賭け

 昼下がりの赤髪海賊団。
 副船長室ではデスク前に座って仕事をしている黒髪の男の前で、赤髪の船長がベッドでごろごろとだらしなく転がっていた。
 次の港に着くまでの食料計算をほぼ終えつつあるベンは、船長かつ海賊団の頭領がおとなしくしている様子を珍しく思いながら、
(…そろそろ何か行動を起こす頃合だな…)
 その前に終わらせよう、とペンを急がせる。



「なあなあなあなあなあなあ」
 シャンクスがこういう風にしゃべりかけてきた時。
 それはすなわち、どうでもいいことが気になった時だ(他の人にとって、という意味だが)。
(やれやれ、始まったか…)
 ペンを置き、代わりにいつも吸っている煙草に手をのばす。
「前から思ってたんだけどさー」
「?」
「オマエって、デカいよなー」
「……?」
「デカいってゆったって、アッチじゃなくて身長な、身長」
「………」
 また何を言い出すんだこの人は、と、表情を変えずに肺を煙で満たす。
 こういうカンジでシャンクスが話しかけてきた時には真剣に応対する必要もないことを経験から知っているので、広いデスクの隅に置いていた新聞に手を伸ばす。
「いま190…いくつ?」
「206」
「206? オレと24センチ差?! デカッ!!」
 オマエ本当に人間?何食ったらそんなにデカくなれんの?など失礼な言葉をベンに浴びせるが、浴びせられた方は慣れたもので、読んでいる新聞から目も上げずに煙草を吸う。
「…あんただって別に小さかないだろう」
 24センチ差だから182センチ。
 普通に考えれば充分長身だ。充分過ぎるだろう。おかげでベッドは特注だ(普通に眠るだけではないから、というのも理由の一つ)。
 けれども船長は納得していない。
 ベッドから起き出して、座っているベンの右肩に顎を乗せる。声が、空気だけでなくシャツの下の肌も震わせる。
「そうだけどさー。…体格だって、違うし」
「…突然、どうした?」
 右手でシャンクスの頭を撫でてやる。ただし、目線は文字の上をすべったまま。
(オレは猫か犬かよ)
 ちょっとぶーたれ。でもイヤじゃない。撫でられるのは大好きだ。
「…だから、前から思ってたんだよ。口にしなかっただけで」
「じゃ、何故今になってそんなこと言い出すんだ?」
「………おまえさ。昨日、酔っ払ったオレをどうやって部屋まで運んだ?」
「…それは…」
 説明するより実際にした方が早いか。
 吸いかけの煙草を灰皿に置き、シャンクスの頭を肩からどかしてから立ち上がる。そして少しだけかがんで、彼の船長の背と膝の裏に手を添えた。と思うと、一気に抱えあげる。
 いわゆる「お姫様ダッコ」状態。
 抱えているものの重さをちっとも感じさせずに、軽々。見た目の筋肉は伊達じゃない。
 そしてシャンクスの顔をのぞきこむ。
「こういうふうに抱えたが?」
「…やっぱチカラあるよなァ…」
 すねたような、妬いているような。子供っぽい目が、ベンを見上げる。
 これは……要するに。
「…羨ましいのか?」
「………そうだよ」
 頬を膨らませて横を向く。その表情はまるっきり子供。
 思わず吹き出して笑ってしまった。
「…なに笑ってんだよ…」
 不機嫌そうにシャンクスが言う。これが笑わずにいられるか、と思いながら、口先だけの誠意は示してやる。
「すまんすまん…だがいきなりどうした?」
 今までそんなこと気にしたことあったか? と、なるべく優しい声で言ってやり、床に下ろしてやる。
「……幅も、全然違うもんな…」
「この身長で薄かったら気持ち悪いだろう。…ああ、あんたは身長の割には薄いかもしれないな」
「やっぱそう思うか?…もう少し筋肉つけようかなァ…」
「…だから、何なんだ? 何があった?」
