欲の底

 引きの合図は自軍のものではない。ゴドウィン軍のものだ。ただちに撤収できるものではないが、それでも潮が引くように、徐々に撤退していっているのがわかる。現に、カイルが戦っていた部隊もじわじわと引いていっていた。
 つられて追いかけていては、かえって自部隊が仲間から孤立する。敵部隊に囲まれてしまっては、さすがに危機に瀕するだろう。そんな無茶はしたくないし仲間にさせたくはない。
 深追いしない程度にまだ向かってくる敵兵士と剣を交えていると、自軍の引きの合図が聞こえた。部隊の者たちに引くように命を下すが、カイル自身は去っていく敵を睥睨し、剣を片手に立ち尽くしていた。
 風が頬を撫でる。血の臭いがするのは、死体の上を撫でてきたからか。
「おい……、」
 掛けられた声に、体が動いたのは反射だった。
 振り向きざまに踏み込み、剣で薙ぐ。常人であれば袈裟斬りにされていたかもしれない。だがカイルに声を掛けてきた男は常人ではなかった。
「……戦いは終わりだ」
 冷静な声。カイルの剣はゲオルグの居合刀に弾かれた。
 平然とした顔が憎らしい。
「そーですね」
 言いながら構え直す。呆れたような表情をされても、剣を下ろす気はまだない。
「引き上げる気はないのか」
「ありますよーもうちょっと後でね」
 自然と笑みが浮かぶのがわかる。ゲオルグの眼にはどのように映っているだろう。今の自分のことをどう思っているだろう。どうでも構わない。今はただ収まらぬ興奮をどうにかしたい。
 ふたりの間を駆ける風に長い前髪が揺れる。空気が徐々に張り詰めるのがわかる。
 この緊張感が良い。
 薄い硝子の膜を互いに押し合っているような錯覚。押し過ぎても割れるしわずかでも引けばやはり割れる。息苦しいほどの昂揚。同時に頭のどこかは冴えている。
 動いたのはほぼ同時だ。
 一息に間合いを詰めると鋼が高い悲鳴を上げる。一撃、二撃、三撃と続け様に打ち合い、立ち位置を入れ替えてまた呼吸を計る。
 睨み合ったのは長い時間ではない。今度はカイルから斬り掛かるが、剣はいなされてしまった。再度剣を振り下ろすと弾かれ、今度は胴斬りしようとする刀を飛び退って危うく避ける。だが追撃は速かった。
 中段の疾い斬撃を躱すのは容易ではない。剣で受け止めきれるか、と思ったがゲオルグの一撃は重い。吹き飛ばされはしなかったものの、数歩よろめく。その隙にまた間合いを詰められて、とうとう剣を弾かれてしまった。
「……引き上げるぞ」
 呼吸はわずかも乱れていないようだ。それが余計にカイルの闘争心に火を点ける。
 飛ばされた剣を掴むと、背を向けるゲオルグに食ってかかる。
「逃げる気ですか!」
 足を止めて振り返ったゲオルグは苦笑を浮かべていた。
「戦いは終わった。早く戻らないとあいつらが心配するぞ」
 あいつらとは誰か。考えるまでもない。カイルが大事に想っている、守りたいと思っている王子やサイアリーズだ。
 それを出されるとカイルも弱い。彼らを心配させることを望んでいるわけではない。だが、一度沸いた血はなかなか冷えてはくれそうにもない。
 抜き身の剣を掴んだままくちびるを噛み締め、ただゲオルグを見つめる。もしかしたら睨んでいるように見えたかもしれない。ゲオルグは小さく溜息を吐いたようだった。カイルのほうへ歩み寄る。刀を抜く気配はない。
「……そんな顔であいつらのところへ戻る気か」
 頭を冷やせ、と手を伸ばされる。咄嗟に反応出来ずにいると、手のひらはカイルの頭を掴んで引き寄せ――口付けられた。
「…………誤魔化す気ですか」
「今はこれで誤魔化されろ。――引き上げるぞ」
 外套の裾を翻すと、今度こそ振り返らずにゲオルグは先を行く。
 今は、ということは、後でなら付き合ってくれるということか。都合のいいように解釈すると、カイルはようやく剣を鞘へおさめた。
 
 
 
 
 
