夜半に訪れる客は招かざる者だ。
ザハークは諒解を得ずに部屋に入ってきた青年を軽く睨んだ。
「……こんな時間に何の用だ?」
「やだなー、こんな時間にやって来る用件なんて、わかってるでしょー」
見る者が見れば人好きの良い笑顔でしゃあしゃあと言ってのける。
浮かんだ可能性の中にこの青年が言わんとすることも含まれてはいたが、出来れば考えたくはない。
あえて無表情に青年を睥睨する。他人からは氷のようだ、鉄面皮とも評され、一般兵にはそれなりに懼れられもするのだが、この青年が堪えたところは見たことがない。
「書類でわからないことがあれば、明日聞いてやっても良い。私は寝る」
「すっとぼけても、眠っても構いませんよー。オレ、好きにしますから」
「好きにして良いとは言っていない」
暗に就寝の邪魔だから帰れと言った言葉は綺麗に無視された。眦をややきつくする。不良騎士と自他共に認める後輩は、張り付いたような笑顔を崩さない。それが彼にとっては自分にとっての無表情のようなものだと気付いたのは、いつのことだったか。感傷に浸る趣味はない。だから思い出そうとも思わない。
青年はわざと靴音を響かせ、まさに就寝しようとベッドに腰掛けていたザハークのすぐ傍まで来る。わずかに腰を屈め、顔を覗き込むように見つめられる。年下の女王騎士はまだ装束を身に着けていた。おそらく、宿直のガレオンと交代してそのまま来たのだろう。――どうでもいいことだ。
「良いって言われなくてもしちゃうってこと、ザハーク殿もご存じでしょー?」
「だからといって、認めているわけではない」
「知ってますよー。認めて頂こうとは思ってないですから」
嘘臭い笑顔。何を考えているのか知れたものではない。
語尾を伸ばす喋り方は疳に障る。女王騎士なのだからもっと折り目正しくあるべきだ。何度注意しても直らず上司である女王騎士長にも再三訴えたが、すべて無駄に終わっている。
騎士長自体が良く言えば豪放磊落、悪く言ってしまえば粗野な人物であるため「公式の場で礼儀正しく振る舞えれば良い」とあまり問題にはされないのだが、勤務中はいつでも公式の場だと考えるザハークとは決定的に合わない。
性格が合わないだけで、人物としては悪くないのだろう。政策に手温さがあるのは気になるところもやや不満ではあるし、細かい不満は枚挙に暇がないが、正規の手続きを経て騎士長になったのだから仕方がない。
そんな騎士長が、先のアーメス戦の折に連れてきた子供はやはり、女王騎士にするにしては型破りな子供だった。周囲も皆反対していたように思うが、実際問題として女王騎士の数も減ってしまったし、無形とはいえ剣の腕も相当で、戦中も活躍していたのは間違いなかったため、騎士長が強引に押し切ってしまった。その子供の後で見習いとして王宮に上がったアレニアと比べても、本当に対照的だったように思う。
市井の子供と変わらないかと思っていたが、なかなかどうして抜け目がない。それすらも市井出身の処世術かと感心したところもある。女性好きでそれに関する問題がなければ、なお良かったに違いない。
見習いの子供の面倒は、確かに任された。手を焼かされたことも多々あるが、それでも子供だからと甘く見ていたことは否めない。
子供は、いつまでも子供のままではなかった。
そのことに気付くのが遅かった。
かつて子供だった青年の言葉に、溜息を吐き出す。
「開き直らないでもらいたい」
「ザハーク殿、うるさいですよー」
お小言は職務中だけにしてくださいと言いながらさらに腰を屈め、顎を掴まれて唇で唇を塞がれる。
舌の感触はいつも不快でしかない。自分の物ではない、異物だからだ。顎を掴まれているため口を閉じるのも容易ではなく、好きに口内を蹂躙される。背に蟻走感が走るのも不快だ。
