赤髪海賊団の総領が港に着いてから突然いなくなるのは今回が初めてではないし、珍しいことでもない。
だが出港するとおのれが決めた時刻に姿を見せないのは、天候の悪い日を除けば稀なことだった。
――――というわけで、海賊団のNo.2たるベン・ベックマンはNo.1たるシャンクスを探して東奔西走している。副船長がわざわざ自分の脚で船長を探さなくてもよさそうなものだが(船長がいなくて副船長までいなくなったら何のための副船長だかわからなくなる)、
「下っ端数十人さいてお頭探しに行かせるより、副船長ひとりで探しに行った方が断然早い」
というのが船員全員の統一見解であり、本人もまたそれを自覚していたための結果である。
(今度はどこにいるのやら…)
軽い溜息を吐いて大股に早足。走る必要はない。だいたいこんなデカイ男が混んだ市場を走っていたら、そっちの方が邪魔だろう。
感覚を砥ぎ澄ませて…六感までも駆使して。
―――ふと、以前のことを思い出した。
以前に、出港と決めた時間に戻らなかった時のことを。
いつだったか、南極の方に行った時にはペンギンを追いかけて戻ってこなかったし(その時もベンが探しに行った)、いつかの港町では公園で老人と何やら話しこんでいて時間を忘れていた(その時は探しに行こうとした時に帰って来た)。その他にも「子猫に遊ばれてた」とかいう理由で泥だらけで帰ってきたこともあったし、「からまれた」と涼しい顔をして帰ってきたこともあった。
かと思えば喧嘩の代理をしていたり賞金稼ぎとやりあっていたり。
利き腕を失くしてもあの人の――シャンクスの剣技がその辺の連中に遅れをとるなんて考えられない。もともと両利きだったのだし、まぁ相手が鷹の目あたりでないかぎり、心配は無用だろう。
(……暗くなってきたな…)
黄昏時。
日はまだ地上を照らしてはいるが、星辰に譲るのも時間の問題。
船を出てからたいした時間は経っていないが……
(…入れ違った可能性も、なきにしもあらず、か…?)
一度戻ってみようかと夕陽の方を振り返って…ふと。
思い出したことがあった。
(…当たっているかどうかはわからんが…)
思いついたら即実行。どうせ他に心当たりもないことだし。
自分の近くを歩いていた人をつかまえ、即質問。
三人目でようやく満足いく回答を得られると、礼を言ってすぐにそこへ向かう。ただし、あくまで早歩きで。
理由のない確信だけが、ベンをそこへ向かわせていた。
――――やっと、見つけた。
姿を消していた船長の、見なれた後姿を発見してほっと息をつく。そして自分の勘が当たっていたことに満足する。
彼は丘のイチバン見晴らしのいい岩の上に座って、海に沈む日を眺めているようだった。
「お頭」
声をかけると、意外そうな顔と声が返ってきた。
「…おまえかぁ…」
お頭なんて言うから誰かと思った、と笑う。
二人きりの時は名前で呼び合う、という暗黙の了解があるのだ。が、ベンもそれは理解していてあえて「お頭」と呼びかけたのだった。
「よくわかったな?」
ベンにまた背を向けて、景色を眺める。ベンは岩の脇に立って煙草をふかす。
「あんた…前に言ってただろ。『こんなキレイな夕陽は港が見渡せる丘にでも登って見てみたいもんだな』って」
「言ったけど…よく覚えてたなぁ。さすがおれの副船長♪」
へらっと笑うその表情に思わず和みそうになって、あやうく目的を見失いかけた。いかんいかんと小さく首を左右に振る。
「…………お頭」
短く深い溜息をついて、犬のような笑顔の船長に小言を食らわす。…あまり効くとも思っていないのだが、性分だ。
「何度も何度も何十回も言うが、単独行動は控えてくれ。
あんたが賞金稼ぎや海兵に負けるとは思わんが、万が一ということもある。もっと自分を大事にして、せめて行き先くらい誰かに言付けて……何を嬉しそうに笑っているんだ?」
ちょっと、ムッとする。一応真剣に言っているんだが。
悪びれない声が返ってくる。
「んー? ああ、悪い悪い。ちょっとな、嬉しいんだ」
「嬉しい?」
