Gungnir

 船は今、グランドラインの予測不可能で気紛れな嵐の真っ只中にあった。
 ただの嵐ならばいざしらず、老練した船員でもこんな嵐は人生で何度も遭わないだろうというくらいの激しさに突然襲われ、船はにわかに混乱したが、どんな状況でもたじろがない船長と副船長によりすぐに統率を取り戻した。
「帆は全部たため! 錨も下ろしとけ! 砲台はキッチリ全部閉じておけよ!」
 右へ左へ前へ後ろへ大きく傾ぐ船に投げ出されぬよう、バランスをとりながら船のあちこちに散らばっている船員達に大声で指示を飛ばし続ける。
 黒い高波が船体を打ち付け、また右へ大きく揺さぶる。降る雨は弾丸のように彼らの皮膚に叩き付けた。
「お頭ァッ、フォアマストは作業終了!」
「よし! 無理に下りてくるなよ! しっかりつかまってろ! メインとミズンはどうした?!」
「メインはじきに終わります! ミズンはトップスルが手間取ってます!」
「慌てなくてもいいが、急げよ!」
 空の色をそのまま映した海は、どこまでも闇色。底もなく果てもなく、赤髪海賊団はただ一隻、その海に呑まれまいと抵抗していた。海で死ぬのは海に生き、生かされている男達には本望であったが、海賊としての本懐を遂げぬまま命を海へ還すのは彼らの望むところではない。
 しかしどれだけ抗おうとも甲板にまで押し寄せる高波は悪魔のようで、ならば波に翻弄されるこの船は獲物なのだろうか。神に見捨てられ、悪魔に食われるが宿命か――?
 誰かが吐いた神へと向けられた怨咀の言葉が、シャンクスの耳に届いた。薄く鼻で笑う。
 ――神がオレ達を見捨てた?…それもいいさ。何もしねェ、いるかどうかもわからねェ存在に助けてもらおうなんざ思っちゃいねェ。
 最上後甲板で指揮を取るあの男は、別の考えかもしれないが。思ってまた笑った。凶悪な笑みは雨を含んだ暴風に飛ばされる紅い髪に隠されて誰にも見えない。
 腹筋を使って船員のすべてに聞こえろとばかりにひときわ大きな声を使う。空の高い処を睨んで不敵に微笑んだ。まるで敵船と対峙する時のように。
「テメエら!」
 響く声に何事かと船員が船長を振り返る。
「神なんてのは、オレ達がやらかすことを見てるだけだ。どうせ見るなら面白い方を見たいに決まってる。じゃあオレ達がこの先やらかすことを見てェと思ってるに違いねェ! 大方、今頃どこの神がオレ達を助けるかでモメてるのさ。
 ふんばって根性見せろテメエら!」
 後で思えばムチャクチャな言葉だったに違いない。が、この時は船員の萎えかけた気持ちを奮い立たせるに充分な力を持っていた。鬨の声のような雄叫びが、嵐の中響き渡る。
 自分らを弄ぶ大海原を、たやすく人の覚悟の前に立ちはだかりやがってと笑い飛ばす。

 海よ波よ。悪魔のような高波でもって牙を剥き、襲ってくるのもいいだろう。
 たとえどの神がこの船を助けなくても、オレ達は助かってみせる。オレが乗り切ってみせる。どんなものにも勝ってみせる。



 雲から射した一条の光が、神の槍のように狂った海を刺して征したのは、それから10分後のことだった。
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