ロイのねぐらを出てから半日、ふたりは北を目指して歩いていた。
ファレナでは運河、船運が発達しており、船を使えば数日で目的の村まで到着することはわかっているが、節約しておきたかったこともあり、徒歩での移動が主となった。
「疲れたんじゃないか?」
「ゲオルグ殿こそお疲れでしょー」
何しろ生死をさまよった後、数日しか経っていない。普通なら多少金がかかっても楽に移動できる船を選択するところだ。カイルもそうしようと言ってはみたものの、ゲオルグにやんわりと拒絶されてしまった。
(吸血鬼は頑丈だって言うけど、それを過信してるんじゃないかなー)
心配を無下にされた気がするが、それでも内心では心配ではある。彼が半分とはいえ吸血鬼で、人間の何倍も体が丈夫で快復力も並外れているとしてもだ。
ゲオルグひとりなら一日でカイルと歩く何倍も歩けたかもしれない。そんなことを思いながら日が暮れる前に野宿の準備を始めた。
準備といってもテントを張るわけではない。薪となりそうな枯れた枝を拾い集めたり、夕食になりそうな木の実や魚を取ったりするくらいだが、案外時間がかかる。カイルが集めた食べられる草花やゲオルグが捕らえた野兎を簡単に調理し、一息ついた頃にはあたりはすっかり闇に包まれていた。
夜番の順番は、今夜はカイルが先だ。先にゲオルグが休み、カイルが火の番をする。周囲に危険な魔物は少ないとはいえ、夜盗が出ないとも限らない。だから野宿の時は交代で番をする。
一緒に眠らなければ大丈夫だとわかっているからそうしているが、後番になった時たまにうつらうつらしてしまうのが危険ではある。実際それで何度か夢を見てしまった。
気を付けていれば平気だと、目を閉じてすぐに寝入ってしまったらしいゲオルグの寝顔を何とはなしに眺める。
火が揺れ動き作る陰のせいだろうか。目許のあたり、頬のあたりに濃い疲労が見えるようだ。病み上がりなのだし、少し長く休んでもらったほうが良いかもしれない。木々の葉をほんの少し揺らしただけの風が、ゲオルグの前髪を撫でて通り過ぎてゆく。
不意に訳もなく不安に駆られた。森の奥で梟が鳴いたせいかもしれない。
気配を消せるだけ消すと、ゲオルグの傍に寄る。
(……静か過ぎるんですよー……)
呼吸が手に当たることを確認すると、ほっと息を吐く。
この眼がもう自分を見ることがなくなるのではないかと怖れたのはつい先日のことだ。そして自分の気持ちに気付いたのも。
薄らと気付いてはいたが、否定し続けてきた。
(認めざるを得ないよねー……)
否定し続けるのも往生際が悪い。
これ以上あがくのはみっともない、と思う。それなら認めておいたほうが良い。
(……あ。睫毛長いんだ)
間近で人の、それも男の顔を眺めることなどそうそうないことだ。ゲオルグ以外の男であれば冗談ではない。
精悍な、男らしい顔だと思う。カイルとはタイプが違うが、いい男の部類に入るだろう。――彼のほうはまず、カイルと同じ意味ではカイルに興味を抱いてくれないだろうけれど。
(あ、なんだか哀しくなってきた)
考えるのはよそう、とゲオルグの傍を離れかけた時だった。
「何をしているんだ、おまえは」
不意に目を開けたゲオルグが、カイルを見上げる。
てっきり眠っているものと思い込んでいたため、不意打ちも甚だしい。自分でも滑稽なほど、カイルはうろたえた。
「おっ……起こしちゃいました?」
「まあな」
「す、すみませんっ、寝て下さいっ。まだゲオルグ殿の時間じゃありませんからっ」
「……何かあったのか?」
「いえ、別に……」
表立って起きたことなど何もない。ただゲオルグのことを考えていただけで、だから彼が目を覚ました時に驚いた。それだけのことだ。
言うには憚られるから言わないけれど。
だから、
「何かあった顔をしている」
そんな気遣わしい顔で触れようとしないでほしい。どうしていいかわからなくなる。触れられたらいっそう自分が困惑するのはわかっているのに、逃げられない――触れて欲しい。
ぐちゃぐちゃな自分の心に整理が付けられず、頬に触れられても俯くしか出来なかった。火の爆ぜる音がやけに大きく聞こえた。