「……いい加減、止めろ」
不機嫌を滲ませ、腕で胸のあたりを押す。引く気配はない。それどころか、楽しげですらある。そういった表情は、腹立たしいことに昔と変わりない。
「抵抗しないじゃないですか」
「無駄なことはしたくない。貴殿が止めれば済む話だ」
言い終わるかどうかで、不良騎士の手のひらが寝衣の袷を割り開き、素肌の胸を撫でる。肌が粟立ったのはおそらく、嫌悪によるものだ。
はだけられ、首筋を軽く吸われる。痕が付かない程度だろうとわかる自分を殺したくなる。
不良騎士の手はザハークの心情とは無関係に体を暴き、意思を無視して徐々に思考を乱させ、熱を集めさせる。不快がまた溜まってゆく。
長い指がザハークの性器に絡む頃には、不良騎士はすっかり装束を脱いでいた。手際はさすが、伊達に浮き名を流してはいない。
「ザハーク殿、イきたかったらイッていいですからねー?」
楽しげな声。遊びか何かと勘違いしているのか。体を押しやろうとするが、体格ではザハークのほうに利があるはずなのに、びくともしない。さりげなく間接を抑えられているのだと気付き、胸の中で舌打ちした。
幾度目の行為か。わからなかったが、どうでも良い。数えて報復する気もない。ただ、物好きで悪趣味だとは思う。
あれだけ女と見れば口説いているのだから、女と寝れば良い。自然の摂理としてもそのほうが自然で正常な衝動だろう。なのにどうしてねじ曲げるのか。まったく理解できない。
「…………ッ、ク……」
唇を噛み、漏れそうになる言葉を殺す。みっともないところは見せたくはない。この不良騎士を喜ばせるだけだ。
骨っぽい指が、ザハークの唇をなぞる。
「食いしばってると、余計につらいだけですよー?」
そんなことを言って、思い通りになってたまるものか。
きつく睨み上げると下卑た笑いを返される。――気に食わない。腹立ち紛れに、唇を撫でる指に噛み付いてやった。驚いた顔を見、溜飲が下がる。
「結構余裕ですねー」
じゃあ、と呟いた顔は悪戯を思い付いた悪童に近い。嫌な予感がした。と同時に、性器に絡まった指の動きが早まる。揶揄するように触れていたのに、急速に熱を煽って吐き出させようとする。
いつも、この感覚には慣れない。慣れる時など来なくて良いのだが、いつ不良騎士が飽きるのか、知れたものではない。この先もあるのかと思うとぞっとするから、考えないでおく。
胸から腹へ撫で下ろされる手のひら。性器を舐め上げる舌。晴れた空のごとく蒼い眼差し。ザハークを見下ろす表情は、どこか満足げだ。そして楽しげで、玩具に夢中になる子供のようでもある。剣の稽古をしていた時も、そんな表情をしていた時があった。あの頃は日に日に要領を覚える子供に目を瞠りつつ、成長を楽しみにしていたものだった。
――女にもそんな顔をするのか。
馬鹿な問いを言葉にすることはない。ただ想像して嫌悪するだけだ。
その手に触れられることに。
その口で吸われることに。
その性器を入れられることに。
そんなことを考える自分に。
「あー……ザハーク殿、イきそーですか? イきたい?」
問われても、答えを返したことはない。それでも彼は訊くのだ。壊れたオルゴールのように、何度も。
「イかせてあげますけど、もーちょっと我慢して下さいねー?」
こんな体のどこに興奮するのか疑問だが、やや上擦った声で囁くと濡れた指で性急に後孔をまさぐられる。動きは急いていても、無茶をする気はないらしい。勿論、明日に障るようなことがあればキツく灸を据えてやるつもりだ。それこそ、二度と馬鹿な考えを起こさぬように。
