「起きろ!」
 シーツを捲って、ベッドに横たわる長身に向かって怒鳴る。黒髪の男は声に応えるように小さく身じろぎして薄く目を開け、己の安らかな眠りを妨害したのが誰であるかを確認すると、また目を閉じた。室温が少し涼しいと感じたのはシーツを剥がされただけでなく、シャツも着ていなかったせいかもしれない。
「起きろってば! ベックマン!」
 名を呼ばれると、五月蝿いと抗議する代わりのように緩慢に寝返りを打って、騒音から背を向ける。
 一船の副船長である彼を早朝から叩き起こせるのも、名を呼ぶことが出来るのも、了承を取らず部屋に入ることが出来るのも――この件に関しては何度ベックマンが叱っても治らないだけなのだが――赤髪海賊団ではただひとりだけ。
 船長のシャンクスだけだ。
「起きろよ! 朝だぞ?!」
 ベッドの上に乗り上げ、男の脇腹に跨る。乗られた衝撃に小さくうめいたベックマンに顔を寄せると、言葉一つ一つを区切りながら「お・き・ろ!」と命令する。だが成果はあげられなかった。
「…朝っぱらから元気そうだな…」
 不明瞭な声音は掠れており、何やら色っぽい。だが本人が意識しての事ではない。
 寝足りずに珍しく回転が鈍い頭で考える。
 どうやら昨晩の分では、シャンクスは満足しなかったらしい。朝っぱらからこれだけ元気が有り余っているということは、恐らくそうなのだろう。
 ベックマンとて事足りて眠りに就いたわけではない。しかしどうしようもなく疲れていて、どうしようもなく体が睡眠を求めていた。性欲と睡眠、二つの本能の狭間にあって、ことさら足りない方を体が選択したとして――誰がそれを責められようか?
 それでもしつこく誘いをかけるシャンクスに負けて、一度か二度はしたような覚えはあるのだが、勃つものが勃ったかどうかも覚えていない。――そんなことは今はどうでもいい。思考を放棄するほど、今のベックマンは安らかな眠りを求めていた。
「おう! 気持ちイイ天気だぞ?」
「結構なことだ…」
 俺は眠い、と口の中でもごもご言ったかと思うと、枕を抱えて本格的な睡眠態勢に入った。シャンクスは少々の腹立ちを覚えて枕を取り上げようとしたが、存外強い力がそれを阻んだ。
「俺…今日は…、遅番…」
 それだけ言ったかと思うと、数秒後には沈黙しか返ってこない。どうやら寝息も立てずに寝入ってしまったらしい。
「……ンの、馬鹿…」
 不満げに呟いたかと思うと、無理に起こそうとした考えを改め、枕を抱いたベックマンの腕を持ち上げる。もぞもぞと自分の体もベッドに横たえて、持ち上げた腕を自分の背に回し、自分の腕は男の背に回して抱きついた。首の据わりがいい場所を探して落ち着くと、小さく笑って男の体の中で一番柔らかいと思われる唇へ口付けた。
 目が覚めた時に腕が痺れたと言って叱られるかもしれないと思ったが、先のことは今考えないようにしようと思い直す。
(きっと、ここが船の上じゃなくて宿だってことも、覚えてねェのかもしれねェなァ…遅番とか言ってたし)
 なんだか可笑しい、と吐息だけで笑って目の前の胸板に口付け、軽く歯を立てて吸い付いた。薄ら桜の花弁形に痕が付いたのに満足し、ゆっくり目を閉じた。
 たまには甘やかすのもいいかもしれない。あくまでたまには、だが。


 目を開けた時、見慣れた深海色の瞳が己をジッと見つめているのに、ベックマンは軽く驚いた。英邁な副船長として鳴らす彼が、しばしの間、現状すら把握できなかったほどだ。
「…おはよ」
 シャンクスの一言目は、よほど鈍くなければ明らかにわかる程度に不機嫌だった。
「…おはよう」