撫でる手は優しい。寝ていたからか、指先は温かくもある。
胸が締め付けられる。
「あ、の……」
「ん?」
「手を……離して、もらえませんか……」
「触られたくなかったか? すまん」
「いえ、そうじゃなく、」
俯いたまま頭を振る。吐息までがカイルの内心のように震えた。
「……もっと触って欲しくなるじゃないですか」
囁きにも呟きにも似た言葉は、夜の静けさのせいでゲオルグの耳に届いてしまったかもしれない。奇妙な顔をされるだろう。それだけならばまだ良いが、最悪、どこかで別れることになるかもしれない。
言った後で悔やんでも遅いが、そんなことを考えただけで心が冷えた。
しかし次の瞬間には、カイルは温かさに包まれていた。
「……」
抱きしめられていると気付いても、わずかに身じろぎするだけしか動けない。
「あ……、」
「触れて欲しくなったんだろう?」
確かにそう言いはした。触れられている、というより抱きしめられているが、嫌ではない。
「俺も、触れたかった」
「え?」
「触れたかった、と言ったんだ」
子供のように撫でられた、と思うと次の瞬間には抱擁は解かれていた。そうしてゲオルグは瞬きの間に外套に包まって横たわっている。
今のは夢か何かの類だろうか。
だが、確かに温もりはカイルの肌に留まっている。言葉も聞いた。
とはいえ――もう眠ってしまった人をまた叩き起こす度胸はなかった。
(……寝ぼけてた……とか?)
だとするとえらくカイルに都合が良い。それならやはり幻覚の類か。そんなはずはない。
真相を確かめるには、本人に問うしかない。
後で起きた時にでもさりげなく聞いてみよう。そう心に決めて、小さくなりかけた炎に慌てて枯木をくべた。
自分の体調がおかしいとゲオルグが気付いたのは、北の街へ船で向かう前に立ち寄った宿屋の一室に入った後のことだ。
もっとも、兆候はそれ以前からもあった――というのも、今になってわかることだが。
食事に行きましょうとカイルの言葉に頷きはしたものの、食欲はまったくない。いや、腹は減っているはずなのに、食べ物を胃が受け付けようとしてくれないのだ。味付けが合わないとか料理がまずいとか、そういうことはまったくない。
彼が心配しないようにと最低限の量は食べたが、後は酒で誤魔化した。
食欲不振、といえばそうなのだろう。だが食事が終わる頃にはその正体をほぼ正確に把握した。
「あんまり食欲ありませんでしたねー? 口に合いませんでした?」
「いや、大丈夫だ。多分疲れたんだろう」
「それならいーですけど。今日は早目に休んだほうがいいですね。久しぶりのベッドですし」
「ああ……すまないな」
「やだなー、謝らないで下さいよ。そりゃ、船に乗ったほうが早く完了報告できたとは思いますけど」
笑ってくれているのは、もしかしたらゲオルグへの気遣いなのかもしれない。宿の備品である清潔なタオルを渡してくれた。
「たまにはゆっくり浸かるといいですよ」
疲れが多少は取れるかもしれない。カイルのさりげない優しさに感謝しながら、ゲオルグは浴室へ向かった。
久方ぶりの熱すぎない湯は、ゲオルグの疲労を芯から溶かしてくれるようだった。
それでもある種の飢餓感は消えることはない。体の垢を落とすようには、簡単に行かない。
(……参ったな……)
湯舟に頭を預け、天井を仰ぐ。滴ってきた水が、湯に波紋を広げた。
こんな感覚をまた味わうことになるとは思わなかった。きっかけはおそらく、重傷を負ったこと――というより、ゲオルグを助けようとカイルが与えてくれた血だ。
毒からの回復を助けてくれたのは間違いない。それは疑いようもない事実だが、それが契機となってこんな状態になっているのも事実。
せっかく助けてくれたというのに、皮肉な話だ。おまけに、偶然とはいえ彼の気持ちも知ってしまったのも、良くなかったのかもしれない。それがゲオルグの身の内に蟠るある種の欲を増長させている。
さっさと眠ってしまったほうが良い。
数日もすればきっと収まる。
根拠はないが自分に言い聞かせ、体を洗うために立ち上がった。