 戦いが済んだ後の空気は夜気といえど、どこか生臭い。手や鎧に飛び散った血のせいだろう。かなり拭ったが、少々では落ちないものらしい。サルムは内心ではおそらく辟易していただろうが、知ったことではない。あのような輩に使う気をカイルは持ち合わせていなかった。
 長い髪にも飛び散ってしまったことには辟易するが、大きな怪我を負うことなく戦いが終わったのは重畳だった。
 王子たちと合流し、一通りの戦後処理を終えると、水や湯を浴びて血を洗い流した。息を吐き、ゲオルグと共有して使っている部屋に戻ると、顔を見た途端に苦笑された。
「なんて顔してる」
 まるで獣のようだと指摘される。あながち間違いではないかもしれない。まだ体がざわつき、落ち着かない。暴れ出したいような、平静に戻りたいような、相反した衝動。
 いつも戦いに出ていたのは、魔物が相手だった。人と斬り合うことになると、こうも感覚が変わるのか。――八年前はどうだっただろう。思い出せない。
 どうすればいつもの自分に戻れるのか、術を知らなかった。
 ベッドに寝そべっているゲオルグは、常と変わらないように見えた。彼は対処法を知っているのか。その術を教えてくれはしないのか。
 まだ湿ったままの髪をそれ以上は拭わず、ベッドに近寄るとゲオルグに跨がった。
「なんでそんな普通にしてるんですか」
「単に慣れの問題だろう」
「ずるいですよ」
「まだ落ち着かないのか」
 優しげな笑みを浮かべかけた口許へ食らい付くように口付ける。くちびるを食み、舐めた。
「だから、付き合ってくださいよー。さっきは誤魔化されたんですからね」
 返事の代わりに与えられた口付けは深くなってカイルの舌を絡め取る。
 鼻から息と声が抜け、手は寝衣をはだけさせて互いに素肌をまさぐった。乱れた裾から太腿を撫でられ、性器をゆるく握られる。触れられる前から薄らと反応していたが、恥じらうつもりはなかった。
「ンッ……、はぁ……」
 慣れた手が、薄い理性の膜を剥がしてゆく。暴くだけでなく暴き合い、煽り合った。何度か体を重ねただけで、こんなにも互いの体を知ってしまうものなのか。
 今は都合が良い。
 そればかりか、さらに弱いところを見付けてやろうという気になる。やけに好戦的な思考になるのは、戦闘後で血が騒いだままだからか。
 愛撫の手は容赦がない。感じるところだけを責められる。性急な動きは熱を早く収めてくれようとしているのか。それは余計な気遣いだ。負けじとばかりに性器を掴み、擦り上げた。
 荒い呼吸に淫らな水音が混ざりだす。聴覚からも興奮が増していった。
 外気に晒け出したふたつの性器が、互いの手のひらに握られる。自分の性器を刺激しているのはどちらの手かわからなくなり、薄い皮膚を通して熱が直に伝わる。手を汚す先走りはどちらのものか、既にわからない。
「あ……はっ、ンッ……」
「……く、……っ」
 獣めいた息。見下ろしたゲオルグはまだ余裕があるように見える。――気に入らない。
 空いた手が太腿や足の付け根を撫でる。お返しにと胸へ手のひらを滑らせ、乳首を引っ掻いた。わずかに肌が震えたような感覚が気のせいでも、指の腹で押したり摘んだり引っ掻いたりを繰り返した。
「……いやらしい奴だな」
 獰猛な顔で言われると、これから喰われるのではないかと錯覚する。
 ただで喰われるものか。
 それどころか喰らうのはこちらだとばかりに、カイルはゲオルグの腹筋に爪を立てた。
「……あんたのほうが、よっぽど……」
「おまえには負ける」
 太腿を辿った指が、下腹や臍、腹筋を上って顔を掴む。指の動きに合わせるように身を起こしたゲオルグと向き合う。性器を握り込んだ手はそのままだ。
 顔が間近に近付く。視線は合わせたままで口付けた。舌で舌を舐め、くちびるを這って口内を侵し合う。手の動きが疎かになっていると、言葉ではなく熱を握り込まれて指摘されれば、強く握り返してやる。
 見つめられて見つめているのは右目だけなのに、金色の眼はやたらに強い圧力を持っている。その眼がもっと欲に染まるところが見たくて、手だけではなく腰も揺らし始めた。
