獣の眼

 同じ顔だというのに、ユーバーとペシュメルガでは纏う雰囲気も表情も違っている。どちらかといえばユーバーのほうがまだ表情豊かだと言えるだろう。――高笑いの類いが多いといえども。
 髪の色が違うからか?
 いや、きっと、もっと根本の部分から、何かが違うのだろう。ペシュメルガがユーバーを追う由縁のような。
 顔の筋肉が固まっているんじゃないか?
 そう思いはしても、確かめる機会など、そうあるものではない。何しろペシュメルガと一番遭遇する機会があるのは、戦場なのだから。甲冑に身を固めてしまうと、顔の判別すらつかなくなる。
 今なら。
 戦場ではないここで遭遇したなら、わかるだろうか。
 戦場以外で甲冑など、邪魔になるのはよくわかっている。各地をうろつくとなればなおさら。だから、今回は身軽な服を着込んでいるのだ。
 同じ服を着ていたらわかるだろうか?
「こんなところにいたのか」
 頭上からの声。赤毛の若造だ。15年前、デュナン統一戦争の折、ハイランドへユーバーを連れて来た男の孫だという。言われてみれば、冷めた目がよく似ていた。
 ユーバーは岩場に寝転がったまま、顔すら上げなかった。上げたところで帽子のつばで見えなかっただろう。赤毛はユーバーを見下ろしたまま、素っ気なく言葉を寄越す。
「そろそろだそうだ」
「メインは?」
「じき必要になる」
「早くしてもらいたいものだ。おまえたちのやり方は間怠っこしい」
 退屈で仕方が無いと肩を竦めるユーバーに、アルベルトは答えない。ユーバーもそれを気にすることはなかった。何を考えているのかわからないのはお互い様だ。それで構わない。馴れ合うつもりは毛頭なかった。
 この男にも表情があまりないのは同じだが、やはり違う。体の内側から沸き上がるような衝動を、この若造に対しては感じられなかった。
 あいつが追い掛けてきていれば、まだ楽しめたものを。今回は鼻が鈍っているのか。
 立ち上がり、帽子をかぶり直した。この人間たちは時間にうるさかった。
 
 
 
 眠らないのは何故かと問い掛けられると、答えに窮する。脆弱な人間などとは違うからだとユーバーは思っているが、これも答えではない。
 ユーバー自身は疑問に思ったことはない。問いを寄越すのはいつも人間だ。それが少し煩わしい。まともに答えてやる気もないから、欝陶しさは倍増しだった。
 今契約を結んでいる者たちは、その点、楽ではある。彼らは余計なことは聞かない。指示を寄越すくらいだ。それで良い。人間といる上で他に必要なことなど、ユーバーには思い当たらなかった。
 夜に眠らずに済むとなると、見張りをすることが多い。魔物や人間の敵、そういうものは招いてもないのに夜分にやってくることが多い。数が多くなければユーバーだけで片付けてしまうが、敵の数が多い場合、気付くなら一秒でも早いほうが良い。手っ取り早く多くの敵を片付けられる魔法は、詠唱に時間がかかるのだ。それに、屋内で軽々しく魔法を使われるのは好まれないようだ。
 魔法はつまらん。
 斬り刻む楽しみがない。
 この手で、クリムゾンで斬らねば、感覚が得られない。どうしようもない憎しみ、飢え。それらを一時満たす、悦び。高揚。
 叫び、戦き、怖れ、泣き、喚き、乞い、涙、血飛沫。
 混沌。
 真の紋章の破壊。
 望んでいるものはなかなか得られない。得られないからこそ、追う楽しみがあるのかもしれないが、あまりに時間がかかると苛立ってしまう。
「……フン……」
 まったく戦乱がないわけではない。この15年の間もなんとかしのいだのだ。15年前や17年前のような大規模な戦乱が頻繁に起こるわけではないことくらい、ユーバーも承知している。だがせっかく契約したのだから、もっと世界が混乱すれば良いとは思っている。
 戦乱が長引けばいいのにと思うが、27の紋章に邪魔をされる。紋章が選んだ少年たちに、収められてしまう。それが苛立たしさを助長させ、いっそう紋章が憎くなる。
 ……退屈だな。
 周りを歩くかと、椅子から腰を上げた。
 小さな宿を出ると、背後を振り返る。北側からこの村を隠すようにそびえる岩山。ここが岩ばかりの小さな寒村なのは、この山に日を遮られがちなのも一因だろうか。植物などほとんど生えていない、荒れ果てた大地。それでも人間はこんな土地にしがみつく。今はハルモニアに三等市民として支配されているから、しがみつかざるをえないだけかもしれないが、人間の大方は「故郷」というものを特別視するようだ。
 産まれて成長しただけの土地に執着する気持ちは、ユーバーには理解できない。だから何だ、というのが正直な感想だ。執着するのは紋章への憎しみと――あともうひとつ。それだけでいい。願いは、ただ癒されたいだけ。
 荒涼とした地を照らす明かりは、細い月と星のみ。ほとんど暗闇の中を、ユーバーは足取りに不安もなく歩く。
 うろついている魔物を狩れたら僥倖か。
 踏み出す一歩は闇にあっても軽い。すたすたと歩くうち、ふと止まろうかと思った。そうして、実行した時には目の前、数歩の距離に男が立っていた。ユーバー同様、黒ずくめの服を着た男。
 問わずとも、互いに誰かよく見知った男。
 ユーバーの口許に、笑みが浮かぶ。
「……遅かったな。一体何に手間取っていたんだ?」
「…………貴様の身の内にあるのは相変わらず、憎しみだけか」
「聞かなければわからんか、ペシュメルガ」
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ここで終わり。ほんとはこの後えろが入る予定だったらしい。
覚えていないから書けぬ。