飲むための口実に、その年で何度目かのヤソップの誕生日を祝った宴も、柔らかな輝きを放つ満月が西へ沈む頃には、大方の者が眠りの海に沈んでいた。
前甲板、後甲板の至る所に寝倒れている仲間たちを避けながら、ベックマンは最上後甲板へ上がった。ここまで来ると風向きの助けもあり、宴の場で寝入った者たちの鼾や歯軋り、寝言は聞こえてこない。
口元にはいつもの紫煙がくゆる。向かいから吹いてくる風のせいで、彼の後ろに立っている者がいれば姿を見なくてもベックマンがそこにいるとわかったに違いない。
ちょうど、今のシャンクスのように。
「よう、まだ吸い足りねェか」
口調に揶揄が滲むのは、先程までの宴席でベックマンが途中から料理に口を付けず、煙草を酒の肴にしていたことをしっているからだ。
勿論、料理が口に合わなかったわけではないことくらい、承知している。バラティエには劣るかもしれないが、優秀な料理人たちが腕を揮ってくれたのだから。
「喉痛くならねェのかよ」
「痛かったら吸ってねェな」
「どうだか……怪我しても吸ってるだろ」
「病気じゃねェだろ」
「風邪ぐらいなら引くだろ。ドクを憤死させるなよ」
口は悪いが腕の立つ船医の顔を思い浮かべながら、シャンクスは喉を鳴らして笑った。当のベックマンはどこ吹く風の態。素直に話を聞き入れるには時間が経ちすぎていたし、真剣に聞き入れさせようとするには真剣味に欠けていた。
戯言の応酬。
酒精の回る心地よさに任せて戯言を吐いている。昔から――それこそ十代の頃から続けられている軽口の延長。それから二十年近く経っているのに続けられる喜び。
しみじみとそれを味わうのは、まだ早い。まだ駆けている途中なのだから、振り返る必要はない。
短くなった煙草を海へと投げ捨てる。シガレットケースから取り出した一本は、シャンクスに奪われた。口許に運びながら、ベックマンの顔を覗き込んでくる。
「たまには、な」
ずいぶんと機嫌が良い。揶揄のために煙草を奪ったわけではないらしく、「火」と一言言って銜えた煙草を突き出してくる。
燐寸を擦り、ふたつの煙草に火を点けた。同じ香りが夜の闇に溶けては消える。
船の灯は最小限に留めてある。空の小さな灯たちがちらちらと輝くのが、どこか幻想的ですらある。
そんなことを考える自分は、どこか感傷に浸っているとベックマンは思った。
「なァ。次の港は……」
「駄目だぞ」
言葉のすべてを聞く前に否定すると、途端に不満げな顔になる。何を言われるのかも、だいたい察しが付いていた。
「……まだ何も言ってねェだろ」
「ろくでもないことだろう」
「違ェよ」
「先に言っておくが、単独行動、無謀、海軍や他船に喧嘩を売る、売らせる等の挑発、迷子はお断りだからな」
「オレはガキか」
「子供のほうが聞き分けが良かったりするぞ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味さ」
涼しい顔で煙草をふかす。シャンクスはその顔を恨みがましそうに睨んだ。
「どこにいても目立ちすぎるんだ、あんたは。もう少しそのへんを自覚したほうがいい」
「いい男の宿命、ってね」
「自分で言うのは自由だな」
「おまえ最近可愛くねェぞ」
「いつまでも可愛かったら困るだろうが」
「オレは気にしねェのに」
「そりゃどうも」
笑って返せば、シャンクスはにやりと笑って手をひらひらとさせる。視界に赤と黒が舞った。
「大人しくしててやる代わりに、おまえ後でオレの部屋に来いよ」
少しだけ振り返った顔は笑っている。
何をしたいのかは互いにわかっていた。だが少なくとも、この煙草を吸いきるまでは。
そのくらいは許容範囲だろうと、短くなった煙草をもみ消すと、新たな煙草を銜えて火を点けた。