「ん……、」
 熱に熱が擦られる。ぬるついた、かたい手のひらの感触。凶暴な眼差し。鼓動が跳ねた。
 肌をねっとりと撫でられ、性器を強く握り込まれ、扱かれると、すぐに限界に達した。短く高い声をあげ、あるいは呻くように息を飲み、痙攣のように体を震わせると荒い息がふたつ、部屋に響く。
 肩に額を預け合い、息を整える。しばらくそうしていたが、やがてどちらからともなく顔を上げる。
「……足りないでしょ? 入れさせてあげましょーか」
「足りないんだろう? 入れてやろうか」
 囁き合い、視線を合わせると不敵な笑みを交わす。元々一度で終わるわけがないと互いに知っているから、これはじゃれあいだ。相手のほうが、ということに意味はない。カイルにしてもゲオルグにしても、眼を見れば満足していないことはありありとわかる。
 吐息で微笑し、顔を寄せ合う。と同時に、ゲオルグの手はカイルの尻や後孔を、カイルの手はゲオルグの性器を弄り出す。どこをどう触れれば性感を引き出せるかなどとうに知っているから、まさぐる手は時に焦らし、時にきつくそこを刺激する。再び断続的な喘ぎ声と乱れた息が部屋を満たすまで、いくらもかからない。
「ね……っ、ゲオルグ殿、もぉ……」
 早くとねだるより先に、体をずらして自分の後孔を弄り慣らす手にゲオルグ自身の性器を擦り付ける。淫乱と言われても否定できない姿をゲオルグは薄く笑って見下ろす。狭かった中は吐き出した欲を潤滑油代わりにして、もう指を三本咥えても余裕がある。
 中をぐるりと掻き回されると腰がひくりと跳ねた。ばらばらに動かされ、入口のあたりで小刻みな出入りを繰り返される。
「もう、か?」
「我慢できませんよー……」
 ゲオルグの性器にしても、既にまた先走りを零し始めている。入れるには充分な状態だろう。急かすようにゲオルグの手を退かすと、そそり立つものを宛がい、ゆっくりと腰を落とした。表現しがたい充足がカイルを満たす。
 ゲオルグと体を重ねることに初めからまったく抵抗がなかったわけではない。何しろ入れられる側に回るなど、女好きである以上考える余地もないことだったのだ。
 それが今では進んで跨がるようになってしまったのは、欲求の吐け口として互いにちょうどよかったことと、入れられる側に回っても気持ち良いからだ。もしそれがなければ、意地でも二回目以降は全力で阻止したに違いない。
 きっかけが何だったにせよ、これはこれで悪くないように思う。感情などあってもなくても構わない。後からついてくるものかもしれないし、ついてこなければそれはそれで良い。行為によって戦闘で昂揚したものが晴れるのであれば、それで構わなかった。
 そう思っているのは自分だけだろうか。腰をゆるゆると揺らしながらゲオルグを見つめる。
 いや、この男がどう思っていようと関係ないではないか。
 そう思わないでもない。
 ゲオルグにしても、何か思惑があるからこそ非生産的な行為に何度も及んでいるのだろう。それがどういった思惑であるにせよ、互いの利害が合致している間はそれで構わない。そぐわなくなった時に考えれば良いことだ。
「ん、……ッ、あ、ああ……っ」
 押し殺した声が漏れる。腰の動きは欲の求めるままに貪欲に揺らめき、突き上げられては快楽を享受する。気を付けていなければ更に声が漏れそうで、ゲオルグの肩に噛み付いた。
 果たして明朝は無事に起きられるだろうか。
 そんなことが頭を掠めたが、過去の経験からいって、目が覚めなければゲオルグが叩き起こしてくれるだろう。それを期待し、今宵は体の求めるままに求めておこうと決める。
 どちらが先に飽きるか。
 音を上げるか。
 自分が音を上げるまでは付き合って貰いたいと自分勝手なことを考えながら、律動を早めて欲を満たした。

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誕生日おっめでとー!です。
リクエストを激しく履き違えた気がしてならない。
いつも萌えと癒しをありがとうございます!
少しでも返せてたらいいなあ……