手早く洗い再び体を温めると、カイルの顔を見ないようにしてベッドへ潜り込む。
眠れと呪文のように唱えても、まんじりともしない。どころか、感覚が研がれているのがわかる。そこから必死に気を逸らそうとしても、上手くはいかない。
(まずいな……)
カイルが寝付く頃まで外に出ておくことも考えたが、先日のこともある。下手な行動は彼に誤解を与えかねない。
どうするか。
考えているうち、カイルが風呂から上がった気配がした。聴覚が自然とそちらに集中する。
「やっぱり温かいお湯は疲れが取れますねー。気持ち良かったー」
背を向けているから見えないが、きっと濡れた髪をタオルで拭っているだろう。長い髪は乾かすのが大変そうで、よく風邪を引かないものだと感心してしまう。そうでなくとも長髪は旅には不向きだが、太陽を受けて煌めく金を見ると、短くしてしまうのは惜しく思われた。
「ゲオルグ殿ー? もう寝ちゃいました?」
傍へ来る気配。そこで聴覚だけでなく嗅覚も鋭くなっていることに気付いた。
石鹸の香りに混ざった、カイルの体臭。そんなものすらわかってしまう自分に驚かされる。息苦しさすら感じた。本能に理性が引きずり落とされる感覚は、そのまま身を委ねてしまいたくなるほどの誘惑だ。
(来るな……)
今傍へ来られると、おかしくなりそうだ。できれば、そんなもののせいではなく触れたいのに。
「ゲオルグ殿ー?」
カイルの、まだ湿った髪がゲオルグの頬のあたりに落ちる。
甘い匂い。
もう駄目だと思った。
久方振りの湯から上がると、ゲオルグはベッドの中にいた。背を向けているのは寝ているせいだろうか。
「ゲオルグ殿ー? 寝ちゃいましたー?」
濡れて重くなった髪をタオルでわしわしと拭いながら近付く。元々気配を消すのが上手い男のこと、本当に寝ているのかどうかわからない。
起きているなら、聞きたいことがあった。数日前の夜のことだ。
「ゲオルグ殿ー?」
顔を覗き込もうと思ったのは、シーツの山が揺れたような気がしたのだ。
ゲオルグが振り返った、と思った次の瞬間には、カイルは引き倒されていた。
「ちょっと……何事ですか」
「あまり傍へ寄るな」
「……と言われてもー……」
太い腕にがっちりと抱き込まれていては、離れることもままならない。
それより、耳元で囁かれた声音に心臓が跳ねたことのほうが気にかかる。
「ど、どうかしたんですか?」
「血が欲しい」
「えっ?」
「……一度摂取してしまったからだ」
すぐに、ゲオルグの治癒のために自分の血をわずかに与えたことを思い出す。あの時は夢中で、それでも刃物で付けた傷がすぐ塞がる程度の量でしかない。
だが、量の問題ではないとゲオルグは言う。
「十五年以上断っていたんだぞ。いきなり昔やっていた麻薬をやらされたようなもんだ」
「えーと……よくわからないですけどつまり、禁断症状ってことですか」
唸り声のような低い声は肯定の意味だろう。
「勿論、感謝はしている……」
だがこれ以上近付くなと言われ、カイルが納得できるはずがなかった。それどころか、ゲオルグを強く抱きしめ返す。
「嫌ですよ」
「カイル」
「オレはゲオルグ殿といたいからいるんです。そりゃ、ゲオルグ殿にしてみれば親友の頼みなんで仕方なく、かもしれませんけどっ」
「カイル、」
ゲオルグが何かを言いかけた。だが否定の言葉なら聞きたくないと、素早く言葉を継ぐ。
「でもゲオルグ殿、オレに言いましたよね? 触れてみたかったって。寝ぼけてたのかもしれないですけど、オレはちゃんと聞いたんだ。――言わせてもらいますけどね、オレだってゲオルグ殿に触れたかったんです」
だから離れるとか離れろとか言わないで下さい。
ゲオルグがどんな顔をしているのかは、密着していて見えない。だが、この気持ちが伝われば良い。
「……オレのこと、考えてくれるなら……傍にいさせて欲しいです。……今も」
「わかって言っているのか? 少しの間でも離れておかないと、俺は今、」
「死ぬほど血を吸われたら、死ぬか吸血鬼になるのかもしれないけど……でもそんなになるまでは吸わないでしょう」
