哲雄は、狡い。
狡猾という老獪さはなく、意地悪という程可愛いげがあるものではない。
ただ、狡い。
「……ダメか?」
真っ直ぐに、じっと見つめて低い声での問い掛け。
そんなふうに見つめられて、どうして断ることができるだろう。
「……ダメじゃ、ない……けど」
「けど?」
言葉尻を捕らえられ、また蓉司は曖昧に口を閉ざす。
何か考えがあって「けど」と言ったわけではない。ただ――そう、ただ素直に言われるがまま応じるのが癪だっただけだ。そしてそれを正直に言うこともしたくない。
とすれば、蓉司には俯き黙るしか手立てがない。
「崎山」
呼ばれ、肩がかすかに震えたのはばれただろうか。
そんな声で呼ぶのも反則ではないか。ちらりと視線だけ哲雄に向ければ、学校にいる時より和らいだ、しかし真摯な視線を蓉司に注いでいる。
何か、答えなくてはならない。
「……いいよ」
「本当に?」
「あぁ」
頷くと、哲雄がふっと口許を綻ばせた。間近での微笑は無意識にも見惚れてしまう。表情の変化に乏しい哲雄だから尚更だ。学校にいる時など、まず笑うことはない。二人っきりでいる時には微笑と呼べる程度の笑みを見せてはくれるようになったが、頻繁というわけではない。
つまり哲雄の笑顔を見るのは珍しいのだ。
だから求めに応じた、というわけではない。結局蓉司は哲雄がすることを完全に拒絶などできないのだ。
どうしてと聞かれても、嫌ではないからとしか答えようがない。それだけだ。
哲雄の手が蓉司の頬へ触れる。鼓動が忙しなくなるのは、あたかもその手を待ち望んでいたかのようで気恥ずかしい。決して、そんなはずはないのだけれど。
近付く気配に、蓉司はそっと目を閉じた。