「よォ。そこの厳つい顔した海軍のオニーサン?」
「…何の用だ」
夜の街の客引きのような調子の声に"正義"を背負った男は振り返らなかった。振り返って相手を確かめるまでもない。相手が誰だか、わかっている。
不法侵入者は窓の外。ベランダからこちらに身を乗り出して、ひらひらと手を振っているのが鏡から見えた。
勤務明けで帰ってきたのを見計らったようなタイミング。
外部からの侵入者に対して常に警戒は怠ってはいないはずの海軍支部ではあるが、例外というのはどこにでもある。大方、このすばしこい男はどこからか自分が勤務を終えてここへ戻ってくるのを見ていたのだろう。
海賊につけられて気付かない自分の迂闊さを呪いながら、それでも彼にペースを崩されまいと、普段どおりの行動をする。ペースを崩されたら負けなのだ。
"正義"の2文字を背に刺繍したジャケットをハンガーにかけ、壁のフックにひっかける。鍛え上げられた体が、露になる。
海賊の方も海兵以上にマイペースだった。
「つれないねェ。せっかくこっちから遊びに来てやったっていうのにさ」
のんびりした声を投げてきて窓枠に手を掛けて、くるりと回転して開いた窓から室内へ入ってくる。体重を感じさせない軽い動作だった。
彼は広い帽子のつばを人差し指で軽く持ち上げると、年令不相応に人を食う笑い方をした。
まだ若い海賊の軽業に感心するでもなく、軍人は無感動に・・・いや、無感動を装って、葉巻を2本銜えた。
「海賊ってのはいつから陸で盗賊の真似事をするようになったんだ?」
価値のあるものは何もないぞ。
そう抑揚のない声で脅すように言っても、この相手には通じない。
「知ってるさ。軍にあてがわれた家だろ?でも普段はめったに帰ってこない。支部にいずっぱりだ。戻ってくるのは連休をもらったときくらいか?」
「……………」
「あんたの行動パターンはわかりやすい」
ベッドに脚を組んで座り、こちらを見る。警戒心のかけらもない態度。…見ていると何故だかイライラするから見ない。
「…わざわざそっちから捕まりに来たのか?でかい海賊団の一隊を任されているヤツの行動とも思えん。物好きだな、ポートガス」
「はっ…おれが捕まる?アンタがおれを捕まえる?そりゃあ無理だろう」
「なんだと?」
不遜な物言いに海兵としてのプライドを刺激され、そこで初めて若い海賊を振り返る。
ポートガス=D=エース。
それが海賊の名だということを、海軍大佐たるスモーカーは知っていた。賞金首であるということも勿論知っている。
追い掛けるのは海軍。
逃げるのは海賊。
捕えて海の安定を確保するのが自分の仕事。
「…今この場でひっ捕らえてやろうか」
威嚇をこめて睨む。が、自分より何歳も年下の海賊はどこ吹く風で、
「…アンタにゃおれを捕まえることなんてできねェよ、スモーカー」
憎らしげに笑う。
「…試してみるか?」
「よせよ。試すだけ無駄さ。アンタの能力とおれの能力は似てるからな…いいとこ互角にやれても、おれをノすのは無理だ」
いつも持ってる十手だって、アンタにとっては両刃だろう?
口の端だけで笑う男を、ただ睨む。
たしかに。
敵対する相手と実力が均衡していた場合、十手を持っていることは必ずしもプラスになるとは限らない。場合によってはマイナスになるかもしれない。たとえば、敵に十手を奪われた場合など、だ。
忌ま忌ましげに葉巻に火を付ける。
「…何しに来たんだ。てめえは」
「言ったろ?"遊びに来てやった"んだってな。遊ぼうぜ、スモーカー」
「戯言を…」
「かもな。でも今が愉しけりゃイイ。そーゆーもんじゃねェ?」
「俺は海兵だ。海賊とは違う」
「海軍にゃ海賊が必要なのさ。でなけりゃ商売あがったりだろ?」
ニヤリと笑って立ち上がり、近寄ってきて葉巻を取り上げ、手の中で燃やし尽くす。灰がはらはらと散った。
海賊の存外に筋肉のついた腕が首に回る。
「……何の真似だ?」
「言ったろ?人の話は聞けよ。ア・ソ・ビ♪…付き合えよ。どうせ暇だろ?」
新緑よりも生き生きとした深い碧の眼が、斜めに見上げてくる。猫科の動物にも似たひかり。捉われる前に、先に目を反らした。
「…付き合っていられるか」
「そうつれないこと言うなって…以前のだって、まんざら悪くなかっただろ?」
くすくすくすくす。
無邪気を装って笑う海賊に「そんなことはない」と言えばよかったのだろうが、嘘をつくにはスモーカーは根が正直すぎ、海賊はこの海兵の心を衝くのが巧かった。
スモーカーの剥き出しの胸にもたれるように額を軽くつける。
タチが悪い。
痛いところを突かれて黙るスモーカーに、若い海賊はさらに言う。
「アンタ恋人もいねェだろ?かといって好んで女買うようにゃ見えねェし?あの女曹長ともデキてるわけじゃなさそうだしさ」
