疾る風

 夜明け前、甲板に出て船べりに肘をついて煙草を吸う。
 肺に染みるほど吸い込み、長く息を吐く。白く見える煙が速い風に飛ばされる雲のようだなとぼんやり思いながら、煙草を吸い吐きしている間にもゆるゆると白んでいく空を眺める。ハケでサッと掃いたような薄い雲の隙間からは、明けていく時間に抵抗しているように輝く星と夜に取り残されたような下弦の月が張りついていた。
 甲板に出てから二本目の煙草を吸い終わる頃には東の空はいよいよ明るくなりつつあり、じきに日がその存在を主張しはじめる時刻になるのが知れた。
 陸であれば鳥や虫の鳴くやかましさも加わってやかましい日の出になっただろうが、あいにくここにあるのは船と海と空と風。音があるとするならそれは聞き慣れすぎた潮騒だけで。どこより静かな夜明けなのは間違いない。
 煙草を外でこの時間に吸うのも、ベックマンが好む時だった。
 カタン、と後方で物音がした。ややあってからペタペタと足音が近づく。誰かと問わずとも、この船の乗組員はベックマンを除けばひとりしかいない。ベックマンでないなら船長に違いなかった。
「…早ェじゃねえか、シャンクス。…?」
 名を呼ばれた方はそれに答えるでもなく、振り返りもしない男の背中に右頬を押し付けるようにし、両腕を腰に回して抱きついてきた。
「……どうした?」
 若干の戸惑いを含めてベックマンが尋ねても、シャンクスは無言だった。
 これは、甘えてると受け取っていいのだろうか。
 男に甘えてこられるのはこれが初めてではないにしろ、シャンクスに対する第一印象とはかけ離れた行動であるがゆえに、しばし悩む。―――その結果出された対応は。
「…怖い夢でも見たのか?」
 言いながら体を少しひねり、煙草を持っていない左手でシャンクスの頭をわざと子供にするようにくしゃくしゃとなでてやった。するとシャンクスはいっそう強く抱きついてくる。
 寝ボケているのかそうではないのか今いち判断がつきかねたが、こういう時の対処の常として、ベックマンは吸いかけの煙草を海へ捨て、体を完全にシャンクスに向かい合わせて、顔は見ないようにして彼の背と頭を撫でてやった。こういう時は悪夢を見たか人恋しいだけなんだったか?と胸の内で今はいない親友に問いかける。
 しばらくシャンクスの頭を撫で続けて、シャツの胸のあたりを濡らすものに気付いたが、あえて追及はせずに手を動かし続けた。
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