ノックもなくシャンクスが部屋に入ってくるのはいつもの事。気にせず日誌を今日の出来事で埋めていく。
足音は背後でぴたりと止まる。いつもならすぐに抱きついてくるところだが、黙ったまま背後に立ち尽くしているらしい。作業を邪魔してくるのはそれはそれで迷惑だが、何もせずにただ背後に立たれてるだけというのも気になって仕方ない。
「…どうした?」
キリのいい所まで書き上げるとペンを置いて振り返る。その顔色は常になく色を失っていた。彼らしくないのはそれだけではない。
「悪ィんだけどよ…こっちで寝てもいいか」
「…………」
「…何」
「いや…」
いつもそんな事を聞きもせずにベッドに潜り込んでくるくせに、どういう風の吹き回しだ?
口には出さず、色のない頬に手を伸ばして撫でる。やはり、冷たい。
「…具合でも悪いのか?」
「まァ…そんなようなモンだ」
歯切れの悪い答えも、らしくない。額に触れてみたが、熱があるわけではなさそうだ。
「ドクトルに診てもらった方がよくねぇか?」
「病気ってわけじゃねェから。一晩寝りゃいつもどおりだ」
「だが」
「くどい。大丈夫だって言ってるだろ?」
それより聞いたことに答えろよ、と言われて顔をしかめる。
「そりゃ…かまわないが」
「さんきゅ」
幽かに微笑する。その笑みがあまりに痛々しくて…離れようとした体を、たまらず抱きしめて引き止めた。
「なんだよ…どうかしたか?」
「どうかしたのは、あんたの方だろう…」
「…………」
回した腕に、シャンクスが手を重ねてくる。その冷たさに驚いた。包み込むように、体温を分かつように握ってやる。
頭の奥の方が、何故だかチリチリと痛んだ。何かと重なりそうで、重ならない。
そんなもどかしさは…以前にも、あった。
なんだっただろう。
既視感のような焦燥。その正体を知っているのに、思い出せない。
失くした記憶は、自分の予想以上に大きいのかもしれない。
「…なぁ」
上向いて、掠れた声で。そうしてベンの胸に甘えるようにもたれて。
「眠る時も…こうやって、くれよ」
抱きしめて。
手を繋いで。
子供みたいだけど、とシャンクスは苦く笑う。
「オマエがそうやってくれっと、安心するんだ…」
「…悪い夢でも見たのか?」
「…ん。まぁ…そんなようなモンだ…」
腕の中でくるりと回って、ベンに向き直る。「それ」と言って、机の上の日誌を指差した。
「まだ書き終わってないんだろ?終わらせてからでいいから。オレは先に寝てるから…約束、忘れんなよ」
「ああ…」
「早く書いちまえよ」
もともとはダレが書くモンだ?と苦笑したが、今そんな事は本当に些末で。シャンクスが白い顔をしている事の方がよほど重大だった。
腕を解いて椅子に座りなおし、机に向かったが、気になって仕方ない。
後ろではベッドにもぐりこんだシャンクスが大人しくしている。シャンクスは寝つきがいい方だったが、今日は多分、自分がベッドに入るまで眠らない…いや、眠れないだろう、とベンは確信した。根拠はない。いや、あるような気がするのだが、うまく説明できない。
それは言葉にしようとする時だけでなく、考えようとした時にさえモヤモヤとしていて、まるで掴み所がない。記憶を取り戻したとはいえ、まだまだ失った部分の方が大きい、という事だろうか。特にシャンクス絡みに関してその傾向が強いということが、いっそう苛立ちを増させる。
早く書き上げてベッドに入ろう。思えば思うほど、書くべきことがまとまらない。
イライラしながら、それから10分もかかってようやく書き上げる。たかが業務日誌の数行に、だ。
明かりを消してブーツを脱いでベッドに入ると、クッションを抱えたシャンクスが震えているのがわかった。
抱きしめてやらなければ。すぐに。
伸ばした腕はシャンクスを掴む前に掴まれた。