「いや…別になにもねェけど…気になったからさ…」
 いいながら、ベンの体のあちらこちらを触っている。叩いてみたり、押してみたり、掴んでみたり…
 細く紫煙を吐き、赤髪をくしゃくしゃと撫でる。
「別にあんたに俺ほどの筋力がなくてもいいじゃねえか」
「え―――…だってさァ…やっぱ、チカラあった方がカッコよくないか?」
「チカラなんかなくたって、充分あんたはカッコイイだろう」
「…………」
 ちら、っとベンを見上げ、無言で言葉の続きを促す。
「ムダに筋肉がついてないから動きも軽くて速い。確かに薄い体を しているかもしれないが、綺麗で上質な筋肉だ。 デカい剣を振りまわしてもそれに負けることもない。身長の割に動きが速いから、攻撃の時に速さで遅れをとるってこともない。
 頭だからって、なにも一番筋力がある必要はないだろう? 力が要る時には他にいる仲間に任せればいいんだからな。 あんたはデカい顔して俺達の後ろに控えているなり…先頭切って敵を薙ぎ倒していればいいんだ」
「……そうか?」
 さっきよりは幾分、機嫌の良くなった表情でベンを見上げている。面と向かって褒められて、気をよくしたに違いなかった。
 単純なのかもしれないが、根に持つ性格じゃないのはいいことだ…と思うのは、欲目だろうか。
「あんたは今のままでいい。上を目指すのは良い事だが…それに…」
「それに?」
 短くなった煙草を灰皿に押しつけて、シャンクスに笑いかける。
「それに…あんたに今より筋肉がついたら、俺が困る」
「? なんでオマエが困るわけ?」
 首をかしげる赤髪の耳元に顔を寄せて、わざと低い声で艶っぽく。
「……抱きにくくなる」
「! バッカやろ…!!」
 拳を軽々とかわした黒髪を、不覚にも朱に染まった顔で睨みつける。
「テメエはそれしか考えてねーのかッ!」
「それも考えている、ということさ。…赤い顔で睨まれても、怖くないんだがなァ? シャンクス?」
「うっさい! シャンクス言うなッ!!」
「ハイハイ。…っとに可愛いな、あんたは…」
 喉の奥で笑う大男の背中を叩いてやる。かなり思いっきり、平手で。
「可愛いって言うんじゃねェ!!」
 そういう所が可愛いんだよ、と言おうとした言葉を寸前で飲みこむ。何度も何度も力一杯殴られていては身がもたない。
「わかったわかった…俺が悪かった」
「信憑性が薄いッ」
「…もう可愛いって言わないようにする」
「信用できん」
「じゃ、もうセックスしない」
「なんでそうなるんだよ?!」
「信憑性が高くて信頼されそうなことを言ってみただけだが? 何か不都合でも?」
 余裕綽々ってカンジで煙草をフカしてるベンをビシッと指差して。自信タップリに言い切ってやる。
「絶ッ対ェ無理!!」
「……じゃあ、賭けてみるか?」
「賭けるゥ?」
 賭けと聞いて胡散臭そうな表情をしたシャンクスに、ベンは言う。
「これから二週間、セックスなし」
「のったッ!!」
 言って、机を平手で叩く。剣呑な雰囲気に包まれているのは何故だろう。
 赤髪は片方の口端をつりあげ、斜めに黒髪を見上げる。
「たった二週間でいいのか? 楽勝だぜ?」
「じゃ、一ヶ月だな。…いいのか?」
「あったり前だ!! 男に二言はねェ!!」
 不敵な笑みを浮かべつつ、睨み合う二人。殺伐とした空気が、部屋を包んでいる。




 ただならぬ空気を発している部屋の外では、夕食の時間を知らせに来た新人が室内のただならぬ空気を感じ取って、いつドアを叩いたものかと立ちすくんでいた。
 ―――彼はその30分後にヤソップが呼びに来るまで、船長室のドアの前で固まっていたという……。
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