことを、知っている?  いるのだろうか、そんな人が。  レンは肩を竦める。 「あくまで可能性の話さ。……だから、バロンがそれを確定あるいは確定に近い状態に持っていってくれるために動いてくれてる。……面倒だから、あまりあまり上のほうの人じゃないといいんだけれど……」  この前、店に来ていた使いを見るとそういうわけにもいかないかもしれない、と苦笑する。  大丈夫だろうか。  なんだか大事になってはいないか。  トキヤが賭けられるものなんて、この小さな身ひとつしかないのに。  俯き、手のひらをぎゅっと握ると、レンがじっと見つめてくる。 「こんな時、この隔たりが憎らしいね。……大丈夫だよ。オレが男にこんな風に思うのは生まれて初めてだけど……おまえをオレが手放すつもりはないし、おまえの意に染まないことをするつもりもない。できるだけ、おまえがその『籠』から出られる手立てを探すつもりだし……あっ、でもおまえがイヤなら……」  急に弱気になるレンがかわいらしく、愛しい。  くすくすと笑いながら「大丈夫ですよ」とトキヤはレンを見上げる。 「私も、あなたといたい。……たとえそれが『籠』の中から出るまででも、……出た後もいてもいいのなら、その後までも」  どうだろうか。もちろんイヤならイヤで、選択肢はレンに預けるつもりだ。そもそも彼は自分の所有者なのだし。とはいえ彼に所有者という意識があるのかはわからないけれど。  一瞬の間にいろいろと考えたが、大輪の花の蕾が綻ぶように微笑んだレンを見ると、色んなものが吹き飛んだ。 「……よかった」  はやく向かい合ってご飯が食べたいね、なんて言うものだから、トキヤも笑った。  カミュから連絡があったのは、一ヶ月半を過ぎた頃だ。 「ずいぶん早いな……」  逆に何かあったのではないかと危ぶみながら、トキヤを伴ってレンは絨毯を急がせる。  カミュは二ヶ月、と言っていた。それからは何も言ってこなかったから、もしかしたら進捗の連絡かもしれない。彼の使い魔である鷹は、「来い」としか書かれていない手紙を持ってきてくれただけだ。  その鷹も、今は一緒に絨毯にいる。カミュが指定するコースを通って来い、ということらしい。鷹はその先導だった。 「……ずいぶん大回りなコースを指定してくれるものだね……」  本来ならとっくに到着しているだけの時間がかかっているが、レンによれば普段の倍以上を飛ばされているという。 「これも、呼び出されたことのひとつ……でしょうか」 「そう考えるのが自然だね……ここから東に? 真逆じゃないか」  鷹の指示にぶつぶつと文句を言いながらも、レンの絨毯はよどみなく進む。トキヤはもうとっくに方向がわからなくなっているが、レンはきちんと地図が頭の中に入っているらしい。狂いもせず現在地を把握できるなんてすごいのではないかとレンを見上げるが、彼は普段よりどこか苛立っているようにも見えた。  カミュの店についたのは、それから三十分後のことだ。家を出てから二時間は経っている。 「はぁ……ちょっとした散歩だね」  案内役の鷹を肩にとまらせつつ、カミュの店へと入る。店番をしていたカミュはレンの姿を見ると椅子から立ち上がった。 「思ったより早かったな」 「こっちはくたびれそうだったよ。……お呼びだと聞いたら、早く来たくてね」 「店の中でする話しでもない。こちらへ来い」  カミュに促され、店の奥の応接室へと招かれる。すでにお茶の用意がされているのは、おおよその到着時間は把握していたということだろう。 「過去に俺の店で扱ったことがある籠中鳥は、だいたいは紛い物だ」  紅茶を淹れてくれるとすぐに店主が口を開く。 「実際、そやつがここにいた時にも、他にふたつみっつ籠中鳥は置いていた。一年で五、六個。だいたいは、本物の鳥に目くらましをかけているパターンだ。数が多かった理由はそれだ」 「だから歌うしかできない、と? 人間に掛けているわけじゃないから禁呪じゃないってことかな」 「まぁそういうことだ。だが、一ノ瀬は鳥ではない。鳥ではない者が籠中鳥にされているパターンは……以前言ったように例が少ないが、まったくないわけではない。二級禁呪だとされた原因の事件は必ずあるものだ。たいていの魔法使いはわかっているから手を出さないが」  誰しも自分の命と引き替えにするほど『籠中鳥』を作ろうとは思わないものだ、とカミュは紅茶に口を付ける。 「バロンのところで扱ってた籠中鳥の大半が、紛い物だったとして……どうしてイッチーは紛い物じゃないんだい?」 「正確に言えば、一ノ瀬も紛い物だ」 「え?」 「え?」  ふたり同時に声が出た。疑問符が頭の上に大きく飛び出る。  考える顔をしたレンが指をくちびるに当て、少しの間目を閉じる。カミュの言葉をヒントに何かを考えているようだ。