「副船長ッ聞いてよっ」
バタバタバタッと、フーシャ村唯一の酒場に7歳ほどの少年が駆け込んできた。
副船長、と呼ばれた現時点でこの酒場でただひとりの客である俺は、驚いて入り口を振り返った。右手にはいつもの煙草が細長く煙を立ち上らせている。
「…ルフィ。どうした? お頭は? 一緒じゃねェのか?」
今日はお頭と一緒に外で遊ぶ、とかいう約束を、昨日していたと記憶している。
久しぶりの帰港だったから、ルフィがはしゃぎまくってお頭にまとわりついていたのを見ていた。…少し羨ましく思いながら。
ルフィは約束通り昼少し前に船にやってきて、この酒場に寄ってマキノさんから弁当を貰って。ふたり仲良く出て行ったのは2・3時間ほど前のことだ。
その時は手を繋いで楽しそうに出て行ったと思ったが…
「知らないよシャンクスなんてさっ! もォどーでもイイんだッ!!」
膨れッ面ですぐ傍にまでやってくる。
この数時間で状況が変わったらしい。怒りながら俺の目の前にまでやってきた。
腕をちょっと伸ばせば届く距離。
…あとちょっとで触れる距離。
「…何があったんだ?」
つい手が出そうになるのをおさえて、平静を装って煙草の灰を落とす。
「さっきさ、虹が出てたんだ。知ってる?」
「虹?…ああ、にわか雨が降ったからな…。俺は見てないが…ルフィはお頭と見てたんだろう?」
「そう。でさぁ、肩に乗っけてもらったんだ」
「肩に? なんでだ?」
「その方が虹が近いだろ?」
「…なるほど」
肩車をされたくらいで虹には届かないが、お頭に肩車されればいつもよりは高いところで虹が見られる。それはいつもより虹に近いところ。理屈はともかくとして、つまりはそういうことなんだろう。
子供らしい発想についつい顔がほころぶ。
昔同じようなことをお頭が俺にねだったことは、このさい内緒にしておく。
「よかったじゃねェか?」
今ルフィの頭を撫でるのは不自然じゃねェよな?
なんて思いながら、手を伸ばして小さい頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
…ちょっと幸せかもしれない。…なんて、らしくないことを思ってしまう。
子供といるとこんなものなのか?…いや、同じ子供でもエースはまた少し違う気がするが。
…おっと、ルフィがわめきだした。
「よくない!!! シャンクスってば、おれをすぐに落とそうとするんだ!! おれは虹が見たいだけなのに!」
「…それは…」
…お頭、遊んでるな…。
アノヒトはそういう大人気無いことをやるのが大好きだからな…すまんな、ルフィ。
苦笑混じりに詫びながら、小さな頭をなでてやる。そうすると嬉しそうに、ニッコリと笑う。…どうせ見るならこういう笑顔の方がいいと思うんだがな、お頭よ。
……おや?
…………何をしてるんだ、ルフィ?
俺の膝になんか、登ってきたりして。
………………座るのか?……俺の、膝に?
それは……少し、マズイ。
いや、少しどころじゃないか。
大いにマズイ。
そりゃあ、俺的には嬉しいんだが…
こんな所をお頭に見られたりなんかしたら、それはもう最高にマズイ。
おまけにそんな、カワイイ笑顔なんかされた日には、血を見るかもしれない。
ああ、でも…かわいいな、ルフィ。
「へへっ♪ 副船長はシャンクスみたいに意地悪しないから好きだ♪」
………………。
………………。
………………。
………………。
……お頭、いねェよな?
思わず入り口に気を配る。
やばいやばい。
今のルフィのセリフを聞かれた日には…絶対血を見るな。…フゥ。
…でも、この笑顔と言葉を独占できたのは、…イイな。
短くなった煙草をもみ消して、新たな煙草に火をつける。
………ちょっと、いや…かなり、幸せ、かもしれねェ。
「あら、仲がいいんですね」
マキノさん。
……今一瞬だけ焦りました。
急に現れられると驚くもんだな。気配、感じなかったぞ。
「おう、マキノ! おれと副船長は仲良しだ! な、副船長♪」
「ふふふ、ルフィったら…。今日は船長さんと一緒じゃなかったの?」
船長さん、の言葉に、またすぐに膨れッ面になるルフィ。
ああ、お頭。
あんたの気持ちもわかるぜ。
膨れてるルフィもカワイイもんな?
