昏迷の明ける時

「ゲオルグ殿だってわかってるでしょう」
 笑顔がゲオルグを見下ろす。その顔は以前にも見たことがある。
 そう、太陽宮に女王騎士として詰めていた当初にはよく見た笑顔だ。張り付いていて、仮面のように作り物めいた、心と裏腹の笑顔。
 この男は自分がどんな表情をしているのか、気付いていないのか。
「オレが、あなたのことをどう思っているか。……気付いてたでしょー?」
 口調は軽さを装ってはいるが、心情は伴っていないのは明白。
 気付かないわけがないのだ。たとえゲオルグがそういった方面に鈍感だとしても、気付くに決まっている。
「気付かせようとしていたのはおまえだろう」
「それにも気付いていたんですね」
「……ああ」
 カイルの声は乾いていて、ひび割れていた。笑顔との対称に、憐れを誘う。傷付けてしまったらしい。
 不用意なことを言っただろうか。だがこの期に及んで嘘を吐く気はなかった。嘘を吐くほうがよほどこの男に失礼だ。たとえ嘘を求められているとしても。
 カイルの瞳は昏い。
 こんな荒んだ眼をする男だったか。
 そうさせたのが己だとして、取り繕ったりフォローしたり力付ける気もない。元は、この男から発している。
「どうして、……」
 言ったきり、笑顔を消して歯を食いしばるような顔をして横を向く。何かを堪えているのか、握った拳が震えているのをゲオルグは見逃さなかった。
 どうしてだなどと――そんなことは今更だ。
(いや……)
 やはり『この期に及んで』と言ったほうが近い。
 カイルは躊躇しているのだろう。逃げ道を探している。
 この期に及んで何を躊躇し、逃げようとする必要があるのか、ゲオルグにはわからない。後悔することを止めたから、臆病者の部分を切り捨てたから、思い切ったから、今そこにいるのではないか。だとすれば早く本題に入るべきだ。
「カイル。言いたいことがあったんだろう」
「…………」
「言わねばわからんぞ、俺は」
「……だから、気付かないフリをしてたんですか」
 さすがにそれには気付いていたか。とはいえ、あえて気付かないフリをしていたのだから、わかって当然かもしれない。どうこう言われる筋合いはないが。
「俺からどうこうしてくれというのは、都合が良すぎる話だな」
「わかってます、よ……!」
 壁に拳を打ち付ける。その音すら、部屋の外には漏れていないに違いない。
「あんたは本当にひどい……!」
「嫌なら来なければいい」
 頼んだ覚えはないぞと付け足せば、
「そういうところがひどいって言ってるんです!」
 ほとんど叫ぶように返される。
 虐めたいわけではない。むしろ逆だ。だがカイルときたら、いつまでもうじうじと本題に触れようともせず、男らしくない。苛つくのも仕方ないではないか。
 だが迷い子がはぐれた親を求めて泣き出しそうな顔をされて、ゲオルグが放っておけるはずもない。その程度には優しくしたいと思う。
(こいつは馬鹿だ)
 他に頼りになる人間、女性は数多くいる。優しい女も、男も。カイルに心を寄せている女性も少なくないはずだ。
 それなのに、わざわざむさ苦しい――彼いわくの――男を選ぶなど、狂気の沙汰としか思えない。ましてゲオルグは束縛を嫌う。どう考えても恋愛向きとは言えない。だから馬鹿だ。
 ソファから腰を上げると、壁際で突っ立ったままのカイルの前に立つ。手を伸ばすと、カイルは笑えるほどあからさまに震えた。構わず手を肩に置くと引き寄せ、泣いた子供にするように抱きしめた。
「馬鹿だな、おまえは」
 今度は口に出して言う。腕の中の体は強張っていた。恐らく表情も同様のはずだ。
「覚悟を決めて来たんじゃないのか」
「…………」
「おまえらしいと言えば、おまえらしいが」
「わ、笑わなくたって……」
「決めて来たんだろう。見せてみろ」
「えっ?」
 カイルが顔を上げた気配に、腕を緩めて顔を覗き込む。途方に暮れた子供、いや、捨てられた犬のようだ。ゲオルグに憐憫を沸かせるには充分だった。
(やれやれ……)
 女好きの色男が、なんという様か。他人に見られれば評価が思い切り下がるに違いない。遊び慣れているはずの男がこんなに手がかかる臆病者だなどと、誰が予想できたか。
 それを言えば、ゲオルグもそうだろう。今の己も相当に合わないことをしている。そして、合わないことを言おうとしている。
「……俺が覚悟を決めていないと思っているなら、とんでもない間違いだ」
「な……に?」
「だから覚悟を決めて、言ってみろ。笑いはしない」
 元々そのはずだったろうに、だんまりを決め込むから話がややこしくなったのだ。
「言わなければ、俺はひどい男のままだろうな」
 にやりと笑うと、踵を返しソファへカイルに背を向けるようにして腰を下ろす。躊躇している気配が伝わってくる。
 意気地なしで終わるか、踏み込んでくるか。
 楽しんでいるような自分に気付き、意外な気もするし当然な気もする。カイルが己に寄せる想いに気付いた当初こそ戸惑いはあった。けれど終局的に覚悟を決めたのだ。この男も腹を括るべきと思う。
 少しの時間をくれてやるくらいの余裕はある。そうでなければ絆された甲斐がないではないか。
 無音は予想より短かった。
 遠慮がちの足音が、一歩二歩と近付いてくる。
「……ゲオルグ殿。……オレ……、」
 見上げた先にあった青い瞳には昏い所など、もうなかった。
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