トキヤの考えも及ばないことだから、トキヤは考えることを放棄した。 「……二級禁呪で籠中鳥になったわけではない……? だから喋れるし……楽器も使える……、……大きさを変えて、閉じ込めて……これは結界魔法か……でも記憶、意識に関する操作も二級じゃなかったかい?」 「程度による。あるいは影響範囲か」 「ああ……なるほど、影響範囲は対象のみだから……、……それにしてもひどくないかい? イッチーが何をしたっていうんだ」 「それは俺にもわからん。……で? できそうか?」  カミュの言葉を受けて、レンがちらりとトキヤを見てくる。  これから何があるのか、あるいは何が起こるのか。不安は表情に出たかもしれない。レンは優しく微笑んでくれた。 「……できるさ。庭を貸してよ、バロン」 「よかろう」  カップをカラにしてから立ち上がると、天気のいい日に外で茶を飲む小さな庭に出た。華奢なテーブルに置かれると、レンは胸元からタクトのような大きさの杖を取り出す。 「ほう、いい杖だな」 「形見だよ。モノはたしかに一級品だって聞いてる」  一流の美術品のような彫り物、造形、填め込まれた石。彼によく似合っている、と見とれてしまった。 「イッチー、これからオレは魔法を使うけど……目を閉じてていいから、『自分は誰なのか』を考えていてくれると助かるよ」 「わかりました」  こくりと頷く。すぐに目を閉じると、レンに言われたことを考え始めた。  自分は誰なのか。  この籠の中に入る前は、どこで何をしていたのか。誰といたのか。  文字を読むのに苦労はなかった。歌は、上手くはなかったけれど。カミュの店にいるより前に、自分はどこで何をしていた人間だったのか。 「……、……」  胸がふわ、とあたたかくなるのを感じる。誰かが傍にいてくれる時と同じ。――レン。ずっと、一緒にいられたらいいのに。一緒に、いたい。  そのためには自分が何者であるのかわからなくては――。 「これは……」  トキヤの内側から、あたたかな春風が吹き起こるような感覚。中心から広がる風はそよ風から嵐のように強くなっていく。 「う、……わ……!」  何かが身体の内側から勢いよく噴き出していくような気がした。それこそ、鳥が飛び立つような。その反動なのか、足許がぐらぐらして立っていられず、へたりこんでしまう。 「イッチー……!」  少し遠くからレンの声が聞こえた気がした。目を閉じたまま意識を手放してしまったので、本当かどうかはわからないけれど。 「……意識はないが脈も安定している。単に気を失っているだけだろう、そんなに心配するな」 「はぁ……オレの身体のことなら心配しないけどね。……それはそうと」  溜息を深く大きく吐き出すと、まっすぐカミュを見つめる。 「いつまでオレを、オレとイッチーを観察してるつもりなんだい、魔法院のヒト」  あんまり見くびらないで欲しいんだけど、と面白くなさそうに言うと、建物の影からフードをかぶった人物がやってきた。レンよりわずかに小柄に見える。 「……ずっとオレを見張ってたのはおまえか」 「見張ってたっていうのは人聞きが悪いかな〜?」 「じゃあ覗いてた」 「もっと語弊があるにゃ!?」 「だったらまず、人と話す時は顔くらい見せたらどう? でないとオレ、キミのこと土偶だと思うことにするけどそれでいい? いいなら三秒そのままでいいよ、勝手にそうするから」 「エッ、ちょっとそれは面白いけどイヤだにゃっ!? ちょっと待ってちょっと待って」  あっフードが引っかかった引っかかった! と賑やかな男に、やや胡乱な目で見てしまう。が、それも男がフードを取るまでの話だ。 「じゃーん! これがボクの素顔だにゃ!」  自信満々というか堂々というか、わざわざピースとポーズまで取ってくれてこちらを見たのは。 「……イッチー?」  いやそんな馬鹿な、と自分の腕の中を見る。腕の中のトキヤはまだ意識を失ったまま、目覚めそうにもない。 「……顔だけ真似たとかそういうことかい……?」  だったらちょっとだいぶ殴るけどいいかな? と笑顔で問いかけると、顔だけトキヤの男はちっちっちっと指を横に振った。 「真似たわけじゃないよ。ボクとトキヤが同じ顔をしてるのは当たり前。……双子なんだ」 「双子……?」 「まあ話せば長くなるから話さないけど……ボクの魔法を中和するなんて、レンくんなかなかやるねっ」 「術式の理論がわかれば、誰だってできるだろ?」 「……できてたら無能が魔法院にいるわけないんだなぁ……」  苦笑する彼は、トキヤより表情の振れ幅が広く見える。 「あ、自己紹介が遅れちゃったね。ボクはHAYATO。魔法院で副院長やってます☆」 「…………魔法院は人材不足なのかい……?」 「馬鹿者。