息苦しさに目を覚ますと、目の前に黒い髪が見えて軽く焦った。そうして意識がハッキリすると、ベックマンが自分の上に覆い被さるように寝ているのだと理解した。
「お、も…ぃ」
何しろ百キロ近い重さが、全部自分にかかっているのだ。人の重みとはいえ、重いものは重い。
(…どかすと、起きるよなァ…)
起きようと起きなかろうと別に構わないのだが、ぐっすり寝込んでいるのがわかる深い寝息を聞くのは本当に久しぶりの事で、だから起こすのは憚られた。
右腕だけをなんとか自由にして、寝る前は括っていたはずのベックマンの黒髪へと指を差し入れた。一房を手に取り、鼻先へと持ってくる。潮風と太陽に少なからず痛んだ髪は、潮ときつい煙草の匂いが染み付いている。煙草の匂いは独特で、体臭と相まってすっかりこの男の匂いだ。
窓から差し込む日の光はまだ暗く、星の光すら見える。朝晩の仲間が起き出すのも、まだ間があるだろう。
もう一度眠る気にもならず、小さく鼻歌を歌って男の冷えた肩や腕、背を掌で撫でる。指先にたまに引っ掛かるのは戦闘で負った怪我の痕。ベックマンのようにいちいち何で負った傷かは覚えていないが、よくもまあこんなに怪我を負ったものだと感心してしまう。
肩口の傷が目に入り、何とはなしに舌を這わせる。当り前だが、血の味はしない。
(…およ?)
舌に当たるざりざりした感触が面白い。
調子に乗って数度舐めると、そっとベックマンを伺い、まだ起きていない事を確認してからついでのように首筋や耳も舐めてみる。小さく呻いたようだったが、起きる気配はない。
案外起きないものだと感心して横顔に口付けると、ベックマンの手がシャンクスの脇腹を撫でた。不意を突かれて思わず間抜けた声を発してしまう。慌てて口をつぐんで様子を窺うが、起きている気配はない。無意識なのだろうか?
「…うーん…」
起きている、ような気がする。…もしかしたら、寝ぼけているのかもしれない(考えにくいことではあるけれども)。
本格的に起こすにはどうすればいいだろうか。
くすぐる?
いや、この男にそれは通じないのはわかっている。
大声を出す?
鼓膜が破れたら大事になるだろう。
髪の毛を引っ張ってやろうか?
…滅茶苦茶怒られそうな気がするから止めておこう。
体の表面を服の上から触りながら数秒ほど考えを巡らせた結果、キスしてみることにした。息苦しければ起きるだろうという、割合単純な発想による。
顔だけをこちらに向かせ、軽く口付けるだけではツマラナイのでいっそディープにすることにした。起きたら起きたで、それは構わない。
唇をゆっくり触れ合わせ、啄み、舌で唇の内側をなぞり、歯列を辿って歯を開かせ、舌を突付いてみる。が、反応は何も返ってこない。
薄目を開けてベックマンの目が閉ざされたままなのを確認するとまた目を閉じ、横たわる舌に舌を絡め、口内を弄り、遊ぶように貪る。
体重を支えているのは一本きりになった右腕だ。暫く遊んでいると疲れてきたので上体を起こそうとして、体を拘束され、思い切りベックマンの上に倒れこんでしまった。俄かに状況を判断できないでいると、口を塞がれて生暖かくて柔らかい、ぬめったものが侵入してくる。舌だ、と理解する前にそれに喰らいついた。
呼吸ごと舌を吸われ、噛まれ、思考が鈍くなる。ベックマンに伸しかかっていた体が、いつの間にか組み敷かれる態勢になっていたが、一体いつ体を反転されたのか全くわからない。
ようやく唇を解放され、暫く海に潜った後で海面に出てきた時のように肩で息をすると、ベックマンは体を起こして笑った。
「朝っぱらから熱烈な挨拶だったな」
「お、まえ…いつから起きてた?!」
「どうせそろそろ起きる時間だったが、何度も体を触られてたら起きるだろう?」
「ってことは…」
少なくともキスしている間は起きている事になる。それに気付き、シャンクスは派手に顔をしかめた。
「…なんだよ! それじゃ、オレが阿呆みたいじゃねェか!」
反応くらい返せと喰いかかると、ベックマンは笑いを殺さず煙草の灰を落とした。
「そんなことはねェさ。俺が我慢するのにどれだけ苦労したと思う?」
「知るか馬鹿」
我慢なんかせずに、さっさと返せばいいんだよ。
肩を蹴飛ばしてくる足を捕まえて、その指先へ口付ける。
「そりゃあ悪かった」
「…くすぐってェよ」
「感じねェか?」
「舐めんな!」
反対の脚で同じように蹴りかかれば、そちらの脚も掴まれてバランスを崩し、シーツの海にひっくり返る。抗議の声はあがらず、「わぁっ」と間抜けた声と笑い声があがった。赤の髪がシーツに散らばり、髪の隙間から南国の海を思わせる蒼の双眸が楽しげにベックマンを見上げる。
「何?」
「別に?」
同じく楽しげにシャンクスを見下ろして、唇を脚の先から足首、脛、膝の裏と滑らせていく。
右腕だけで上半身を僅かに起こしてヘッドボードに預けると、両脚を掴んだままの男の頬へ掌を当てる。
「子供の遊びじゃねェんだぞ?」
「そりゃあ失礼」
「ほら…」
右腕を広げると、それに応じてベックマンがシャンクスの体を抱きしめる。
「…仕切りなおしだ」