まるで死んでいるようだ。
カガセオの寝顔を見下ろし、真世は思う。
(そんなはずはないのにな……)
自嘲が口許に浮かぶのは、カガセオがどういうモノであるのか熟知しているからだ。
屍姫たちのルーツ。
全身法具。
――人ではないモノ。
たとえ法具によって全身が人を模して象られ、法具によって会話ができるとしても、モノはモノでしかない。カガセオはひとつの目的のために大昔に作られたモノだ。性能は昔とは比べ物にならぬほど向上しているが、それもモノだからカスタマイズできる、ということかもしれない。
それに違和感を覚えることのほうがおかしい。使役者――契約者であれば、尚更だ。
(……人と変わらぬ姿をしているのに……)
彼がただのモノであるなら、何故、人の姿をしていなければならないのか。
その答えはいくつか想像できたが、答え合わせをする相手はいない。
「…………」
背は真世より高い割に、線の細い、華奢な体型。癖はあるが腰あたりまで伸びた艶やかな美しい髪。長い睫毛が落とす影。白磁の陶器のごとき肌。体躯は青年のものであるが、顔立ちはむしろ女性的かもしれない。
見た目は人と変わらないのに、決定的に違うものがある。
真世はカガセオに手を伸ばし、無駄を省いた頬へ、指先で触れた。
(ひんやりしている……)
温かさはまるでない。体温がまったくないわけではないが、生者のものとは異なる。
そこで初めて、カガセオは人ではないのだと理解するから――寝顔が死人のように見えるのだろう。あるいは、常に口許にあるはずの微笑がないからか。
わかりきったことを反芻すると、真世は指の背でカガセオの頬から顎にかけてのラインを撫でた。
「……真世?」
薄い唇が名を呼ぶ。
縫い付けられた目蓋は開かれなかったが、彼が真世を見ているのはわかった。
「すまない。起こしたか」
「起きていましたよ」
「…………」
「私の眠りが人の眠りとは違うこと、知っているでしょう」
「知っているが……起きていたなら早く起きろ」
言い、ふいっと顔を逸らす。カガセオは真世がここにやってきた時から起きていたのだろう。予想しなかったわけではないが、反応されなかったのが面白いはずはない。
普段、大僧正としての真世しか知らぬものにしてみたら驚くべき姿かもしれない。あの大僧正が童のように拗ねているなど。
ごく一部の僧の中には、真世が年齢の割には存外子供っぽい一面を持っていると知っている者もいるが、知らなければ驚嘆するだけかもしれない。
真世にしてみれば使い分けているわけではなく、ただ、場をわきまえているだけなのだけれど。
「どうかなさったのですか」
「どうかした、わけではないが……」
どう言って良いのかもわからない。
「貴方からこちらにいらっしゃるなど珍しい。何かあったのでは?」
「……お前の顔を見に来た」
苦し紛れのような真世の言い訳に、カガセオは不思議そうな表情をする。
「おかしなことを言いますね、真世」
「そうか?」
「ええ。まるで私が人であるかのようです」
「……その発想はなかった」
苦笑し、上体を起こしていたカガセオの肩に額を預ける。
冷ややかな温度。
人ではないモノ。
(それがどうした――)
今ここにカガセオが在る事実は曲げられない。
「真世?」
「お前に色々言い繕っても、仕方がないな。あながち間違っていないとしても」
「というと……?」
「癒されに来たということだ」
「……かえってわかりかねます」
カガセオはわからなくて良い。自分がわかっていればそれで良いと思う。
ふと、カガセオが身を引いた。何事かと思い顔を上げると、感情が読み取れない顔で俯いている。
「あまり私に触れていては……」
風邪を引くということか。気遣ってくれているのだ。
それは嬉しくもあるし、哀しくもある。
真夏であれば、涼を取ると言い訳もできただろうに。
「お前は、寒くはないか」
「ええ。大丈夫です」
「そうか」
カガセオの手を取ると、真世はその手のひらを自身の頬へ宛てた。真世の行動が理解できないのだろう、カガセオはじっと真世の動きを見守っている。止めさせる気配がないのは、真意を推し量っているのか。
法具によって造られた頭脳で、どこまで理解できるだろう。
侮りではなく、純粋な疑問。
ひんやりした肌と、部屋に満ちた香気。
それらは一日中「光言宗大僧正」として務めてきた真世の心身を癒してくれる。同時に、冷たい肌を――体温を、どうにかできないかと思わせるのだ。
「真世……っ?」
驚きが混ざった声音は、彼の手のひらに口付けたからだろうか。いや、その次に舐めたせいかもしれない。
けれどカガセオは逃げない。驚きはしたものの、やはり真世が何をしたいのかを探っているようだ。
(……甘い)
植物由来の肌だと知っているがための錯覚。
けれど肌の感触は植物とは違う。肌は肌でしかない。先人の飽くなき探究の成した御業は、真世に改めて驚嘆を抱かせる。
(……っ?)
頬へ感じた感触に、顔を上げた。
「カガセオ?」
「真似をしてみました」
「真似?」
「ええ。真世が私の手を掴んでいたので、場所まで同じとはいきませんでしたが」
「…………何故、真似を?」
「真世の行動の意味を量りかねたので、同じことをすればわかるかと……」
なるほど、と真世は得心した。存外、子供のような理由に嬉しくなる。
「それで、わかったのか?」
「……いいえ。わかりませんでした。教えてください」
ひたむきに向けられる、整った顔。薄い目蓋の下には、真世の眼がある。
真世は微笑むと、カガセオの間近に顔を寄せた。互いの吐息が肌に触れる。そんな距離だ。
「……触れたくなったから触れたのだ」
他意があるにせよないにせよ。
「真世、他意……とは」
戸惑ったように向けられる声も何もかも。
触れられるなら。
「……遅い時間だな。そろそろ休むとしよう」
立ち上がると、もの問いたげなカガセオに背を向ける。
「おやすみ、カガセオ」
「……おやすみなさい、真世」
空気すら遮るように戸を閉めると、真世はようやく息を吐き出した。