これでも副院長はやり手だと評判なのだぞ」 「ああ……道化の皮を被った的な?」 「単に魔法院の上層部がおバカさんばっかりなだけだよ☆」  ひそひそとした話に割って入ってきたHAYATOにぎょっとすると、HAYATOは気を悪くした様子もなく微笑む。 「ま、だから政敵を倒すのに武力行使、みたいな真似しかできなかったんだろうけど」  終わった話だからいいけど、とつまらなさそうに言うと、レンのすぐ傍までくる。腕の中のトキヤの顔、それからレンの顔を交互に見て、にこりと笑んだ。 「トキヤはキミをだいぶ気に入ってるみたいだから。……預けてもいいかにゃ〜」 「なんで預けてくるのに上からなんだい……?」  意地悪そうににやにやと値踏みするような視線を寄越すHAYATOに、嫌そうな顔をする。 「要らなかったかにゃ?」 「そんなことは言ってない。……」  強く言い切ってから、こちらを見ているHAYATOとカミュの視線がやたら優しいことに気付く。 「な……なんだい……」 「ただの軟派な男ではなくなったな、神宮寺」 「え?」 「キミがトキヤをだいじにしてくれてるのは、見てたから知ってるにゃ〜。らぶらぶだよねっ」 「……仲はいいと思うけど、らぶらぶとは違うんじゃないかな……?」 「トキヤはいい子だから。キミに迷惑を掛けることはあんまりないと思うけど……キミがトキヤに迷惑を掛けるのはダメだからね?」 「おっと……とんだブラコンだね……」  こわいこわい、と苦笑する。HAYATOはレンとトキヤの傍に寄ると、それぞれの頭をわしゃわしゃと撫でた。 「じゃ、ボクはもう行くね」 「トキヤに会って行かないのかい?」 「そうしたいのはやまやまだけどね」  これでも忙しいんだよ、と笑うと、手を振って行ってしまう。  なんだか、嵐のような男だった。 「顔はよく似てたけど……似てないね……」 「騒がしいことこの上ない。……魔法の腕は超一流だが」 「バロンが言うならそうなんだろうね。……まあ、事情は察したよ」  この店のことも、ひいてはカミュのことを信頼して、トキヤを店の商品に混ぜたのだろうけれど。それにしたって乱暴だ。 「……う……」  トキヤが小さく身じろぐ。そろそろ目を醒ますだろうか。 「おはよう、イッチー。さ、お茶の続きをいただこう?」 ----------  レンの腕の中で目が覚めてから、驚きの連続だ。  けれど、最初にすべきことはわかっていた。 「……HAYATO。いるのでしょう。出てきなさい」  HAYATOはさっき帰るって言ってたけれど、と少しのんびりした声で言うレンは、おそらくわかっている。 「出てこないのであれば、今後一切どこかで偶然出会ったとしても口も聞きませんがそれでいいということですね」 「えっヤダ待って!」  心底慌てた声で姿を現したのは、トキヤの双子の片割れ。  覚えている、いや、思い出した。彼があの小さな籠の中に自分を入れた日のことを。  彼は、トキヤを護ろうとした。  傍に来たHAYATOの前に立つと、小さく息を吐く。そして。 「歯を食いしばりなさい!」 「え? ……いったああああああああ?!」 「イッチー!?」  力加減をしない平手打ちを見舞う。 「拳じゃなかっただけありがたいと思いなさい」 「うっ、ひど……痛い……」 「痛くしたのですから当然です。……あの時、私の胸も痛かった」  HAYATOが痛がるのを止め、おそるおそるとトキヤを見上げる。どこか子犬じみている。 「……怒って、る?」 「あなたの考えているところとは違うところでね。……今殴って多少気は晴れましたが、あなたが謝るのは私にではなく、面倒を掛けたレンやカミュさんにしてください。そして、あなたはレンとカミュさんに貸しを作ったということを忘れないでくださいね」 「う……」  しょんぼりしたHAYATOと怒りのオーラを完全には消さないトキヤを宥めるように「まぁそう言うな一ノ瀬」とカミュが間に入る。 「これからの季節、みずみずしい果物を使った極上の甘味が見た目も味も多くの人を楽しませる。そんな季節になってきたというのに、そんな顔では甘味に失礼だぞ」 「そうだよイッチー。南のほうで採れるスパイスも、希少だけどそろそろ流通に乗ってこの国にもやってくるはずさ。刺激的な味で、嫌なこと全部忘れちゃおう?」 「…………だそうですよ、HAYATO」 「……う……わかったにゃ……」  しおしおと項垂れるHAYATOを、トキヤは今度こそ抱きしめた。 「……無事で、良かった」 「! トキヤ……」  すぐに力一杯抱きしめ返される。いい歳をして泣き出すHAYATOにつられて泣かないようにしつつ、トキヤは心から安堵していた。
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