「どうしてそんなことが言えるんだ」
顔を上げたゲオルグにつられるように、顔を上げた。鋭さを増した黄金の瞳は、まるで猛禽類のような鋭さでカイルを射抜く。
怯まぬよう、深く息を吸う。
「……信じてますから」
「信じるのは、勝手だが……」
「ええ、勝手です。だから結果がどうなろうと、ゲオルグ殿は気にしなくていいんですよ。オレが信じたことでどうなっても、オレは納得済みなんてすから」
だから吸って良いのだと断じる。
自分でも目茶苦茶なことを言っている自覚はある。それでもわかって欲しい。
「……それにゲオルグ殿、ついこの前、死にかけたばっかりじゃないですか。体が栄養を求めているのかもしれないでしょ。だったら栄養をあげたほうが、早くホントに回復しますよ」
これではまるで付け足しのようだ。ゲオルグのことを案じているのは本当なのに。言葉が足りずに歯噛みするカイルを、ゲオルグは咎めない。
「……ゲオルグ殿がオレを心配してくれるのと同じくらい、オレだって心配しているんです。いくら、人より丈夫だからって……無茶しすぎですよ」
しばらくふたりはそのまま見つめ合っていた。だがやがて、カイルの熱意に折れたようにゲオルグが頷く。
「……わかった」
その言葉に、カイルはほっと息を吐いた。
カイルからの申し出を、ゲオルグはどう受け取ればいいのかわからなかった。
ただでさえ血に対する欲求が抑え切れるかわからないところへ、それを増長させるようなことを言って欲しくはない。自分の理性は弱くはないと信じているが、そんなことを言われてなお自分を抑え続けていられる余裕があるかどうか、自信がない。
それでも――
結局カイルの言に頷いてしまったのだから、理性が強いとの自負は返上しなくてはならないだろう。
カイルの、石鹸の香りが混ざった体臭に誘われるように鼻梁を首筋へ寄せる。甘い匂い。熟れた果実に誘惑されているようだ。
なるべく、外套で隠れる場所が良いだろう。そんなことを考える余裕はあるのかと自嘲が浮かぶ。
唇で肌を辿り、狙う場所を舌で舐める。小さく震えたのは恐れからか、舌の感触のせいか。わからないが、今更引き返すことなど出来はしない。全身が、カイルの血を求めているとわかる。普段は吸血鬼である自分を自覚することなどほとんどないのに、この時ばかりは自分が吸血鬼であると改めて思い知らされる。
「……う、ンッ……」
痛みはほとんど感じないはずだ。肌に浮いた紅い血液を舐める。――今までに食したことのあるどんな食べ物より、甘露だ。
カイルの震えがいっそう増す。恐れる必要はないとばかりに背を撫でたが、逆にいっそう震えられてしまった。
「あ、まり……触ら、ないで……っ」
吐く息が熱い。先程と言っていることが違うことを咎めれば、軽く唇を噛み締める。何でもないと首を振るが、そんなわけがあるものか。
「……寒いのか?」
「やっ……ち、がっ!」
耳元で囁けば、離れる素振りを見せる。だが力はまったく入っておらず、ポーズでしかない。
落ち着くようにと思いつつ、風呂上がりで晒されたままの上体、鎖骨や腕の付け根の窪んだあたり、胸元や腹筋に口付けた。ほんのり色付いている肌は、やけになまめかしく――端的に言えば「美味しそう」だった。誘われている、と思いながら、肌のそこかしこへ唇を落とし、舐めた。
「……ッ、は……ぅン、んっ……」
抑え切れていない声が、いっそう肌に触れたいという欲求を増させる。背へ回していた手を滑らせ、背骨のラインを辿った。背が跳ね、しがみつかれる。
触れたいという欲求のまま、唇や舌、手のひらでカイルの全身に触れる。このまま喰らい尽くしてしまいたいとさえ思った。
「ゲオルグ、どの……ッ」
驚いた声は直に性器へ触れたからか。手を避けようと逃げをうつのは媚態にしか見えず、喉が鳴る。
「逃げるな……」
囁けば、またカイルは震えた。唇を噛み、わずかに顔を背ける。
触れる前から熱の篭っていた性器は、少し擦っただけですぐに蜜を零し始める。手のひらを濡らし陰茎を伝う様は卑猥で、シーツを掻くように悦楽に乱れた様は淫靡だ。途切れぬ声をもっと聞きたいと、カイルの性器を口に含む。いくらももたず、すぐに達した。