見たくなる気持ちはわかる。
…でもだからって無理矢理見るのは大人気ないと思うが、ね。
「シャンクスなんて知らないね! おれは今日は副船長とご飯食べるんだ!」
「ルフィ…あなた、2時間前にお昼食べたばかりじゃないの?」
「ん、食べた! マキノの弁当、うまかったぞv でももうお腹空いた」
「良く食べるわね…いいわ、お菓子なら作ってあげる」
「やった!」
にしししし、と笑うルフィ。
…やっぱりルフィは笑ってる方がいい。
…………だが、あまり膝の上で暴れないで欲しい…色々な意味で。
「副船長さんは、何か食べますか?」
「そうだな、俺は…」
コーヒーだけ、と言おうとして。
ふたつの絶叫に遮られた。
……これはもしかして…?
とてつもなく嫌な予感。
すると振り返るよりも早く、
「「ルフィッ! なんで副船長に座ってるんだ?!」」
ふたり同時の声。
「シャンクス? エース!」
驚いたルフィが彼らの名を呼ぶ。
……しまった…。油断して、入り口の気配に気を配るのを忘れていた。
だが、時すでに遅し。
お頭とエース、ふたりに詰め寄られる。
「ルフィ! オレと座るのは嫌がるくせに、なんで副船長には座るんだ?!」
「ルフィッ、そこはおれの席だぞ! だからってコイツに座る必要もないけど!」
「なんだと、エース?!」
「うっせェ、このエロオヤジ!」
「なんだと!? オレはまだオヤジって年じゃねェ!ぴちぴちの20代だ!」
「じゃ、エロってことは認めるんだな?!」
「それは人並だ!」
「威張ることじゃねェだろ!」
目の前で繰り広げられるにわか漫才に、ルフィは目を白黒させている。
おびえてるわけではなく、ふたりの迫力に圧倒されて俺にしがみついてくる。
嬉しいんだが…現時点でその行動をされると、少なくとも約1名に対しては激しく逆効果…。
「副ッルフィを放せッ! てゆーかルフィ、こっちにこい!」
「やーだね! 誰がシャンクスのとこなんかに行くもんか! おれは副船長といるんだ!」
ぷいっと顔をそむけて、俺の胸に抱きつく。
…困った。
空いてる左手のやり場がない。
まさかルフィを抱きしめるわけにもいかないからな…お頭の前で。
困惑してる俺の左腕に、今度はエースが、
「ルフィ、仕方ねぇからそこに座っててもいいぜ。おれが許す。やっぱりシャンクスより副船長のがいいよなー? 優しくってイイ男だもんな!」
と、抱きついてくる。エースの言葉にルフィも大きく頷いた。
「なー!」
「ぬぅ…ッ」
ギリギリギリギリギリギリギリギリと歯軋りして。
視線で射殺さんばかりの勢いで俺を睨みつけてくる。
…子供がいる前でその目はまずいだろ、お頭。いっそう怯えさせるだけだぜ?
…俺にとってみれば、あんたのそんな顔もカワイイもんだけどな。
こんな険悪な空気に割って入ってきたのはマキノさんだった。
「おやつできましたよ。みなさん食べるでしょう?」
右手の皿にはたくさんのドーナツ。……いつのまに作っていたんだろう?
マキノさんの作る揚げドーナツはあまり甘くないから、俺でもひとつふたつは食べられる。コーヒーと一緒に食べるのがけっこう気に入っている…なんて、今はそんなこと言っている場合じゃないか。
だが俺の思いに反して、
「お〜〜っマキノのドーナツだ〜〜〜v」
「おれ、マキノのドーナツ大好き♪」
意識がいっせいに食べ物の方に集中した。……なんて単純なんだ。
ルフィやエースはともかく、
「マキノさん、オレも食べていい??」
…お頭、あんた一応オトナだろう…。
「もちろんですよ、船長さん」
ルフィと同じように目を輝かせてるお頭に、マキノさんは優しく笑って返す。
…お頭、そういやマキノさんにも弱かったな…。
ドーナツを頬張るルフィに、こっそり耳打ちする。…もちろん、お頭がマキノさんに気をとられてる隙に、だ。
「なあルフィ…なんでお頭の膝は嫌なんだ?」
「肩車と一緒! シャンクスすぐおれを落とそうとしたり、なんかしようとしたりするんだもん」
「…なるほど」
納得。
お頭のソレは…やっぱり、アレだろうか?
