ゲオルグに初めて触れたカイルの手、指先は、己でも滑稽なほど震えていた。ゲオルグにも伝わっただろうが、何も言われない。そのことにほっとしつつ、回した腕に力を込める。回り切らない両腕は、やはり彼が屈強な男だということを強調されているようだ。
ゲオルグのほうからも背へ腕を回された。たったそれだけで心音が跳ねる。
(ゲオルグ殿は、何を考えているんだろう……?)
覚悟があると言っていた。はたしてそれがどういった覚悟なのか訊いて良いものなのか。しかし舌は凍り付きがちで、とても訊けそうにもない。
ゲオルグはファレナに来た当初から、どこか捉え所がない男だった。こうして抱きしめ合っていても、この男は掴み所がない。まるで霧か雲か――風か。
受け入れられたというのに、不安で仕方がない。
「……どうした?」
伸ばされた手、ほんの少しだけ湿りを帯びた掌がカイルの頬を撫でる。
無骨な、人の機微に疎い男のような外見をしているくせに、こんな時ばかりはやけに敏い。これでは己の弱さを露呈してしまう。そんなところはできれば見せたくはない。
「何でもない、ですよー」
失敗した。
声音は醜く罅割れ、顔が強張った。さぞ情けない顔をしているに違いない。ゲオルグにじっと見つめられることが恥ずかしくて消え入りたくて仕方なかったが、体を繋げたままでは逃げようがない。
カイルの頬を撫でた手が、頭を撫でて引き寄せる。ゲオルグの胸に額を預ける形になった。
「ゲオルグ、どの……?」
「おまえが何を考えているのかわからんが、」
口調は優しい。まるで子供に言い聞かせるように。
「何を不安に思っているんだ。俺がそうさせているなら、訳を話せ」
言えるものか。カイルは奥歯を噛み締めた。
「仕方のないやつだな」
苦笑された、と思うと肩を強く押された。倒れる、と思ったが床に腰を打ち付けることもなく、ベッドに腰掛けた。意図が読めず見上げるが、すぐに目線の高さは同じになる。
「俺が思うに、」
視線には笑みが含まれている。どこまでも優しく、かえって己の情けなさが際立つようだ。それが堪らなく惨めに思える。
「おまえは考え過ぎだ」
「そんなことを言われても……ゲオルグ殿が何を考えてるのかとか、さっぱりわかんないですよ……」
「考えても無駄だろうが」
切り捨てられると、がくりとうなだれた。たしかにそうなのだが――、
「ちょっ……ゲオルグ殿っ、何してるんですかっ」
カイルの下衣に手を伸ばしたゲオルグは、手早くそこを乱すと中へ手を突っ込んでくる。身をよじって逃げようにも、急所を握り込まれては迂闊に動くこともできない。
「だから、考え過ぎだと言ってるだろう」
硬いてのひらはどう考えても男のものなのに、ゲオルグに触れられているのだと思うとどうしようもなく興奮する。
ほんの一刻前には、こんなことになるとは思わなかった。そもそも、ゲオルグに対して抱いていた想いを否定されなかっただけでも奇跡だ。
ゲオルグを性の対象として見たことがなかった、とは言わない。むしろあったからこそ、自分自身に戸惑いを抱いたりしたものだ。だが、それらの夢や妄想にはゲオルグの意思とは無関係で、つまりカイルがカイルのしたいようにしていたわけで、こんな展開に頭がついていかない。
そして思考とは無関係に、擦り上げられる性器は追い詰められていく。
他人の手に触れられるのが気持ち良いことは知っていたが、カイルは女性の手しか知らなかった。男の手でも同様に思えるとは――いや、これは相手がゲオルグだからに違いない。他の誰とでもこうなってしまうなどと、考えたくもなかった。
「……っは、あ……っ」
食いしばっても漏れる声。男同士だからなのか、ゲオルグの手管は行為に慣れているはずのカイルにも巧みに思えた。
もうこれ以上耐えられない、と思った時、不意に愛撫の手が止んだ。高所で手を放されたような不意打ちに、思わずゲオルグを見上げる。
「ゲオルグ、殿……?」
「何がしたいか、言ってみろ」
尊大な言い方と言われた――というよりは命じられた――内容に、思わず目を丸くする。カイルのその顔がよほどおかしかったのか、ゲオルグはふと目元を緩めた。
「俺は覚悟を決めたと言っただろう。……したいんじゃなかったのか」
「それは…………」
