海と夕陽と

 ぱしゃん。
 軽い音をたてて水滴と泡が散る。
 湯に浮かんだ泡を掌に掬うと、息を吹きかけて飛ばした。鳩尾辺りまである湯は熱くもなく温くもなく心地好い。
 バスソープの泡が湯を冷やすのを防いでくれるので、長風呂を楽しんでいた。
「ご機嫌だな?」
「そりゃあな」
 男の唇がわずかに耳をくすぐる。くすぐったさを誤魔化すようにまた泡を掬い、今度は彼の肩になすった。
 バスタブは、屈強な男が二人も入ればどうしても足を曲げざるを得ない大きさだが、不自由は感じなかった。もともと船内の風呂ですら狭い。狭い風呂には慣れていた。
「…海も空も奇麗だし、言うことねェだろ」
 プラス、お前と風呂入ってるし。
 赤髪の口元には先程からずっと笑みがある。風呂に入る時から――いや、風呂をこの場所で入ると言った時からだ。
 島に着いた途端の船長の我侭を、仲間達は苦笑混じりに叶えた。高台から離れた所には温泉もあったが、船長は頑なにこの場所での入浴を主張し、最終的に副船長が折れた。
 他の仲間の気晴らしにもなるだろうという呟きは言い訳だろうと、皆知っていた。激しい戦闘の後の息抜きだ、とは船長の言葉だが、単に気紛れだろうとは誰も指摘しなかった。
 眺めのいい高台にわざわざ隣島の町から買ってきたバスタブを置き、衝立を置き、湯は近くに湧く温泉から汲み入れた。優秀な船員のおかげであっというまに出来あがっていく露天風呂を、シャンクスは彼らにちょっかいをかけながら楽しそうに待っていたのだった。
 バスタブに置いていた大きな手を動かし、脇に置いた台に乗せたランプに火を灯す。左手に見える太陽が、朱色に世界を染める。シャンクスの髪のように鮮やかに染まりゆく景色に、ベックマンは目を細めた。
 そうして、自分に体を預ける人の体を海綿で擦って洗ってやる。シャンクスは珍しく大人しく洗われ、鼻歌混じりで飽きずに刻々と姿を変える海や空を眺めていた。
 無言のままに体を洗われながら、ベックマンの肩や腕に泡を乗せる。他愛のない悪戯を、男は苦笑するだけで咎めはしなかった。
 シャボンの匂いに紛れ、煙草の香りがしたように思えたのは果たして錯覚だっただろうか。それとも気紛れな風のせいだろうか。そんなことをふとシャンクスは感じた。
 喉を反らせ、頭を男の肩口に凭れさせる。
「……なァ」
 ほとんど吐息で呼ぶ声。
 茜から紫、青、濃紺と色を為す空と雲。陽は、見る間に海へと吸い込まれてゆく。それを横目で見てから目を閉じた。
 ぱしゃん。
 湯が跳ね、泡がバスタブの外へ飛ぶ。
 なんだと問い返し、焼けた素足を伝う泡を目の端に留める。夕陽を受けて、茜に輝く泡。
 知らぬ内に目を眇めて赤髪の横顔を見つめた。視線を受け、赤髪は口の端を釣り上げ薄ら瞼を開く。それは男しか知らぬ表情。
「…しようか」
 唇をほとんど動かさぬ、吐息ばかりの目的語を省いた誘い文句。
 ベックマンはぴくりと瞼を引き攣らせ、体を擦る手を止めた。
「……ここで?」
「ここで」
「今?」
「今」
 疑問を同じ言葉でそっくり返され、ベックマンは暫し沈黙した。
「…止めておけ。後始末に一苦労だ」
 シャワーがあればいいのだが、さすがにそれまでは用意しなかった(というより、用意のしようがない)。終わった後、体を流したくても流せない。
「タオルあるだろ。いいよ、それで」
「のぼせるか湯冷めか、どっちかになるぞ」
 だから止めておけ。
 言われるとシャンクスは首を傾げて猫のように伸び上がり、男の口の端に口付けた。
「何もしないままお前と裸でいるの、堪えられねェよ」
 蠱惑を孕んだ口許に、ベックマンは抗いかけたが止めて――堕ちてやることにした。
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