「当たり前だ。あんなトロ女とデキてたまるか」
「だったらさ。おれと遊んでも問題ねェだろ?」
膝の裏を蹴って、自分より幾分も逞しいスモーカーを低いベッドに押し倒す。
身を起こすより先に、身体に乗り上げられて慌てる。
「おい…!」
「だいたいアンタは固すぎさ。もっと柔軟なアタマ持たねェと、白ひげ海賊団となんかやりあえねェぜ?」
賢しらなことを言って笑い、前宛ての上からスモーカー自身を緩く、形を探るようになぞる。それ以上触られまいとエースを押しのけようとするが、
「アンタは動かなくてもいいんだぜ?おれが適当に気持ちよくしてやるからさ」
「冗談はよせ」
「冗談なもんか。立派に本気だぜ?」
スモーカーは自分の弱い辺りを探ろうと動く手を止めようとして、逆に止められた。もう片方の手でどかせようとすると今度は両手をいっぺんに捕まれ、抗う間もあればこそ。どこから出したのか、ベルトで手首を縛り上げられる。バックルを見ると「A」の文字。どうやら海賊本人のベルトらしい。
「おい!」
「冗談じゃねェってところを見せておこうかと思ってなァ。大丈夫、アンタもちゃーんと気持ちよくしてやるから」
ニヤリ、と口を歪ませる。楽しそうに。
「…悪趣味だな」
「どういたしまして」
「タダで済むと思っているのか」
そんな格好じゃ説得力がないぜとそのままの笑顔で冷たく言い放ち、ベルトで戒めた手首をスモーカー自身の頭の後ろへ持っていかせ、ヘッドボードに上体を預けさせる。そうして歌うように囁く。
「呪いをかけてやるよ、スモーカー」
スモーカーのジッパーを引き下ろす。観念したように抵抗しない年上の海兵を見下ろして、筋の浮いた胸に指を滑らせる。
「…いつかも聞いたな、そのセリフ」
嫌そうに、自分の身体をまさぐる男に吐きつけるように声を返す。
エースは胸筋から腹筋を辿る。玩具で遊ぶ子供のように、楽しそうに。
「…アンタに初めて会った時に言ったよな。覚えてた?」
「…………」
無言を肯定と受け取り、優しくズボンの前宛てを撫で上げる。
「覚えてたんだ?」
「…あんな縁起の悪い言葉、忘れられるか」
クスリと笑って腹筋から前宛ての上からスモーカー自身を探っていたが、やがてゆっくり中に手を差し入れ、彼自身を取り出す。
「嬉しいね…じゃあ、もう一度言ってやるよ」
片手を大佐の脇について、強面を見下ろす。
うるさそうに見返す視線に柔らかく微笑する。そうして優しい口調で、王者のように呪いの言葉を吐き出す。
「アンタは絶対゛D゛には勝てない。…絶対に」
脳に言葉を焼きつけるように。
悪魔が契約者を堕とすように。
「おれが言うんだから、効くぜ…?」
「何を根拠に…」
「根拠なんかどうでもいいさ。おれが言ってるんだから、効くモンは効くのさ」
もみこむようにスモーカー自身を握り、身体をずらして握った先を掠めるように舐める。
「…悪魔みたいだな」
「悪魔の実食ったからなァ…」
くすくすくすと笑う吐息が自身にかかってくすぐったい。
「悪魔に魅入られたんだ、アンタ…諦めろ。楽しめよ」
諦めろと言われてそう簡単に諦めきれるものでもない。
遊ぶように自分を追い詰めていく男から目をそらす。壁の時計は早い夜を指していた。夜の長さを思って溜息をつく。諦めでもあり、観念でもある。
「…腕をほどけ。ポートガス」
「ん?…ヤル気でたか?」
「…ああ」
ヤル気が出たというより、抵抗しているよりはさっさと゛遊び゛を済ませてやった方が楽だと思っただけだ。海賊の言いなりになるのはとても癪なことではあったけれども。
やや乱暴に戒めをほどかれ、手首を撫でられる。スモーカーは自分の手首をみやって痕はついてねェな、と呟いて素早くエースを押し倒す。
「おッ?…いいねェ。乗り気じゃねェか」
そうこなくちゃな、と楽しげに言って身体をまさぐり始めた男の短い髪をぐしゃぐしゃと撫でる。
「足腰立たなくなるまでヤローぜ」
「…冗談じゃねェ…」
呟いて、踊る影がひとつになる。
スモーカーが目覚めた時には、海賊の姿は部屋の何処にもなかった。
ただ、テーブルの上に胃に誘いをかける皿がいくつかと、小さなメモ片が。
゛お楽しみの代金だ゛
それだけ書かれたメモ片を葉巻をくわえながらつまみ、皿を見下ろす。
スクランブルエッグにカリカリになったベーコン、ツナを使ったサラダ。パンが置いてあるのは焼くなりそのまま食べるなり好きにしろ、ということだろうか。
「…ハッ…海賊の考えることはわからん…」
わかる必要もないか。
短く切ってある髪をバリバリと掻いて、シャワールームへのドアを開けた。
さっぱりしてから食おう。
海賊が作ったものだが、料理に罪はあるまい。
自分の考えの甘さを自覚しながら、昨夜エースが吐いた呪言を思い出してまた溜息をついた。