無い眉をひそめる。…こっちは一応、叱っているのだが。叱り方が足りないのか、本人に叱られている自覚がないのか。
シャンクスは嬉しそうに背伸びをする。
夕陽が彼の赤い髪を染め、いっそう燃えるように輝かせている。ベンは深く吸った煙を吐き出しながら、目を細めて表情に出ないようにこっそり見惚れた。
「…何が嬉しい?」
シャンクスは振り返らず、夕陽を眺めたまましゃべる。肘を膝に置き、顎を手に乗せて。やっぱり嬉しそうに。
「んー…なんて言ったらいいかなぁ? なんつーか、なんかこう…誰かがおれのことを心配してくれるだろ? それが嬉しい」
「……」
無邪気に笑うシャンクスにノックアウト。ただし、あくまでも表面にはださない。(最初からノックアウトされているような気もするが、細かいことは気にしてはいけない)
さらにシャンクスは言う。
「心配って、どうでもいい奴にはしないだろ? だから誰かに心配してもらうと、そいつには少なくとも嫌われたりとか、嫌がられてたりとか…悪くは思われてないんだなァって思えるわけだ。好かれてるんじゃないかなァって錯覚できる。
だから、心配されるのは嬉しい。し、好きなんだよ」
「だからといって」
わざわざ心配されるような行動をとるのはどうかと思う、と言いたかった言葉は、最後の夕陽に透ける極上の笑みにさえぎられた。
「オマエに心配されんのがイチバン好きだぜ?
なんつーか、こう…好かれてる実感、てのがあるからなー」
自分で言って、たはは、とテレ笑いする。
ベンは天を仰いで溜息ひとつ。
(……だから敵わねェんだよなぁ…この人には…)
黒髪の男が内心で敗北宣言を出したとも知らない赤髪は、諦めたように煙草をふかす男を不審げに見上げる。
「なんだよ。なんかおれ、変なこと言ったか?」
「……子供か、あんたは」
内心とは違うことをベンが言えば、
「何をゥ?!」
瞬間沸騰する。
どういう意味だッ? と詰め寄ってくるシャンクスに苦笑して、頭を撫でる。顔には穏やかな笑み。
―――心配されると嬉しい、ってのは結局、気にかけてもらってる時が嬉しいってことだろう? 誰かの気を引くためにイタズラしまわる子供と、どこがどう違うと言うんだ。
……もちろん、本人にはそんなことズバッとは言わないけれど。
「…かわいいって言ってるんだ」
「へっ。ヤローにかわいいなんて言われても、嬉しかねぇよッ」
「そうか?」
「そーに決まってるだろ。…なに笑ってんだよ!」
胸倉をつかまんばかりの勢いでかかってくるシャンクスを抱きしめて、あやすように背をなでてやる。小さい子供にするみたいに。
「誉めてるんだ」
「…あんまり嬉しくないぞ?」
「そうか?」
頭をくしゃくしゃに撫でて、
「さ、帰るぞ。皆も心配してる」
最後のひとことに、現金にもシャンクスは機嫌を直した。よほど心配されているのが嬉しいらしい。テレ笑いしながら爪の先で鼻の頭を掻く。
「そっか。皆、心配してるかー」
「当たり前だ。皆、あんたのことが好きで、あんたの船に乗ってるんだからな」
戻るぜ、といって歩きだす。
長身の男の後姿に、シャンクスは言った。
「なんでおれが抜け出すか、わかるか?」
「うん?」
煙草を右手に持ったまま振りかえる。
「…それは、さっき聞いたが…」
「ちっがう。もう一個あるんだよ」
そんなもん、聞いてないのにわかるわけがないだろう。とはいえ、ベックマンのつっこみは優しい。
「…わからん。教えてくれ」
へへっ、とイタズラ小僧のように笑う。
「おまえがおれを探しに来て、絶対におれを見つけてくれるから、だよ!」
「!」
ぽろりと、煙草を落した。それを見てさらに赤い髪のイタズラ小僧は笑い、黒髪の男の横を走って追い抜く。
調子はずれの口笛を吹いて己の船へと帰っていく船長の後姿に、副船長は苦笑を隠しえない。
(……ったく、この人は…)
新しい煙草を取り出し、火をつけて。ゆっくりと、でも大股でシャンクスの後について行く。
自分が追いつくのを前を行く赤髪が待っている、ということがその歩みの遅さでわかったから。