荒い息が整っていないことを承知で俯せにさせ、腰を上げさせる。ためらうことなく、人目に晒すことはないであろう秘所へ舌を這わせた。
「やっ……あ、っあ…!」
蕩けた声にはかすかな恐れの響き。それを宥めるように何度も入口を舐め、また性器へと触れた。悲鳴にも似た嬌声に、ゲオルグの欲も抑えがたくなる。
唾液や精液で湿らし、舌でほぐしたところへ指を押し込む。一瞬の緊張も、すぐに力が抜けた。尻のなだらかなライン、尾てい骨あたりに口付け、指を増やす。性急になるのは仕方がないと自分に言い訳し、指を引き抜いて己の熱を宛がった。
一息に突き入れるのは良くないとわかっているのに、体は思考通りには動かない。
汗ばむはだ、おそらくはゲオルグしか感知しないであろう甘やかな匂い、よがるカイルの媚態。冷静でいろというほうが無理だ。
「ああ……ッ」
カイルの背が跳ねる。内股が緊張したのに合わせるように中が締まる。小さく呻くと、ゲオルグの熱を拒むかのように収縮する中をさらにえぐるように、腰を掴んで引き寄せた。
揺さ振り、突き上げる。しつこく繰り返す前に、熱がカイルの中に解放された。
互いに荒い呼吸を整える暇もなく、性器を抜くとカイルの体を仰向けさせる。抵抗もなくぐったりとゲオルグを見上げる瞳は、まだ欲に沈んでいる。それを見て取ると、掬い上げた片脚に口付けた。
翻弄されるとは、このことを言うのだろうか。
血を吸われて以降、ゲオルグが触れる箇所のどこにでも体が反応し、わけがわからなくなった。二度、精を吐き出しているにも関わらず、まだ触れて欲しいと思う。気持ち良いことは好きだが、それだけが理由ではあるまい。
仰向けにさせられ、性器を晒されるように脚を開かされる。恥じらって閉じるだけの気力もなく、はしたなく開いたままでゲオルグを見上げた。上体を倒したゲオルグが、首筋を舐める。先程吸われたあたりだ。ぞくりと背を何かが走った。
肌を撫でる手が下肢へ及び、双丘の谷間を指がうろつく。濡れた指が後孔へ慎重に潜り込み、丁寧な手つきで慣らしていく。中で蠢く指の感覚も、熱を高める。
口から漏れる言葉を恥じたところで、止める術はカイルにはない。自分の体がどうにかなってしまったのかと思うほど感じたし、乱れさせられた。
いつの間にか増やされた指が引き抜かれ、熱を宛がわれる。早くと言ってしまいそうなほど、体が強くそれを望んでいる。
「力を抜いておけよ……」
囁かれるまでもない。
「んっ……、ぅあッ、ン……ッ」
声にならない悲鳴はゲオルグの唇へと吸い取られた。痛みはほとんどなかったが、代わりのようにのたうちまわりたくなるような快楽がカイルを苛む。
広く逞しい背へ腕を回し、必死にしがみついた。
爪を立て、引っ掻いたかもしれないがよく覚えていない。
揺さ振られる体以上に頭の中を掻き乱され、暴かれ、貪られて貪った。
こんなに求めたことはなかったし、求められたこともなかった。
呼吸が荒いのはお互い様で、湿度が増したような室内でまぐわうのは狂暴で淫らな饗宴にも思える。――互いに、明らかに食べ過ぎの。
「ゲオルグ、どの……オレ、もぉ……ッかしく、なる……っ」
「っ、なれば、いい……」
金の双眸はやはり獣のそれだ。カイルが抗えるはずもない。
手加減をなくした責めの手に、やがてカイルは意識を失った。
翌日、カイルが目を覚ました時には温もりに包まれていた。シーツやリネンだけではない、人肌の温もり。
うとうととまどろむのが心地良い。背から抱きしめられるのが何故だか気恥ずかしくなり、寝返りを打とうとして、動きを止めた。
ひどく怠い。
体に鉛を流し込まれたのではないかと思うほど、体、特に下半身が怠かった。
(……ヤバイ……思い出したくない……ッ)
記憶が蘇るのを止める手立てはない。
断片的に浮かんでは消える昨夜の行為。体中をまさぐられ、何度も欲を吐き出した。本当に、どうかしていたのではないかと思う。
現実は、夢に見ていた比ではなかった。
(狂うかと思った……って、違ーう、そうじゃなくて!)