 体の温もりが心地いい。無意識に、彼の腰に回っていた手で抱き寄せる。動かした左腕が痺れているのに気付き、軽く手首を振った。
 女のようにすっぽりと、とはいかないまでも、なんとか胸に収まり、シャンクスはベックマンの背に回した手で、爪を立てる。少し力をこめてやると、何か気付いたらしい。
「……どうした?」
 赤い髪に口付け、力の抜けた左手で髪を梳くように後ろ頭を撫でる。瞬間、彼の体が小さく揺れた、ように感じたが、一瞬のことだったのと寝起きで気が抜けていたのとで、気を留めることはなかった。シャンクスは一言目以降、ずっと無言だ。
 猫の体を撫でるように、何度も頭を撫でる。頭頂から、首筋までを何度も。
 この間、ベックマンはかなり無心だった。条件反射で撫でていたと言っても過言ではない。
「……オマエなあ…ッ!」
 暫くして、シャンクスが震えながら顔を上げた。背に立てた爪は、より深くを抉る。ほんのり朱に染まった頬は怒っているためなのだろうかと思ったが、違っていた。頭を撫でていたベックマンの手を振り払い、乱暴に自分の頭を掻く。丁度、ベックマンが撫でていたあたりを。
「変なトコ、変な触り方すんな!」
「…頭を撫でていただけだろう?」
 涙目になってまで抗議することだろうか?疑問に思ったが、シャンクスにとってはそれほどのことだったようだ。
「オレが変なトコって言ったら変なトコなんだよッ! 変な触り方って言ったら変な触り方ッ!」
「………」
 ベックマンの腕から逃れて、ベッドの隅、部屋の角で威嚇するように睨みながら頭を両手でさすっている。その姿を見て、ピンと閃くものがあった。
(……なるほど)
 思いついたことがあり、ベックマンはシャンクスの腕を取ったかと思うと、先程と同じように己より幾分細い体を胸の中に収めた。
「何すんだっ!」
 暴れようとするシャンクスを正面から抱きすくめ、今度は艶を込めて撫でる。シャンクスの背を、何かが駆け抜けた。男の背に回された腕で男の肩を掴み、逞しい体を引き剥がそうとする。
「どうした?」
「変な触り方、すんなって言っただろ!」
「ただ撫でてるだけだろう?」
 しゃあしゃあと言って口の端で笑い、左手で頭を撫でつつ右手でシャツの上から腰を撫でた。
 抵抗するのは男を楽しませるだけだと、シャンクスは彼らしくなく暫くじっと我慢をしていたが、どうにも我慢が出来ない。もともとし慣れない我慢をしようとする方が間違っているのだが、ある種の衝動に弱くなったのは、何もシャンクス自身のせいばかりではない。
 これ以上は我慢出来ないという頃になって、まるで見計らったように――実際見計らっていたのかもしれないが――ベックマンが口付けを仕掛けてきた。腰のあたりに擡げてきた衝動を逃がそうと男が仕掛けた口付けに応えるが、それはかえって衝動を昴めるだけの行為になってしまう。
 息継ぎも上手くいかず、苦しげに声を漏らして背を引っ掻き、ようやく唇を解放される。酸素を求めて喘ぎながら、楽しげに口許だけ笑ませている男を睨んだ。
「てめ…誘うならもっとわかりやすく誘え!」
 わかりやすい言葉でシャンクスが言うと、ベックマンは喉を鳴らして笑った。
「アンタがそんな所で感じるなんて知らなかったもんでね」
 教えてくれてたらもっとわかりやすく誘ったのに、と耳元で低く囁く声に顔を背ける。
「…オレも、さっき知ったんだよッ」
 忌々しげに小さく呟いた言葉にまた笑いながら、ベックマンはシャンクスの体に指を這わせた。昨日し足りなかった分を、これからチャラに出来るといいなと頭の隅で思考しながら。
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