男なら、そこへ直結するのはごく自然だしそうしたいと思ってもいた。だがそうしたいと思っていた対象に直球で言われてしまうと、なんだかとても気恥ずかしい。
今の状態で恥ずかしがっていても、滑稽でしかないのだが。
ベッドに腰掛けているカイルの横にゲオルグが座る。意外に長い睫毛が目元に落とす陰に目が離せなくなった。
「だからおまえは考えすぎだと言っているんだ。らしくない」
「……オレ、どれだけ猪突猛進ですか……」
「思い悩んでも結論が出ないなら、そのほうがマシだ。……まあ、だからおまえなのかもしれないが」
顔を寄せられ、口付ける。唇を舐められると、何かが外れたような気がした。元々達する寸前だったのだし、どのみち長く我慢はしていられなかったに違いない。
気が付けばゲオルグをベッドに押し倒し、性急に体をまさぐっていた。優しく、などとは程遠く、脱がすというよりは、ただはだけさせていく。
己より厚い筋肉に覆われた胸、広い肩に鼓動が早まる。どこをどう見ても、触れても、かたい男の体だ。だがたまらなく興奮してしまう。男なんてむさ苦しいだけだと思っていた自分はどこに行ったのか、まったくお笑いぐさだ。
肌に触れるのもそこそこに、唾液を塗り付けた指を狭い後孔に突き入れ、慣らしていく。指先に感じる内壁の熱さ狭さに気が狂うかと思った。無意識に乱雑になりがちな指を、急く衝動を無理矢理押さえ込んで丁寧にする。
「く……っ、う……」
押し殺した、喘ぎ声とも言えぬ吐息。慣らして指を増やすうち、徐々にそれがはっきりと聞こえ、いっそう昂揚した。肩のあたりに置かれたゲオルグの手に、力が篭っているのがわかる。
早く入れたくて堪らない。
そう思っているのは表情にも出たのか、見上げくるゲオルグの瞳は気遣わしく、だが笑みが滲んでいるように見えた。
余裕があるのだろうか。こんな時にすら?
悔しくなり、性器へ手を伸ばすと根元から擦り上げる。どこをどう触れれば気持ち良くなるのか目に見えてわかる分、安心感がある。
浅い吐息に誘われるように、顔をゲオルグへ近付けた。
「ん……、ぅん……っ」
くちびるの端から漏れる、どちらのものともつかない声に煽られ、性器の形、後孔の中をまさぐる手の動きは大胆になる。時折ゲオルグが息を呑むのが唇や触れたところから伝わり、カイルに喜びをもたらす。
押し殺した低い声も喘ぎなのだ。頭がどうにかなってしまいそうで、指を抜くとゲオルグを強く抱きしめた。
「ゲオルグ殿……」
「なん、だ……?」
「も……入れて、いいですか……?」
「ああ、……したいようにして、構わん」
そんなことを言われると、頭の中が真っ白になってしまう。ゲオルグは、カイルがどんなにゲオルグのことをわかっているのか。気持ちに気付いていただけではないのか。
格好悪いところは見せたくないと思うのに、気が付けば先程から情けないところばかりを露呈している。後で己を殴りたくなるのは間違いないが、今は欲に負ける。
ゲオルグにしてもこういった、男同士の行為に慣れているわけではない――と思いたい――だろうから、せめて気持ち良くなってもらいたい。
充分に慣らしたつもりの後孔へ、己の性器を埋めていく。指で感じたよりもずっと熱く、狭い。入れただけで達してしまいそうになるのを歯を食いしばってこらえる。
「ゲオルグ、殿……すご、っきもち、い……」
「いちいち、言わんでいい……」
カイルの気のせいかもしれない。だがその時はたしかに、ゲオルグのはにかんだ表情を見たと思った。堪らず、挿入時に勢いを失ったゲオルグの性器に指を絡め、扱く。
「息……、詰めないでください、よ……」
それだけで銜え込まれたものが刺激され、持って行かれそうになる。達するのはまだ勿体無いと思った。
「仕方ない、だろう……っ」
苦しいのだろう。眉間に眉が寄せられている。だがそれだけではないものがあった。薄らと染まった目許は塗ったものではない朱を帯び、カイルを見上げた眼差しは今までに見たことがない色を帯びている。
息を呑んだ。
ゲオルグは武術指南のスキルを持ち、剣士として、あるいは傭兵として各国で名を馳せた勇ましい、雄々しい男だ。カイルと違い、どちらかといえば禁欲的な雰囲気を漂わせ、体格や剣の腕前のみならず、人となりを含めて城内の人々や兵士たちの中で、憧れの男性、男の中の男として挙げられることが多い。
そんな男が見せた媚態。
(う、わ……!)