指が増やされ、中で広げられても充分に余裕があることがわかると、長い指が抜けていく。代わりに、熱く猛ったものを宛がわれた。無意識に引けかける腰を掴まれ、ゆっくりと貫かれる。
どうせなら一気に入れてしまえば良い。
なのにいつも挿入は緩やかだ。まるで気遣っているようですらある。
気遣う場所が違うのではないかと思う。気遣うくらいなら、初めからやらなければ良いだけの話だ。だが不良騎士はザハークの意見を意に介さない。気持ち良くないわけじゃないんでしょーと一蹴される。
――物好きで、悪趣味だ。
結局はそこに結論が戻る。いや、この一言に尽きると言っても過言ではない。
行為を嫌悪しながら最後まで抵抗しないのは、面倒だからだ。そう自分に言い聞かせている。肉体の快楽など、なくて良いのに。
「……ッは、ぁ……」
吐息混じりの喘ぎが小さく漏れる。慌てて奥歯を噛み締めた。
「あんまり噛み締めると、歯が痛みますよー……?」
せっかく綺麗な歯なのに。冗談かと思えば、いたって真面目な表情だ。落ち着かなくさせられる。そんなことを言えばどう揶揄されるかわかったものではない。
シーツを掴み、顔を逸らした。挿入だけで達してしまいそうなのは、散々慣らされたせいか。
掴まれた腰をゆらゆらと揺らされ、回される。次第に声を殺すのもきつくなってきたところで、顔をぐっと近付けられた。入れられているものの角度が変わり、息が詰まる。
「……オレ、ザハーク殿のその表情、好きだなー」
言っている本人に、頭で思ったことを口にするのは止めたほうが良い、と言っても後の祭ではある。
「ね……もっと見せて下さいよ」
そう言われると隠したくなるのは人として当然の心理ではないだろうか。思っていてもできなかったのは、急に突き上げを食らったからだった。息までもが跳ね、乱れる。出そうになる意味を為さない言葉たちを食い止めることに必死になっていた。
その姿も、余さず見られる。
「ザハーク殿、つれないなー……っ」
笑う気配を感じたが、どうすることもできない。
もし。
近日中に練兵あるいは稽古で共になる機会があれば、その時には倍以上に返してやろう。それが結局はこの男のためにもなるのだし、非難されるいわれはない。
決めると、不良騎士の腕に爪を立てて引っ掻いてやった。顔を顰めたようだが、そのくらいは当然の報いだ。甘んじて受けて貰おう。
行為が終わった後、伴寝することはない。甘い関係ではないのだから、至極当然と言える。年下の青年が出て行った後の部屋で寝衣を整えると、ザハークは溜息を吐いた。気怠さがシーツを滑り、床に転がって消える。
頻繁ではないが、勢いだけとも言い難い程度の回数、体を重ねている。だが、特別に意味があるとは思えない。あるとすれば嫌がらせか意趣返しだろう。ザハークの自尊心を傷付けたいのか、それとも他に目的があるのかどうか。
どういう理由であれ、自尊心を傷付けたいのであれば、目論見は失敗している。こんなことで傷付いたりはしないからだ。
先程彼が出て行ったドアに視線をやる。最中とは異なり、終わった後はあっさりしたものだ。早々に身を離すと体を拭き服を調えて出て行く。軽口を叩くことをあれば無言で出て行く時もあるが、いずれの時もザハークの体を綺麗にしていくことを忘れたことはない。それをマメというのか律儀というのか、ザハークにはわからない。
ただ、最初の時ほど行為にも青年、カイル自身にも嫌悪を抱いていないことには、気付かない振りをした。
最期の時まで――最期の時が来ても。気付かぬ振りで終わらせた。
それを知れば、カイルはすべての決着がついた後で「ザハーク殿らしい」とでも言ったかもしれないが、カイルがザハークから知らされる機会は永遠に訪れなかったし、ザハークもカイルに知らせることは永遠になかった。