”好きな子ほどいじめたくなる”
…だろうな、やっぱり。……コドモと同じだな、まったく。
なんてひとりで納得していると、
「副船長、さっきから食ってねェじゃんか」
エースに唐突に指摘される。
皿の上のドーナツは、気付けばもうあと2・3個しか残っていなかった。
「なにッ?! 副、まさかマキノさんが作ってくれたドーナツが口に合わねェとか言うんじゃねェだろうな?! 口の方を合わせろ!」
ムチャクチャ言うお頭をよそに、カウンター越しにマキノさんが心配そうな顔で、
「あら…甘かったですか? 副船長さん」
と聞いてくれる。彼女は俺が甘いものが苦手だということを知っているらしい。多分酔っ払ったお頭が話したんだろう。
ともあれ、誤解なのですぐに否定しておく。
「いや…そんなことはない」
甘さ控えめでとてもオイシイと思ってる。
そう告げると、ルフィが自分の食べかけたドーナツを俺の目の前に突き出した。
「じゃ、おれの分やるよ、副船長」
はい口開けて、なんて言われて。
……黙ってる人がいるわけがない。
「ルフィッ!!!!」
…案の定、騒ぎ出した。
自分の口を大きく開けて指差して見せて、
「オレッオレにもッ!!! 食べさせてくれ、ドーナツっ!」
………あんた、いくつだ。
心底からの溜息を、子供の前で吐いちまったじゃねェか。
口を大きく開けてドーナツを待つお頭に、ルフィはベェッと舌を出した。
「シャンクスにはあげないよ〜だ! いっぱい食べてたじゃないか。コレは副船長にあげるの!」
……………怖い怖い。
”赤髪”の眼が怖い怖い。
刺さってます刺さってます。
―――てゆーかお頭、大人気ないぞ……まあ、あんたにそんなもんがあるとは思っちゃいなかったが…。
…せめてこういう時くらいは体裁つくろうくらいのことをしてほしいもんだ…仮にも海賊団の頭なんだから。
「はい、副船長。食べて?」
エンジェルスマイルされて。
……お頭がかなり怖かったが、食べないことには収集がつかない、よな? この笑顔に逆らえるヤツはいねぇ、よな?
自分に言い訳しながら、ルフィが差し出すドーナツをひとくち、食いつく。
…いつもよりおいしい、気がする。
なんて…現金か?
「おいしい?」
「ああ、おいしい」
「だって! よかったな、マキノ!」
にしし、と笑うルフィの隣で、今度はエースまで俺にドーナツを差し出してくる。
「副船長、おれもあげる! 食べてくれ♪」
「あら、副船長さんたら人気ですね」
ああ、マキノさん…そんな優しく笑いながらお頭にトドメを刺すのはやめてあげてくれ…。
「副船長はシャンクスなんかと違って優しいから大好きだ!」
「そうそう! オトナだしな! かっこいいんだ。シャンクスなんかとは違って!」
…子供たち。
お頭に何か恨みでもあるのか?(…エースはあるかもしれないな)
これ以上言わないでやってくれ。
…………そんなこと言われて嬉しくないわけはないんだけどな?
後が大変なのは俺なんだ。
ホラ…ふたつ離れた向こうの席で、お頭が見るも無残な落ち込み方をしている。
そして――ああ…今は左を向けない。
すごい気が俺に向けられているのがわかる。
これは…機嫌を直すのにえらく時間がかかりそうだ。
…明日にはどうせルフィと遊んでいるんだろうけれど。
それまでの間、苦労するのは絶対俺だな……
エースが差し出したドーナツをカジリながら、これからの傾向と対策に頭を悩ませる。
…まあ、なんだかんだ言っても、好きな人に囲まれてるこの時間が好きだからな。
その見返りが大きすぎるだけか…
溜息が紫煙とともに流れて大気に溶けた。
束の間の陸。
束の間の休息。
そして――束の間の平和(?)。
これらすべて、愛しきもの。