全身に、一気に血が駆け巡る。沸騰するかと思った。
膝裏を抱えるようにして持ち上げると、一気に腰を進めた。ゲオルグの背が跳ねる。
「……っ、カイル……!」
「すみません……っ」
咎める声も、今は燃料にしかならない。
数度大きく腰を動かせば、大きな波がすぐそこまで来る。元々ゲオルグがぎりぎりまで煽っていたのだ、そう長くもつはずがなかった。
「う、っ……ん、う……」
「っく……ゲオルグ、どの……ッ」
これ以上は本当にまずいと腰を引いた。途端、目の前が真っ白に弾けるような感覚。抜いた次の瞬間には、熱が弾けた。
「……っは、……あ、すみません……!」
慌ててサイドテーブルへ手を伸ばし、布巾を取った。ゲオルグの腹の上でぶちまけてしまった精液を拭いながら、彼の性器に顔を近付ける。カイルとは違い、まだ熱を保ったままのそれは、解放されたがっているように見えた。
「カイル……っ」
銜えると、上擦った声とてのひらに口淫を制止されかける。だが構わず口に含んだ熱に舌を絡めた。
「ゲオルグ殿だって……イかなきゃ、つらいでしょー?」
大きく張った性器は銜えづらい。それでも手で触れるよりは数段良いのではないかと考え、頭を動かした。息を詰める気配と、カイルの肩に置いた手に力が篭る。きつく吸い上げれば、肩を追いやるように力を籠められた。
「それ、以上は……」
「気持ちいい、ですか? いいですよ、出しちゃって」
「……っ!」
先端を舐め、くちびるで圧迫しながら思い切り吸い上げる。一瞬の間を置いて、口の中で白濁が吐かれた。咄嗟に嚥下し、まだ性器の中に残っている体液も啜り上げる。
「おまえ……、……」
顔を上げると、信じられないものを見るようなゲオルグの表情があった。これも今までに見たことがない。
「いいじゃないですか、オレがそうしたかったんですから」
「…………まあ、いいが……」
微苦笑し、溜息を吐くゲオルグの体を抱きしめる。ゲオルグも両腕をカイルの背へ回して抱き返してくれた。
汗を含み、しっとりした肌から伝わる体温はどこまでも暖かい。深い溜息を吐く。緊張の糸が切れてしまったのか、眠気に襲われる。それと、深い安堵と。
ゲオルグはどこまでも優しい。泣けるほどに。
胸に付けた耳から、ゲオルグの心音が聞こえる。まだ呼吸が落ち着いていないせいか、早いように思えた。聞いているうちにどんどんゆっくりになり、一定のリズムになる。その音にまた安堵した。
「……ゲオルグ殿……」
くちびるを動かすのも緩慢になってしまった。眠気が伝わったのだろう、ゲオルグは子供にするように背を撫でてくれる。
「眠いなら寝るといい」
せめて、腕枕くらいは己がしたかったのだが。この体温からは離れがたい。
口の中でもごもごと言い訳めいたことを言っていたが、ゲオルグがどれだけ聞き取れたのかはわからない。しまいには頭を撫でられ、カイルはとうとう眠りの縁に引きずり込まれてしまった。
この日のことはずっと忘れない。
意識が途切れる直前、ゲオルグの体温に包まれながら、それだけを誓った。