男と寝るのが初めてだったとは自分でも思えないほどの乱れようだった――ような気がする。いくらゲオルグが上手かったとはいえ、もっと痛いものだと覚悟を決めていたのに、想定外だ。
ゲオルグとは誰でもあんな風になるものなのか。ゲオルグは誰にでもあんな顔、目を見せるのか。
(うわ……オレ、サイテー……)
彼と夜を共にしたであろう見知らぬ者たちへの敵愾心が湧いてくる。無意味だとわかっているし、今まで誰にもそんなことを思ったことはないのに。
どす黒い心を誤魔化すように吐いた小さな溜息では到底、この靄を吹き飛ばせそうにもない。
自分に呆れていると、不意に頭を撫でられた。びくっとして顔だけ振り向かせると、どうやらゲオルグが起きたようだ。
「おはよう」
「あ……、おはようございます」
「体は大丈夫か?」
抱き込まれるのも、男が相手だというのに不思議と嫌悪感はない。もっとも昨夜のことを思えば、嫌悪など湧いたところで今更だが。
「多少、怠いですけど……大丈夫ですよ」
「そうか……まあ、今日はゆっくりしておくといい」
労るように撫でてくれる手が心地良い。素直に頷くと、ゲオルグの腕の中でなんとか寝返りを打ち、正面から彼の体へ腕を回す。互いに寝起きだからか、くっついていると寒さは感じない。
お返しのように、背を撫でた。
「…………痛くはなかったか……?」
部屋にはふたりしかいないのに、あたりを憚るように耳元で囁かれる。気遣ってくれているとわかるのに、低く囁かれるのは逆効果だ。心音が昨夜を思い出したかのように跳ねる。
「だ、大丈夫でした、よ?……見てたらわかるでしょー……」
遠回しに訊くなと言ったのだが、ゲオルグは「すまん」と言う。
「無我夢中、とでも言うのか……必死だったからな、色々」
「えっ……」
「どうせなら気持ち良くなって欲しいだろう?」
問われても返事に窮する。だが、それを言うならカイルも同じことを思う。
「ゲオルグ殿は、どーだったんですか……」
果たして良かったのかどうか。
良くなかったと面と向かって言われるはずはないが、気にならないわけはなかった。
髪を掻き交ぜるように、くしゃくしゃと頭を撫でられる。先程までより強く抱きしめられた。
「……気持ちよかった」
何も真顔で言わなくても良いと思う。余計に恥ずかしい。
「そ……そうですか……」
顔を逸らし、ゲオルグの体に回した腕の力を籠める。心情を察してくれたのか、ゲオルグはそれ以上昨夜のことについては触れようとはせず、代わりにカイルの長い金髪を指先で梳いていた。
窓からは朝の清らかな光が斜めに射し込んでくる。
後悔はまったくなかった。望んでそうしたのだから当然と言えば当然だし、ゲオルグのほうにもそんな様子は見られない。
(よかった)
夕べの、切羽詰まったような獣のような緊迫感も、朝日に清められたかのように今は穏やかだ。吸血の欲求が満たされたから、だろう。
問題は山積しているが、今は平和な気持ちだった。
ずっとこのままでいたいと思う。
「許されるなら」という但し書きが付くが。
叶わぬことではないと、思いたい。
昨夜は勝手に着いていくと言い切った。今でもその気持ちに代わりはないが、やはり一方通行の想いではいつか気持ちが折れるのではないかと不安になる。
一緒にいたい。
できれば、ずっと。
その理由を言えば許してくれる、なんて、甘いことを考えてはいけないのだろうけれど。
(でも、希望はある)
触れたいと、言ってくれた。
その言葉を信じたい。――信じさせて欲しい。
(…………よし!)
決意を固めると、顔を上向けた。
「……どうした?」
「あの……、オレ、」
女の子を口説く時とはわけが違う。余計な言葉を省き、シンプルに。まっすぐに。
頷いてくれるようにと祈り、念じながら、言葉を継いだ。