you cannot sleep?

 何分かおきに、狭いベッドの上で寝返りを打つ。わずかでも冷えた場所を求めての行動だが、眠ろうと決意してから軽く三十回は寝返りを打っているため、シーツのどこにも冷えた場所などなかった。
 窓を開けても救いはなく、生温い風が室内を薄らかき混ぜてくれるだけだ。それでも開けないよりはマシだとばかり、気休めに開けている。
 寒いのはいくらでも我慢がきく。シーツにきっちりくるまるなり、無理矢理運動するなどして身体を暖めれば、眠れてしまうものだ(勿論、運動には相手が必要であり、この場合相手の意思など思慮の外になる)。
 着込めばいい寒さと違い、暑さには対処の限界がある。そもそも、服を脱ぐのに限界がある。いくら暑いとはいえ、晒しても良いのは上半身までだろう。下半身など晒した場合、見苦しいことこの上ないのは当然として、いざ戦闘となった場合、きっと動きにくい。
 実際は動きにくいだけが問題ではないのだが――例えば品位や士気などといったことを彼はことごとく問題視していない――、熱帯夜でうだる頭にまっとうな思慮を求めようと思うほうが、きっと間違っているのだ。
 それにしても、暑い。
 どんなことを考えていても、結局はそこへ戻ってしまう。
 そういえば、あまりの暑さに昼間は熱中症や熱射病を発症した仲間も数名出た。暑いだけならまだ何とかなるような気がするが(あくまで「気がする」だけだ)、こうも湿度が高いと、不愉快以前にすべての気力が萎える。
 暑いのは嫌いではない。むしろ好きだと断言していい。だが湿度は別だ。この、身体にべっとりとはりついてどれだけ拭っても拭いきれない鬱陶しさ、こればかりは駄目だ。湿度が目に見えるものなら、即座に斬り捨ててやるのに、とシャンクスは真剣に思う。どれだけ真剣に思ったところでやはり不可能なのだから、思うだけ損なのだけれど。
「あ――――――……」
 自分が欲したのは春島だ。  だのに何故こんな真夏を体感しているのか。無論、通り道だからに決まっている。自分が「とにかく早く!」と要望した通り、最短の航路を副船長と航海士は割り出してくれて、手に入れた永久指針が示した道行きに夏島があるだけだ。ただそれだけなのだが、その夏島がこういう類のものだとは。
「……聞いてねェぞ……」
 恨みがましく呟いたところで、隣室に聞こえるはずもない。当然のことながら、副船長である隣室の主に文句を言うのは筋違いだと自分でも理解していた。だが暑さに対する不快な感情は、理性による納得を上回る。
 やがて誰に対してかわからぬ罵りの言葉を吐き、意を決すると起き上がった。こめかみにじっとりと滲む汗を人差し指で拭うと、立ち上がって自室を出る。行き先はこの場合、一つ所しかありえない。
 
 
 
 
 隣室の船長同様、副船長もまた寝苦しい夜に辟易していた。
 己がだらけるのを好まないため、表面に出ることはまずないのだが、だからといって周りが思うほど平然としていられるわけではない。
 何しろ暑い。
 蒸し風呂に入れられているかのように暑い。風呂ならば己の思う時に出れば良いだけだが、自然相手ではそうもいかない。夏島の影響が及んでいる海域を出ない限り、酷暑は続くだろう。
 救いは、この湿度が永遠に続くものではなく、明日の夕刻にはここよりは涼しい海域へ出られる、ということだろうか。それまで辛抱すれば良いだけだ。先が見える地獄ならば、なんとか耐えられる。
 ベッドに転がったまま、開け放った窓の外にちらりと目をやる。いくつかの星が瞬いているのが見えた。雨でも降ってくれたなら、少しは不快指数が下がるだろうか。それとも鬱陶しさに拍車がかかるだけか。狭いベッドで寝返りを打ち、湿度を拒むように目を瞑った。
 明日寝不足な連中もいるだろうが、仕方がない。この暑さではベックマン自身、今晩眠れるかどうかすらわからないのだから。仕事に支障が出るほどでは困りものだが、そうでないなら大目に見るのはやむを得まい。戦闘に及んでも士気が上がらぬようであるなら、この時ばかりは我らの尊敬してやまない大頭に頑張って貰うとしよう。
 気忙しいノックが響いたのは、そんな結論を出した時だ。ノックの調子に覚えがあったので目を閉じたまま応じると、やはりシャンクスだった。
「やっぱり起きてたか」
 おまえだけぐっすり眠れてたらどうしようかと思った。言いながらやってきて、どうやらベッドに腰掛けたようだ。目を開けるのも億劫なので目蓋は閉ざしたままだが、周囲の気温がわずかに上がったようなのでそれと知れる。
「眠れねェんだけど」
 極寒の地でその台詞を聞いたなら、互いに身体を温めあうことで適度に疲労し、適度に発熱して暖を取り眠るという方法もあっただろうが、生憎そんな気力すら起こらない。
「不眠の相談ならドクにしろ」
「そこまで行くのが面倒だからここに来たんじゃねェかよ」
「明日の夕方にはこの海域を抜け出せる。それまで我慢しろ」
「今何とかしろって言ってんだよ」
「…………」
 いつもなら流せたかもしれない。だが、今宵ばかりは不快指数が高すぎる。ベックマンのこめかみに筋が立ったことなど、シャンクスが気付くはずもなかった。その程度に、シャンクスの気も緩んでいたということなのだが。
「床で寝ろ」
「は?」
 振り返ったらしいシャンクスの気配を感じたが、ベックマンは構わず瞑目したまま同じ台詞を繰り返した。ただでさえ暑い室内に二人分の体温は耐え難い。
「床のほうがいくらか冷たいだろ。床で寝ろ。ただしこの部屋の床は却下」
「なるほど」
 提案した方策に理解を示したようだが、部屋を出て行く気配はない。面倒ながら薄く目を開いて様子を窺うと、シャンクスはどうやらこちらを見下ろしている。
「……なんだ?」
「これだけ暑いと、やる気も萎えるな」
 ほんとは夜這いに来たんだけど。
 夜目でも屈託なく笑っているのがわかる。――萎えてくれて何よりだ。無駄に体力を使うような気力は、少なくとも今のベックマンには微塵もなかった。
「こんな暑い中でやったら気ィ狂いそうだな」
「思いとどまってくれて何よりだ」
「夕方には抜けるんだろ? それまでくらいなら我慢できる」
 だからそっちは明日。
 人食い虎より危険な微笑を落として、シャンクスは大人しく部屋を出て行った。そうしてベックマンはといえば、夜が明けてもいないのに翌日の予定をめまぐるしく頭の中で組み立てながら、シャンクスはきっと言った通りのことを実行するだろうと予測して、げんなりと体力・気力を奪われていた。
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